強風第一波 最初のページが強風で・わくわく最初のトキメキ編
物語上、小説はこうでなくてはいけない。と決めつけありますが、それは演出上、必要で行っていることなので、それついて、不快に思った方は、ぼくの文章能力がないと言うことで許してください。決めつけは、ぼくの本意ではありません。
それでは、よろしくお願いします。
「君の瞳に苺色のパンチラ・認知科学ルーム 強風第一波」
「最初のページが強風で・わくわく最初のトキメキ編」
ようこそ、パンチラ認知科学へ。ここから、パンチラとは何か、を最新科学でひもときながら、パンチラ・宇宙を語る、までお付き合いください。それでは、パンチラの華やかなる可能性をお楽しみください。
「パンチラ本能編」
隠してあると見たくなる、ボタンがあるとなぜか押したくなる人間の本能がある。
茂みの中に何かいる、仲間を襲う獣がいるかもしれない。だから、安全かどうかを知るために確認をする。ボタンがある、触って仲間のために安全かどうかを確かめる、それらは、遥か昔の狩猟時代の御先祖様から引き継いでいるものだ。それが未だにぼく達を支配している。そんなことが進化心理学では考えられている。
パンチラとは、御先祖様から引き継いだ、誰にでもある人間の基本的な欲求の一つなのだ。
人間は進化したように見えても、誕生して、恋して、愛して、子供が生まれて、孫ができて、そして、寿命を迎える。人はある日突然に空中から生まれることはないし、人は一人では生きられない。何らかの形で自分を囲む環境と妥協しながら生きている。
民族のちがいは確かに存在するが、その基本原則から見れば、人間としては、そんなに違いあるとは思えない。それはきっと些細なことだ。もちろん、文化の違いで簡単に殺しあいは起きるが、パンチラの素晴らしさを世界に広げれば、人はきっとわかり合える。本能の部分では人間として共通している。だから、それは理論的には可能な事だ。
その理論を追求する場所、それが小説、その中で笑いとエッチともえを極め、読者という神の試練に耐え抜いた、その先に世界平和を可能にする理論が構築できる。そのシミュレーションを行う場所、それが小説の正体だ。
その中でパンチラは、その理論を構築するための重要なキーワードであり、ゆえに無限の可能性を秘めている。笑いとエッチと萌えで民族を超えた仲間意識を造り出す。民主主義のような難しい理論はその後でいい。
そんなファンタジーをぼくは考える。今回は、さわりの部分を少し見せて終了。
次回、強風第二波 「苺パンチラ理想主義編」
を予告して今回はページを閉じます。
この作品は、ぼくが連載を行った場合にどんな問題が出て来るか、その経験を積むための習作小説です。
そのオマケで、ぼくがパンチラを小説の中で、どうに向き合うか、その考えを知るための作品でもあります。観察型・エッセイ風・完全一人称ファンタジー小説を目指しています。そして、思い切り、前向きに転ぼうと考えています。最後に、この作品を読んでくれて、本当にありがとう。