ゆとりを取り戻す為に、温泉に出かける
僕は、まともな小説とも言えないような文字の羅列をどうにかこうにか完成させ、小屋の外へと出かけた。
ひさしぶりに、ゆとりを持って外の新鮮な空気を吸うことができたような気がする。
必死になって小説について考え、原稿用紙100枚以上というノルマに取り組んでいたこの3ヶ月間にも、小屋の外に出ることはあった。
たとえば、例の果物のなっている木の所まで行って食事をしたり。他にも、この小説の森には温泉がわいている場所があって、誰でも自由に利用できるようになっている。その温泉にも頻繁に通っていたはずなのだが、どうにも記憶がない。
この3ヶ月間のコトを思い出そうとしても、ボンヤリとした曖昧な記憶しか浮かんでこない。あまりにも必死になって小説のコトばかり考えていたせいで、それ以外はどうでもよくなってしまっていたようだ。
僕は、悪魔からの次の課題をこなす前にゆっくりと心と体を癒そうと、森の温泉に向っていた。
温泉に到着すると、オコモと出会った。あのモジャモジャ頭の背の低い少年だ。
「やあ、ひさしぶりだね。調子はどうだい?」と、オコモは尋ねてくる。
「まあ、ボチボチだよ」と、僕は適当な返事をした。
なにしろ、悪魔から広場に行くことは禁止されているのだ。ここで親密に話をしても、禁を破ることになるだろう。なので、誰と出会っても適当に受け流す気でいた。
「なんだか最近つれないな~」と、オコモ。
「そうかい?」
「そうさ。ここしばらくの間、どこで会ってもボ~ッとして、まるで魂が抜けたような感じだし。もしかして、小説を書くのに詰まってるのかい?小説家になろうとするのを諦めようとしている?」
事実は、それとは全く逆だった。確かに、小説を書くのに苦労はしていた。苦労はしていたが、詰まっているのとは違う。
まして、小説家になるのを諦めるだなんて、とんでもない!逆も逆!天地がひっくり返っている!それどころか、以前にも増して僕の心の中は“究極の小説家になってやるぞ!”という情熱と自信で満ちあふれていた。
そのコトをオコモに言ってやろうかと思ったが、やめにした。「影響を受けないくらいのレベルに達するまでは、他の奴らと触れ合うな!」という悪魔の言葉を思い出したからだ。
それで、僕はこんな風に答えておいた。
「ま、そういうわけでもないさ。ボチボチやってるよ。それなりにがんばって、それなりに小説も書いてる。小説家になるのを諦めたりもしていない」
この言葉は決して嘘ではなかった。ただ、完全に本音を語っているわけでもない。
それを聞いて、「そうか。なら、いいんだけど」と、オコモは答えた。
ところがだ。オコモではなく、オコモの肩に巻きついていたヘビがこう言ってきたのだ。ヘビのスネックが、だ。
「お前、何か隠しているな?」と。
その言葉を聞いて、僕はドキリとした。
「そ、そんなコトはないさ」と、僕は慌てて答える。
「ソ、ソンナコトナイサ」と、オウムのピャーロットも後に続く。
「ほんとか~?怪しいな~?」と、ヘビのスネックは疑い続けている。
「ほんとさ。こんな狭い森の中で、何を隠すようなコトがあるっていうんだ?」
「ナニヲカクスヨウナコトガアルッテイウンダ?」
「オコモ、気をつけろ。こいつは怪しいぞ」というスネックの言葉に、オコモもいぶかしげな表情をする。
だが、次の瞬間には、またいつもの柔和な顔に戻って、こう言ってくれた。
「まあ、いいさ。何もかもを話す必要はない。誰にだって、人に話したくないコトの1つや2つはあるものさ。小説だってそうだろう?読者には知られたくない作者だけの秘密があるもの。たとえば、伏線だ。その時には、まだ読者には知って欲しくはない。時が来れば、作者の方から自然と語る。君も、何か隠しているコトがあるとして、話したい時が来たら話してくれればいいさ」
オコモのそのセリフを聞いて、僕はホッと胸をなでおろした。
「どうもありがとう。そう言ってくれると、僕もうれしいよ」
僕は、そんな風に返事をした。
そうして、その後は2人で一緒に温泉につかり、とりとめのない話をして過ごした。どうでもいい天気の話なんかを、だ。
*
僕は、自分の小屋に帰ってくると、さっそくそのコトを悪魔に話した。鏡の中の悪魔に。
「そうか。それは、よくやったな」と悪魔はほめてくれた。
それから、こう続けた。
「この時期は、極力人に触れない方がいい。それよりも自分の能力を伸ばせ。“個”を確立するのだ。孤独になれ!孤立せよ!世界は信用できない。信じられるのは己の力のみ。まずは、それを極めるのだ。人と触れるのは、それからでよい」
「うん!わかった!僕、がんばるよ!」
「そうか。じゃあ、次の課題だ…」
こうして、僕は悪魔の出すさらなる訓練へと挑んでいく。