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強風第三波 苺(いちご)パンチラ文化比較編

よろしくお願いします。

 苺パンツで普通に連想されるのは、大きな苺、中クラス苺、小クラスの苺の模様だ。だが、苺と言う文字が書いてある場合も苺パンツである。苺という名のキャラでも、キャラクターの絵でも、それは、苺パンツと認識される。言語や認知からするとそうなってしまう。

数にこだわりがある人は、例えば、実家がお寺なら、一〇八つの苺の数を用意するし、危険な宗教家の娘なら、六六六の苺の模様を付けるだろう。

 また、苺をストロベリー、若しくは、ラズベリーを苺と勘違いしている人は、そんなイメージ的な模様になる。それは、アメリカ人と日本人が理想とする萌え芸術を比較した時の衝撃にも似ている。

 このように考えるといちごパンチラには、無限のバリエショーンが存在していることが予測できる。

 それとは別に、サンダーバードに登場する女性キャラの原名がチンチンという例がある。日本文化からみれば、とても変であるが、その国の文化から見れば全く変ではない。

 国際的に分かりやすく表現するには、苺パンツよりは、ストロベリーパンツの方が普遍性がありそうだが、日本人としては何か萌えがない。国際的なやすさをとるか、それとも日本文化としてのいちごパンチラを紹介するかの判断は悩ましいものだ。

 苺を知っている人なら、苺パンツであれ、ストロベリーパンツであれ、フレーズパンツであれ、苺というフルーツ模様のパンツであることは共通認識される。 

 それでも、その国の文化で苺の価値がどれだけあるか、また、苺が象徴するものが何かで、苺の意味が変わってしまう。苺が決闘の印ある文化では、いちごパンチラで挑発されたと考え、その屈辱を晴らすべく決闘を申し込むことになる。

 それが剣での命を賭けた決闘ではなく、肉体美を競いあう決闘となる場合もある。それはとても変であるが、その国から見れば日本文化の方がクレージなのだ。

 だから、日本的ないちごパンチラを押しつけるのは、いちごパンチラ理想主義から見るといただけない。それではいちごパンチラファシストになってしまう。苺色の独裁者となるのは、ぼくの信じるいちごパンチラを侮辱するこだ。 

 人権が守られ、人々に幸福を誕生させ、人を傷付けない、見て見せて楽しいパンチラ、それが正義の聖なるパンチラである、とぼくは考える。

 もちろん、ぼくはその考えを他人に押しつける気はない。そうすれば、ぼくは形を変えたいちごパンチラ独裁主義者になってしまう。そんな傲慢なパンチラに、若者はともかく、分別を知った大人は納得はしない。そんなパンチラは断固拒否する。

 それが生物的本能に流されない、文化的な人間の勤めだ。

 だから、国際的に普遍性があるいちごパンチラを認めさせることはとても難しい。ましてや、ファンタジーワールドで論理的に、いちごパンチラ文化の確立は至難の業である。少なくとも、今のぼくの力量では無理だ。ぼくにとって想像の世界は甘い苺色ではないのだ。

 今日はここまで、

 次回、強風第四波、「いちごパンチラ娘編」

 を予告して今回はページを閉じます。


 最初に想定していた内容よりかなりズレがでてきています。これが連載の力なのでしょうか。ダークパワーを強く感じます。

 また、ぼくが最初に決めた短編のルールが、速くも修正を求められています。

 こんなことが誰でも起きるのでしょうか。そうならない対応策を知りたいです。

 最後まで読んでくれて本当にありがとう。それでは、また。

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