強風第二波 苺(いちご)パンチラ理想主義
相も変わらず、めちゃくちゃなことを言っていますが、そこは笑って許してください。
それでは、よろしくお願いします。
今まさに戦場で戦闘が起きようとしている。その時、パンチラのプロ集団が現れ、三万人の女性によるパンチラ(特殊趣味を満たすために、一パーセントは男の子が必要)を見せつけられる。それを見れば、戦争などバカバカしくてやっていられない。その後、美しい女性と麗しい男性を巡る争いが起きるかもしれない。それを回避するのは、パンチラのプロ集団の腕、いや、足、パンチラの見せどころである。
それには、年齢制限ありの二万七千人の美女と三百人の麗しき男の子の平和主義者が、もちろん、パンチラ予備兵力や補給物資、研究開発費、その十倍以上のバックアップ要員も必要になる。それを実現するため、パンチラのプロの生活保障ができる経済的、人権を守る法的問題、また、それを支持する文化的背景がないと、これは実現できない。
それができるのが小説の力だ。こんなバカ話があるかと思わせて、それを心理的に受け入れる土台を造り笑う否定から別にかわない、そんな風に世論が動かす。その世論を背景にして、国境なきパンチラ集団、又はパンチラ抑止力を誕生させるのだ。笑ってしまうが、インパクトは強烈だ。
この方法は核兵器を維持管理するより、コストが安いメリットがある。その資金を得るために、百億ドルの無償スポンサーを募集する。それには毎年、世界番付に載る人間の資産、0.一パーセントを寄附してもらえば問題はない。
スポンサー広告は載せられないが、お金では買えないものがお金で買える。この投資により天国で笑い話が披露できるメリットがある。それが代価だ。安い、高いを考えるのはお金持ち次第。クリスマス・キャロルの現代天国バージョンである。
それで世界に戦争が消えても、パンチラのプロは人権が保障された場所でパンチラ芸術を披露できる。そこで恋や愛が生まれて、誰かのステキなお嫁さんとなり寿退役もできる(本当に売れ残ってしまった人はどうしよう、解決策が思いつかない)。
三万人パンチラを見たいために戦争を起こす国も予測できるが、戦争の準備のお祭り騒ぎでストレス発散ができる。闘争本能をお祭り騒ぎで満たし、互いに友情を造る儀式にするのだ。そんな人の死なない戦争が開発されるといいなと思う。
所詮、苺色のパンチラ理想主義だと理解しているが、戦争もなく、みんな生き生きとした生活ができる、そんなファンタジー小説のようなことをぼくは考えてしまう。
今日はここまで
次回、強風第三波 「苺パンチラ文化比較論」
を予告して今日はページを閉じます。
初めての連載小説の第二話です。今のところはこれと言って問題なしです。
これは、しょうもないことを、まじめに語るコメディーです。そんなお笑いを目指しています。良い考えだ、そう思わると、ぼくの負けです。
最後まで読んでくれて、本当にありがとう。