もう一つの世界
円の中に飛び込むと、黒い波に呑み込まれた。真っ暗な海の中に放られたような感覚。水の中とは違って息はできるが物凄い速さで押し流されていく。直ぐに上も下も分からなくなり目をつぶって体を丸めたまま濁流に身を任せていた。
気付くと前方からは瞼越しに光が差し込んでいた。
恐る恐る目を開ける。あれが出口だろうか。
そのままあたしの体はさらに速度を増して光の中へ吸い込まれていった。
大きな力に背中を押されると、穴から急に放り出された。丸まっていた手脚が反動で広がる。体にまとわりついていた波が無くなって重力が戻りーー足が地面に着くかつかないかのところでーーべちゃっ、と目の前に現れた壁に顔からダイブした。
「‥痛‥‥った‥‥‥!?」
壁にぶつかった身体の表面がじんじんと痛む。が、脳みそは痛みの信号を体に送るだけで状況を把握してはくれなかった。
あたし、何で壁に張り付いてるんだっけ。
レオに腕引っ張られて無理矢理変な穴の中に体突っ込まれて。
真っ黒い波に呑み込まれて、それで‥
「いつまでそうやってるつもりだ。早く剥がれろ。目立つのは嫌いなんだ」
後ろから声がして振り返ると不機嫌そうに腕を組むレオと、何やら可笑しそうに此方をジロジロと見ながら通り過ぎていく通行人達。
まぁ、いきなり現れて壁に激突して張り付いたままのオレンジの髪した女の子がいたら、あたしだって見ちゃうよね。もう三度見レベルで。
渋々壁から剥がれて周りを見渡すと、そこは見慣れた街ではなくヨーロピアンな感じの建物が建ち並んでいた。道行く人達の中には赤とか青とか紫とか日本じゃまず見ないようなカラフルな髪の人もいるし。まぁ日本にもいるにはいるけどそんな人工的に染めた感じじゃない。それに何か獣の耳みたいなの生えてる人とかいるし。とてもリアルなコスプレですね。
何だろうこれ、何なんだろうこれ、信じたくないけどこのファンタジーな感じは‥まさか‥
「ようこそ、異世界へ」
皮肉っぽい笑みを含んだ彼の言葉を最後に、あたしの意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
「‥‥‥‥っ‥?」
海の底から緩やかに浮上するように。ふんわりと意識が戻り、ゆっくりと目を開く。
真っ白な天井。穏やかな風に揺れるカーテン。強すぎない柔らかな陽射し。仰向けに寝ている身体の上にはボリュームの割に軽いふかふかの布団。
とっても心地よくて何だかもう少し寝てたい気分‥‥
そういえばとても長くてファンタジーな悪い夢をみてた気がする。起きたら友達にメールしよ。内容はまぁアレだけど出てきた青年はイケメンだったしね!
ふふ、と一人で笑いながら寝返りをうつと飛び込んできたのは
まさしく夢にでてきた金髪琥珀目の美青年。その整った顔に薄っすらと嫌な笑みをたたえている。
「やっと起きたか。街のど真ん中で気を失われてどれだけ迷惑だったと思ってる。それに二時間も時間をロスした。今からこっちの事についてある程度の説明をするから全て飲み込め」
夢うつつだった意識が一気に覚醒した。
サー…と音をたてて血の気が引いた…気がする。
どうして夢の中の住人がここに‥
ていうか最後凄い理不尽なこと言わなかった?
もしかしてあたしまだ夢見てるのかなそうなのかな。確かめるにはあれだよね。古典的かつお約束のあれ。
「ぃいいいひゃい!!」
力任せにぐいっと自分の頬を抓った。夢の中では絶対に痛むことが無いはずなのに凄く痛い。あとレオの視線も痛い。
うわ‥もしかしてこれ本当に
「悪いがこれは夢じゃない現実だ。受け入れろ」
鼻を鳴らして腕を組んだ青年の言葉と痛む頬のおかげでようやく、これが現実なんだと思い知った。
「夢じゃ、ない‥」
布団に包まったまま、この世の終わりのような表情でレオの顔を見つめて口をパクつかせるミレイ。
「う、嘘嘘嘘嘘」
「嘘じゃない。いいか?ここは異世界で、お前は〝月の子〟という特別な‥」
「やだ!聞きたくない!」
「寝るな!起きろ!」
レオの声が聞こえなくて済むようにとミレイが咄嗟に頭から被った羽毛布団は、べリッ と音がしそうな程に一瞬にして剥がされ部屋の隅へと放り投げられた。
「時間をロスしたと言っただろう。こっちの世界ももうすぐ陽が落ちる。魔物が出ると面倒だ」
「は‥‥魔物‥?」
何とまたファンタジーな単語が‥
「魔物は怨念や邪念のオーラで出来た肉食動物だ。ただ普通の動物とは違って実体がない。だから守護者の力や魔術でないと攻撃できないんだ。人も食うから気をつけろよ」
「え‥人、食べるの‥?」
青ざめていくミレイを横目にレオが頷く。
「あぁ、そういう魔物から市民や人間、お前のような〝月の子〟を護るのも守護者の仕事だ」
「はぁ‥ていうかオーラとか守護者とか月の子とか何なんですか‥」
もう異世界の存在や設定を信じる方向に傾いてきた自分に心の中でため息をつきながら。体を起こして少しでもその〝世界観〟を理解しようと質問を投げる。
「波動は人が発してる〝気〟みたいなもんだ。一人一人それぞれ違って感情によって質量や濃度等が左右される。魔物を攻撃する手段の一つ、魔術はこのオーラを操って発動させる。人間にも微弱ながらオーラが流れてはいるが操れない。オーラを操ることができるのは、俺達〝亜人〟だ」
「亜人‥?」
眉を寄せて小首を傾げたミレイに構わず淡々とレオが説明していく。
「この世界の生物は総じてオーラを操ることができる。まぁその威力や精度には当然個人差があるがな。こっちの生物は〝亜族〟と呼ばれていて、中でも四つに大別されている。今説明した、オーラを操る人型の亜人。その亜人の中でも獣の特徴を持った、所謂半人半獣の奴が魔族。完全な獣の形をしている奴が魔獣で、実体がなくオーラで出来た獣が魔物。ざっと説明するとこんな感じだ」
‥なんか頭痛くなってきた。生物とかの授業受けてるみたい。
てことはあれか。街中で見た、獣の耳した人は魔族ってこと?うんうん、何となく理解出来てたみたい。やっぱりあれはコスプレなんかじゃなかったんですね‥
頭の中でレオの言葉を咀嚼してゆるゆると理解していくミレイに更なる説明が飛ぶ。
「そして、俺達守護者は、この世界や人間界を魔物や犯罪者などから護り、秩序を維持することを任務としている。そっちでいう警察から自衛隊やらを全部まとめた感じだ」
「へぇ‥なんか凄いね‥よくわかんないけど、レオってとっても尊い仕事をなさってるんですね‥」
「白目向いてないで戻って来い。現実逃避してる場合じゃない。俺の説明を全て飲み込めと言ったはずだ。
‥そして守護者は五つの隊に分かれている。麒麟隊、青龍隊、白虎隊、玄武隊、そして俺の所属する朱雀隊 」
ここまで説明したところで、ミレイが「ああ!」と納得したように拳で手のひらを打った。
「自己紹介で言ってた〝フェニックス〟ってその事‥!」
「あぁ、俺達朱雀隊は炎を操る。隊によって水、風、白魔術、大地と操る物質は変わってくるが…………見たいのか?」
「ふぇっ!?」
心なしかキラキラとした視線を送っていたミレイに気づいたのか呆れたようにレオが問う。本人はそんな自覚は無かったのだろう、完全に図星をつかれた様に素っ頓狂な声を上げ、何やらもじもじし始めた。
「……ちょっと…見てみたい…デス」
異世界の存在を否定していた手前頼みづらかったのだろうが、どうやら好奇心が勝ったらしい。
上目遣いで様子を伺うミレイに軽く溜息をつく。
「ったく……〝飛べ〟」
レオが唱えると バサァッと羽音をたてながらレオの両肩甲骨辺りから炎が延びた。唖然とするミレイに見せつける様に鳥の翼によく似たそれをバサバサと羽ばたかせる。それによって辺りに火の粉が舞ったが、何かに触れた瞬間雪が溶けるように消えていく。火が移って燃えたりはしないようだ。
「すごい…もしかしてそれ、飛べるの?」
「飛べる。でなきゃただの飾りだろうが」
「確かに…ね!飛んで見せてくれたりとか」
ボッ と蝋燭を吹き消した時のような音がして、ミレイが言い終わらないうちに炎の翼は霧散して消えた。
「別に俺はサービスでこれを見せたわけじゃない。あくまで話に信憑性を持たせるためにやっただけだ。これ以上のことはしない。話を戻すぞ」
ケチ、とむくれるミレイを無視してレオが語る。
「最後はお前の‥月の子の説明だ」
はっとミレイが体を強張らせた。
「月の子は産まれながらに月の加護を受けた者…だと言われている。実際はどうか知らんが、月の子はこっちの世界でもかなり特殊で強力な能力が使える。が、人数がかなり少なく希少な存在だ。
そして‥お前もその月の子の一人だ」
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました‥!
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明日も何話か更新する予定です。