第1話 天使のような二人
~六番街1号室1の扉-宮沢探偵ファイルB10283~
ドアが開いた。
樫の木の前に、漆黒の髪を、リボンで束ねた少女が入ってきた。
ドアを閉めると、微笑みで会釈をする。
「おはようございます」
臨時のセクレタリーが出社した。
濃いグレーの学生服に、赤いタイ。象牙色のシャツ。長いプリーツ・スカートが好ましい。
彼女の笑顔見たさに、事務所の男は必ず顔を上げる。その男とは、私一人なのだが……。
私は探偵・宮沢謙二。
業界では中堅の下ぐらいの規模、だが、自慢してもいい。派手な広告なしで、規模を拡大したことでは、業界随一だ。私は、単に調査結果を渡すのではない、心理的な支えを加味したアドバイスを徹底してきた。それが大きな信頼になっている。社員数8人、その内、調査員7人。三年前までは、浮気の調査が収益の50%を越えていたが、最近、徐々に、生損の保険会社からのオーダーが増えてきた。リピートが少ない浮気調査に比べ、保険業界の調査はリピート率が高い。収益に占めるシェアが反転し、営業利益が安定した。経営者としては好ましい状況だ。
ところが、この保険業界、コンプラアンスのハドルが高い。当社社員がドキュメント管理だけで多忙になり、調査員が調査の業務よりも書類作りに追われて、仕事にならない。そこで、ファイル管理の専門セクレタリー、秘書スタッフを募集したのだ。応募してきたのが優華くんだった。
少女の名前は、花守家、優華。十七歳。桜王と言われた造園家の孫娘だ。
孫娘が目に入るほどにかわいいのだろう、面接に、スキンヘッドで屈強な体躯の外国人が同行していた。花守家の娘であれば、身元保証兼ガードマンの同行もうなずける。
優華くんは、日本美人。見た目は申し分ない。ファッション・センスも超スタンダードで宜しい。身元も完全で安心。言葉も明瞭で、敬語も使える。欧米化が進む現代には、貴重な美人だ。花で言えば、牡丹、石楠花……。星座もふたご座、なんともらしくて良い。
「でも、書類管理がまあまあでは困る」と面接では、わざと突き放したような態度をとっていたな。
しかし、試してみれば、ダントツの整理能力だった。
まあ、即日で、週に三日×数時間での契約を交わしたのは、ご愛嬌だ。
社内の調査員や経理総務事務のおばさんに馴染むのに一分程度。
社員は優華ちゃんと呼んでいる。私は優華くん。やはり一線を引くべきだと……。
彼女のおかげで、数ヶ月後には、社内管理スピードが50%アップ。
社員も余裕ができ、書類の精度も上がり、保険会社からも高い信頼を得られるようになった。
優華くんの能力はそれだけではなかった。
未解決の学園事件や恋愛トラブルのファイルを見つけると、調査員にアドバイスをしてくれるようになった。これまでの事件のプロファイルから、解決への道を示すのだから、今では「畏れ奉りの優華ちゃん」になっている。
でも、どんなにほめられても、優華くんのスタンスが変わらないのが、良い。
すばらしいスタッフを雇えたことに、経営者として神に感謝して、自信を深めていた。
「今日のファイリングを終えましたけど、もう、ございませんか?」
彼女が書類の山を片付ける姿を眺めていて、私は時間を忘れていた。
私は、古参の経理事務員、山崎さんに、肘で頭を小突かれた。
山崎幸子さんは、この事務所が始まった頃から事務を続けてもらっている。
小太りでメガネをかけた中年女性である。
事務ワークのエキスパートで、優華さんの上司にあたるが、上司部下というより、友人関係に近いように見える。私が優華くんを見ている目線が「いやらしい」という。
今日は、星のめぐりが悪いのか、山崎さんに小突かれてばかりだ。
「ああ……、お茶にしようか。友人がもってきたマロンパイがあるから……」
「優華ちゃん、お茶を入れたので、飲みましょうよ」
「ありがとうございます」
そういうと、私のデスクにお茶と一緒にやってきた。
夕焼けの橙にみたされたガラス張り私の部屋、デスクの向かいに優華くんが腰掛けた。
「宮沢社長?」
優華くんが、マロンパイを食べながら私に訊ねてきた。
「私の学校で、事件が起きているなって知らなかったので、びっくりしました」
「ああ、その事件……。そう、有華くんの学園の生徒だったね」
少女が、死んでしまった元の彼氏を警察に告訴している事件だ。
ファイルB一〇二三八。表紙には『事故死した高校生の賠償問題と死亡原因に関する調査依頼』と書かれている。昨日、保険会社から渡されたファイルだ。
学園町の生徒が、交通事故で死亡した。
自転車で明け方の午後6時すぎに自転車を運転中に、見通しの悪い交差点で出会い頭に自動車と衝突、頭部強打で二週間後に死亡した。損害保険と生命保険から相応の保険金が用意された。
おかしな部分はない。
ところが、その事故の二日前、警察に告訴があった。女子高校生が彼に暴力的に性行為を強要されたという。警察からの取調べが始まった後に、事故。死亡が事故なのか自殺なのか、保険会社が調査を依頼してきたファイルだ。
「なあに、優華ちゃん。この高校生の死亡に、なんか感じるの?」
「この二人って、学園でも仲のいいことで有名な二人。天使のような二人って話してたんです。そんな事件を引き起こすようなタイプに見えなかったので……、ちょっと驚いたんです」
美しい目だ。真珠白に真っ黒な瞳、睫、白い肌に血の紅が挿す頬。真っ直ぐに向かってくるこころが見えるようだ。
<おお、ジャパニーズ・ビューティフル!>と、優華を見た外資系保険会社の専務が驚嘆していたっけ。一度、和装にしてもらえたら、必ず見にくると話していた、な。
山崎さんの咳払いひとつ。
おっと、回答が遅れた。
小突かれてはかなわない。
「なかなか難しい事件で、慎重に調査しているね」
確かに、学園には警察も介入しにくかったらしく、家族同伴でのインタビューのみ。しかも、被害者の少女は女性警察官の促しに「ハイ」「イイエ」と応えているだけだ。それをベースに保険鑑定士も一般的な調査しかしていない。学生会の自治によるリスク管理のウォールも高く、再調査しにくい。さらに被害者の家族だ。加害者の保険金の話など聴く耳もない。当社の調査も、なかなか苦しい状況だ。
私は、一口、アールグレーを口に含んだ。
「彼が亡くなる前の恋愛行為だからね、彼女も、彼女の家族も、かなり感情的で、ね。被害者と言われている彼女は、問いただすと泣くばかりで……。彼が事故に会う前から、警察の調書には、暴行があったと訊ねる女性警察官に『ハイ』と彼女が頷いたとの記述のみ。警察が動き出した、事情聴取の直後の事故だから、かなり難しいようだ」
「やっぱり、彼が暴行を働いていたと、社長も思いますか?」
「むずかしいね。とにかく、暴行されたと被害者がいうこと。親告罪なのだから、携帯電話のメールの記録や写真、PTSDの医学見地での報告書も。暴行があったように証拠として出された」
「暴行されたと……。彼女も言われて、つらくて泣いているのでしょう」
「彼女から、きちんと話が取れてないのが問題なのだが……わたしたちは事故か、自殺かを調べるので、そこまで、ううん、私たちでは入れない部分もあるんでね……」
大人の言い訳だ。範囲を定めて、その部分の責任でしか応えない。
自分の表現に、気分が悪くなる。
「あ、すいません。難しい事件だったのですね。ごめんなさい」
察して、優華ちゃんが笑いながら、話をいなしてくれた。
話題が変わる。
ガーデニングについて、山崎さんと話している。
かえって、私の頭の中に、優華ちゃんの言葉が響いて残った
『……言われて、つらくて泣いている……』
やさしい少女だ。天使のようではないか。
総務経理事務の山崎さんが、また、わたしの頭を小突く。
鼻の下がのびています、か? まいった。
「さあ、終わりだ。そろそろ、優華くんは帰らないと……」
立ち上がると私は、デスクに次の書類を取り出そうとして、ふっと思い出した。
「優華くん。さっきのファイル、持ってきてくれないか。もう一度、読んでおきたいから……」
優華くんが、「はい、社長」と笑うと、社長室を出て行く。
「何か気になるんですか?」
お皿と茶器を片付けながら、山崎さんが訊ねる。
彼女も興味があるようだ。
「社長、ファイルを持ってきました」
手早くファイルが届く。
「ちょっと調べてみるね。優華くんの言葉もあるし……」
「私も、何か分かったら、社長にお話いたしますね」
「ああ……、分かったら……。おっとダメだよ。口外されたら問題だ。会社の外では、絶対に話さないように。頼むよ、優華くん」
私はムリに怖い顔で念を押した。個人情報の漏洩は、最悪クラスのトラブルになる。
「わかってます」と笑う。
やがて、事務所のドアを開けて、帰っていった。
優華の消えるように、姿が見えなくなった。
フロアで月下美人が咲いていた。
もう、夜がそこまできていた……。
私は、目の前の事件ファイルB10238をもう一度、読み始めた。
はじめての探偵もので。苦労しました。
つづきは、明日。




