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湾岸の泥仕合

作者: Ono
掲載日:2026/06/08

 月を浮かべた漆黒の海を臨む第四原油採掘基地。最新鋭の国家警備ロボット『エーデル・リッター』のコックピットで、パイロットであるグレイは立ち塞がる巨体を前に冷や汗を流していた。

「抵抗をやめろ! 国家治安維持法第十八条に基づき、お前たちの身柄を……」

『うるせえ! ここがお前の墓場だ、国家の犬め!』

 相手はテロリストグループ『ローター・ハイ』の末端兵。組織が強奪した油田作業用の機体に勝手に乗り込み、抵抗を続けている。戦闘用ロボットではない。ないのだが――ここで暴れ続けられては、海に原油が流れ出しかねない。

『ボスを逃す時間を稼ぐためなら、この油田ごとお前を道連れにして爆破してやる!』

「馬鹿な! ここが爆発したら半径五キロが消し飛ぶ! お前も死ぬんだぞ!?」

『ハッハッハハ、覚悟の上だ! くらえッ、必殺の――油圧式超高速・岩盤粉砕パイルバンカー!!』


 辺り一帯に凄まじい駆動音が響く。だが、繰り出されたのは、あまりにも重厚で、あまりにも鈍い一撃だった。秒速およそ五センチメートル。その緊張感を削ぐ遅さにグレイは思わずコックピットの中で脱力する。

「……その、避けてもいいか?」

『駄目だ! 漢の魂を受け止めろォ!』

「嫌だよ」

 グレイが操縦桿を軽く倒すと、リッターは軽やかにステップを踏んでパイルバンカーを回避した。すかっと空振った作業ロボの巨体は、自重を支えきれずに前方のオイル溜まりへとスライディングし、派手に転倒する。

『ぬおおお!? 泥がッ、泥がセンサーに! 目が、目がアアア!』

「いや、お前の目は無事だろ。泥が着いたのはカメラだろ。ワイパー動かせよ」

『ワイパーのスイッチどこだっけ? あ、これか……あ、間違えた、これは緊急スプリンクラー!?』


 プシューと絶妙に間の抜けた音と共に作業ロボの頭部から勢いよく消火用の冷却水が噴き出し、自分自身のカメラをさらに濡らして視界をゼロにする。

「何やってんだ、お前は」

 グレイは呆れ果て、リッターに装備された高周波ブレードを構えた。

「もういい、これ以上被害が出る前に、その駆動系を沈黙させる!」

『フハハハ……甘いぞ国家の犬めが。視界など不要! この日のために、俺はあらゆる状況を想定して訓練を積んできたのだ!』

 作業ロボは、ふらつきながらもまるでカンフー映画の達人のような構えを取った。鬼気迫る覚悟である。テロリストの操縦士が放つ殺気は本物だった。殺気だけは、本物だった。彼は本気でその命を組織に捧げるつもりなのだ。


『見よ! これぞ我が組織の悲願の結晶、そしてお前への葬送曲(レクイエム)だ! 全燃料タンク連鎖爆破システム、起動!!』

 コックピットのモニターに「DANGER」の赤文字が点滅する。油田全体の安全弁が強制解除され、破滅へのカウントダウンが始まった。

「止めろ、今すぐシステムをシャットダウンしろ!」

『断るッ。あと三十秒で、我々は共にお星さまになるのだ!』

「死にたくない! 私は来月、念願のマイホームの登記手続きが済んで鍵を受け取るんだ!」

『俺だって先月、三十五年ローンを組んだばかりだ!』

「じゃあなんでこんなことするんだよ! もったいないじゃないか!?」

『組織の命令は絶対なんだよ畜生がああああ』

 二人の絶叫が夜空にこだまする。ある意味では国家の危機よりも切迫していた。


 グレイは必死の形相でリッターを突撃させ、作業ロボの胸部装甲をブレードでこじ開けようとした。しかし相手も必死だ。視界がゼロのまま、狂ったように巨大なショベルアームを振り回す。

 火花が散り、互いの装甲が削れる。

「クソッ、なんて馬鹿力だ」

『これぞ日雇い労働で鍛え上げた現場のパワーだ!』

「くっ、私が頭脳派であることが仇となるとは……!」

 残り時間は十五秒をきった。油田のパイプラインから不穏な高周波の振動が伝わってくる。

『終わりだ。さあ、神の御許へ行こうではないか!』

「嫌だ! ローンを払わせてくれ!」

 グレイは半狂乱になりながら、リッターのコックピットにある使ったことのないボタンを片っ端から叩いた。何か、何かこの事態を打開する武装は――。


 ポチッ。


 どのボタンを押した時だったか、エーデル・リッターの胸部ハッチが開き、中から放たれたのは奇しくも「暴徒鎮圧用・超高粘度巨大ネット」だった。

 粘着質な音を立てて広がった巨大な蜘蛛の巣のようなネットが、作業ロボの全身に絡みつく。ただの頑丈なネットではない。国家警備ロボがデモや暴動を鎮圧するための()()()()()()付きである。

『ぬうっ!? なんだこれは、アームが……本体にくっついた!?』

「よし、そのまま固まってろ!」

『馬鹿め、俺を止めても爆発は止まらんぞ。見ろ、あと五秒だ! 四、三……』


 そして、カウントダウンは「二」でぴたりと止まった。


『……ん?』

「え?」

 静寂が油田を包み込む。ただ拘束された作業ロボの頭部からプシュー、プシューと、先ほど間違えて起動した冷却スプリンクラーの水が虚しく漏れる音だけが響いていた。

『なぜだ……なぜ爆発しない!』

「……なあ、お前さっき冷却水を撒いたよな」

『あ、ああ。間違えて押しちゃった』

「原油の加圧パイプって、急激に冷却されると安全装置が働いて緊急閉鎖(シャットダウン)される仕様じゃなかったか」

『……えっ』


 テロリストは慌てて手元のマニュアルをめくっているらしく、通信回線越しにガサガサと不審な音が聞こえてきた。

『あ。ほんとだ。【冷却システム作動時は起爆シークエンスが強制凍結されます】って書いてる』

「……」

『……』

 先程の衝突で脆くなっていた作業機の装甲が一部剥離し、がこんと音を立てて地面に落ちた。


 それから十分後。全身をネットでカチカチに固められ、立たせた芋虫のようになった作業ロボの傍らで、グレイはリッターの脚部に腰掛けて警察の到着を待っていた。

 通信回線からはローター・ハイの男の神妙な愚痴が聞こえてくる。

『国家の犬さんよ。拘置所の飯って美味いかなあ』

「最近は案外いけるらしいぞ。でも、お前のマイホームのローン、これからどうなるんだろうな」

『……言うな。そのことを考えるだけで俺のほうが爆発しそうだ』

「やめてくれ、もう爆発は懲り懲りだよ」

 水平線の向こうから太陽が顔を出しつつある。夜明けの風がオイルの匂いと共に、二人の疲弊したパイロットの頬を優しく撫でていった。

 海の平穏は、なんとなく守られたのだった。

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