ニンフたちの妖艶なダンス
その日、僕は森の奥にある泉へとやって来ていた。
泉では、美しき妖精ニンフたちのダンスが見られると聞いたからだ。
噂通り、ニンフたちは、それはそれは美しい姿をしていた。一見した所、人間に近い姿形をしているのだが、その髪の毛は緑色を帯びた金色をしており、瞳の色は真緑をしていた。
そうして、フワフワと平衡感覚を失わせるようなダンスを踊るのだ。
その妖艶な踊りで、次々と男たちを魅了していく。
僕の隣にも1匹のニンフがやって来て、踊りながら誘いをかけてきた。
そうして、わざとらしくチョコンと手を触れてみたり、僕の肩に顔をしだれかけてきたり、腕を絡ませてきたりするのだ。
ニンフが側に寄るたびに、なんともいえないよい香りがし、頭がボ~ッとしてきて意識を失いそうになる。
僕は、その誘惑に勝てず、その手を取って一緒に踊り始める。この時ばかりは、頭の中から完全に小説のコトなんて消え失せてしまっていた。
来る日も来る日も、そんな感じで過ごした。
実は、この時、鏡の中の悪魔から次なる指令が出ていたのだが…
僕はそんなモノは放ったらかしにして、泉のニンフたちと遊びほうけていたわけだ。
*
次の課題は「原稿用紙200枚以上の小説を書くこと」
ここまでは、前回と同じだ。ただし、今回は期限が決まっている。「1ヶ月以内に」という条件付きだ。
「いいか。今回は、これまででも最も厳しいぞ。なにしろ、期限がある。1ヶ月、30日以内に完成させろ。締め切り厳守だ。もしも、1日…いや、1分でも1秒でも締め切りを過ぎた時には、2度と何も教えてもらえないと思え」
悪魔からは、そう厳しく言い渡されていた。
にも関わらず、僕は油断していた。気軽な気持ちでいた。
「200枚ならば、前にもやったしな。しかも、今回はプロットに従って書くわけでもない。内容も何でもいい。楽々こなせるだろう」
その程度に考えていたわけだ。
「え~っと…200枚を30日で割ると、大体6枚ちょっとか。毎日7枚ずつ書けば、確実に終わる計算になる」
そんな風に甘く考えていたのだが、徐々に締め切りの日は迫ってきていた。
それでも、僕はあわてない。
「もう5日過ぎてしまったか。まあ、残り25日もある。ここから本格的にエンジンをかけていけば、余裕で間に合うだろう」
などと悠長に構える。
さらに5日が過ぎた。
「アレレ?10日経ったか。残り20日。200を20で割ると、10。毎日10枚ずつ書いていけば、どうにか間に合うな。少々厳しくなってきたけど、まあ、どうにかなるだろう」
さすがに2週間が過ぎた頃、僕もあせり始めた。
「残り15日。200割る15で…一体、いくらだ?1日15枚くらいか?平均で15枚も書けば、締め切りまでには完成できる。毎日15枚はキツイから、10枚書く日と20枚書く日と作って、どうにかこなしていこう」
などと、考えた。
そうして、マジメに机に向かい始めた。
が、時すでに遅し。
締め切りが迫れば迫るほど、残りの時間がなくなればなくなるほど、余計にあせってしまい原稿が進まなくなっていく。
ついに、締め切りまであと5日。という所まで来てしまった。
現在の執筆量がどうにか50枚ちょっと。残り150枚近くもある。25日間かけて50枚しか書けなかったのに、残り5日で150枚も書けるわけがない。どう考えても不可能だ!
そこで、僕は悪魔に締め切りを延ばしてもらうように懇願した。
だが、現実は非情だった。
「駄目だね。時間はたっぷりとあったのに、油断して遊んでいたお前が悪い。残念だが、この程度の締め切りが守れないようならば、お前の能力と情熱もその程度だったと見限る。ここでお別れだ」
そう冷たく言い放たれてしまった。
「そんな…」
こうなったら、もう言い訳も何もあったもんじゃない。努力するしかない!ただひたすらに小説を書くしかない!
僕は、心を入れ替えて原稿用紙へと向った。
すると、ここで奇跡が起きた!
1日目。20枚書けた。
2日目。30枚書けた。
目は精神異常者のごとく爛々と見開いて輝き、麻薬中毒者のようにハイテンションになって執筆に没頭した。実際に脳内麻薬も出ていただろう。ドーパミンとかアドレナリンとかそういうヤツだ。
1日の睡眠時間は4時間を切った。それまで、ほとんど毎日8時間以上、酷い日には12時間以上も寝ていたというのに!
これまでの長時間睡眠で寝溜めできていたというのもあったのかもしれない。いずれにしても、僕は猛烈なスピードで筆を走らせる。
“一心不乱”という言葉は、この時のために神様が用意してくれたのだろう。そう思ったくらいだ。
さらに、筆が乗ってきた僕。
3日目には、50枚!4日目には1日で60枚を書き上げた!!1日の内、16時間以上を執筆に使い、1時間に12枚以上の原稿を仕上げた瞬間さえあった。
人間、土壇場に追い詰められると、信じられないほどの力が発揮できたりするものだ。まさに、“火事場の馬鹿力”といった感じだ。
そうして、締め切りまで丸々1日の余裕を残して、210枚の原稿が完成したのだった。