8話 選択
床の上で光るスライムを眺めながら、悠真は小さく息を吐いた。
ほんの少し前まで、ただの異物でしかなかったはずのそれが、今では“師匠”のように見えてくる。
「……なるほどな。動きの順序も、力の加減も……なんとなく法則がある」
スライムは床を這いながら、同じ動きを何度も繰り返していた。
右へ、左へ。小刻みに震え、吸い、戻る。
まるで“呼吸”と“掃除”を同時にしているようだった。
悠真は雑巾を取り上げる。
試しにスライムの動きを真似るように、布を軽く滑らせた。
その瞬間――。
指先から“何か”が流れ出した。
ぞくり、と背筋を撫でるような感覚。
体の奥で、小さな灯が点る。
その光が掌を通り、雑巾へと染み渡る。
――そして、布が淡く光った。
「……は?」
次の瞬間、床にこびりついていた黒い染みが“溶けるように”消えていく。
力を込めたわけではない。ただ拭いただけなのに、汚れは跡形もなく消失した。
「いま、なにを……」
悠真は雑巾を見つめた。
さっきまでのくすんだ白が、わずかに光沢を帯びている。
まるで、スライムの透明な体を模したかのように。
再び手を動かす。
壁の汚れ、床のくすみ、家具の傷。
ひと拭きするたび、部屋の空気が澄んでいく。
「……なるほど、真似すりゃいいのか」
悠真の動きが速くなる。
雑巾が床を滑る音、息のリズム、手の角度――すべてがスライムの動きと重なっていく。
それはまるで“呼吸を合わせる”ような作業だった。
そのうちに、空気が静電気のようにざわめいた。
部屋の中の埃がふわりと浮かび、淡い光の粒子になって散っていく。
スライムが動きを止め、悠真の方を見た。
光が、共鳴していた。
「おいおい、冗談だろ……俺まで光るのかよ」
苦笑しながらも、手を止められなかった。
まるで“正解”を踏み当てた感覚がある。
動かすほどに体が軽くなり、息を吸うほどに視界が澄む。
――そのとき。
視界の端に、数字のようなものが浮かんだ。
> 《清掃完了率:100%》
> 《エリア浄化完了》
> 《経験値 +120》
> 《レベルアップしました》
「……またか」
昨日、風呂を掃除したときと同じだ。
だが今回は、意識的にやったわけではない。
スライムの真似をしただけ――それなのに。
部屋の空気がふっと軽くなり、同時に胸の奥に“何か”が流れ込んでくる。
暖かいような、微かな痛みを伴うような奇妙な感覚。
「これが……スキルってやつか?」
ぼんやり呟く悠真の頭の中に、新しい選択肢が浮かんだ。
> 【風呂エリア強化】
> 清潔状態Lv2/未解放スキル:「ヘアケア」「ボディケア」「湯の効果」
先ほどの浄化で、どうやらまたスキルポイントが入ったらしい。
悠真は床に腰を下ろし、壁にもたれた。
まだ息は整っていないが、不思議と心は落ち着いていた。
「さて……どれを強化すりゃいいんだか」
天井を見上げる。
スライムは机の上に跳ね乗り、悠真を見下ろしている。
その体は、ほんの少しだけ前より透き通っていた。
「お前、俺に教えてくれたんだよな」
スライムが小さく揺れる。
まるで「そうだ」と言っているように。
悠真は笑い、ゆっくり立ち上がった。
光に包まれた部屋の中で、彼の手のひらにはまだ、微かに淡い輝きが残っていた。




