強風第四波 苺(いちご)パンチラ娘編
よろしくお願いします。
今回は、苺パンチラ娘の可能性に考えてみる。
まず思い浮かぶのは、苺パンチラで名産物のイチゴを宣伝することだ。見せパンなら道徳に問題はないはずだ。これで話題性をもたせ、テレビとネット、YouTobeでマルチ宣伝を行えば知名度が抜群にあがる。
明るい苺パンチラの宣伝、問題があるのならパンツでなく、テニスのスコートであると主張する。若しくは水着にフリルを着けて、それが時々強風で腰の下の苺がチラリと見える。
大切なのは、いつも見えるのではなく、時々見える、それが重要だ。
いつも見えるは飽きがくるが、絶対に見えないにはトキメキがない。
見える確率が高いもマンネリがくる。
だから、時々見えるが一番長く萌えるのだ。
苺パンチラは更に難易度が高い。それは自然現象でパンチラが発生したとしても、はっきりと苺が認知できないからだ。そのために、苺パンチラはどんな形であったか脳内想像が行われて、その作業により純白パンチラよりも深く印象に残る。それが執着となり苺パンチラ愛好家が誕生して、それが浄化されると苺パンチラ理想主義に変化する。
別の例を挙げれば、期間限定品、イベント限定品、バーゲンセールもその変形バージョンで同じ心理原理が働いて、この心理効果はマーケティング戦略に体系的に活用されている。これで心が動かなければ、その人は勇者である。
苺パンチラ娘の問題は、それは自治体で採用された萌えキャラの欠点と同じである。キャラクターには寿命があり、それは誕生したとたん、その価値を失ってゆく。自治体には一度決定したことを変更することが遅い。かわいいキャラを使い捨てにするのは、人道的に悪いイメージもある。その決定と廃止を決めるのは組織のトップだ。
だから、その決定にトップの威信が関わってしまうので、キャラの寿命と廃止の両立は難しい。業界とはちがい利益という厳格な決定基準がないので、寿命がきているのに、そのキャラを使い続ける。それは、すべての人間とキャラにとって悲劇であり喜劇でもある。
これらのことを考えて、苺パンチラ娘は一年限定とする。企画が失敗して場合は、翌年にはそのキャラを使わない逃げ道を用意しておく。翌年次も使うなら、マーク2、親戚、三つ子の真ん中という設定を付け加えればいい。
三つ子の利点は、そのキャラが定着した場合は毎年同じだけど、名前だけがちがう、それでもキャラがたっている。又は同時に三人いてもいい。間違いパンツの苺の数探しゲームもできる。
それでも、キャラを一点に絞り込むことにも利点はある。そのキャラが伝説となった場合である。そうなるか、数年で消えるかは賭けとなる。人の心の動きは予測できないからだ。それに特徴をつくると有利である。この場合は苺パンチラであるが、後追いという形もあるので油断はできない。
それは、ある時期まで元祖の宣伝になるが、粗悪品が増えるとマイナスになる。コアなファン以外は区別がつかないからだ。自分の家でいる似た猫がいても、他人からは全く違って見える。それでも家の人には全くちがって猫に見えているのだ。
だから人に簡単に見分けることができる苺パンチラの確立は難しい。みんな同じものを同じようには見ていない。自分は他人の視点では見ることができないから、同じ物を同じように見ていると錯覚してしまう。ちがって見えている状況証拠は幾らでもあるのに。だから人は難しい。
今日はここまで
次回「強風第五波 苺パンチラ戦国時代編」
を予告して、ページを閉じます。
段々と何か書くの嫌にないる。恥ずかしいことを書いているから辞めるを言い訳にしている。作品のプレッシャーと面倒と気持ちが本心である。
この言い訳をいかに克服すべきか。
最後まで読んでくれて本当にありがとう。