6話 依存
朝の光が薄くカーテンの隙間から差し込み、部屋を照らす。マリーはゆっくりと瞼を開けた。ぼんやりとした意識の中で、最初に感じたのは不自然なほどの「身体の軽さ」だ。頭も、腕も、足も、まるで昨夜より一回り小さくなったように軽い。寝返りを打った瞬間、髪が頬に触れた。
なんだか今日は何でもできそうな気がする。
妙に活気づいた思想を示す様に、マリーはズレた肩紐を直しながらゆっくりと起き上がる。その拍子に髪がするりと肩になだれかかった。毛先は絹糸のように滑らかに流れ落ちる。肩に触れたその感触に、思わずマリーは目を瞬く。
寝起きのぼさぼさ髪ではない。金糸の束は陽の光を受けて輝き、まるで整髪した後のように艶を帯びていた。
「……ちょ、なにこれ」
慌てて鏡を覗き込む。
そこに映っていたのは、くすみが抜けた肌と、艶のある髪。
二日酔い続きで微かにあった目の下のクマも消えている。まるでマッサージ帰り――いや、むしろそれ以上に“仕上がっている”。心当たりがあるとすれば、それは一つのみ。
「昨日の風呂……?」
昨夜、湯に入った瞬間に感じた奇妙な温かさ。
全身を包み込むあの泡のような感触。あれがただの湯ではなかったことを、今になってようやく理解した。
「……おにーさん、何したのよ」
マリーは髪をまとめながら寝室へ向かった。
ベッドの上では悠真がまだ眠っている。腕には昨日拾ったと言っていたスライムが抱かれていた。
「……あんたたち、何者なのよ」
スライムはまるで意思を持つように小さく跳ね、“ぴちょん”と鳴いた。いや、音を立てたの間違いだろうがその音がまるで挨拶のようで、マリーは思わず苦笑した。その笑い声に反応して、悠真の瞼がピクリと動く。
「おはよ、ワンちゃん……じゃなくて魔術師のおにーさん?」
「……なんだよ朝から」
寝ぼけ眼のまま悠真が起き上がった。髪は乱れ、昨晩彼女から貰った寝間着の襟が片方翻っている。
「単刀直入に聞くね。昨日、風呂いじった?」
「ん? 強化できるって出たから、なんとなく押しただけだ」
「“なんとなく”でこんなことになる?」
マリーは自分の髪先を指でつまみ、見せつけるように揺らした。美容に疎い悠真でも光を反射して、まるで宝石のようにきらめいているのがわかる。
「見てよこれ。昨日まで傷んだ毛先がすっかり綺麗に!肌もすべすべむくみも取れて。化粧いらないじゃん」
「……よかったじゃねぇか」
「よかったじゃねぇか、じゃないの! どう考えても普通じゃないでしょ!」
マリーは呆れと困惑が入り混じった声で言いながらも、どこか嬉しそうだった。
その表情を見て、悠真は小さく肩を竦める。
「スキルってのは、そういうもんなんじゃねぇのか?」
「……あんた、自覚なさすぎ」
マリーは苦笑し、ベッドの端に腰を下ろした。
その視線の先で、スライムが悠真の足元にまとわりつき、床の埃をぺろりと吸い取る。
ぷるん、と光る小さな体。朝の光の中、それは不思議なほど生き生きとして見えた。
「でもおにーさん、本当に知らなそうな顔してるし……て。今は追求はあんまりしないどいたげる!あんな湯なら毎日入りたいし。これ、スキルの副産物ってことにしとこ」
「副産物?」
「うん。……生活がちょっと、楽になる魔法。悪くないでしょ?」
マリーはそう言って微笑む。
頬の血色は柔らかく、瞳の奥には昨日までの疲労がもう見えなかった。
「……でも、ひとつだけ注意しておきなよ」
マリーは綺麗に塗られたムラひとつないネイルが施された人差し指を悠真の眼前に当てがい、声のトーンを落とす。
「“癒す力”ってのは、時に“依存”を生むから気をつけて。それは使った方も使われた方も言えるから、ね」
そう言い残し、マリーは立ち上がってカーテンを開ける。朝の光が差し込み、二人と一匹の影を床に落とした。スライムは光を受けて小さく震え、泡のように透き通る。
「────はい。真面目な話終わり。次はどこを掃除するの?」
「……まだ決めてねぇ。でも、やるなら昼だな」
「じゃあ夕方ごろに帰ったらまたお風呂、借りるからお湯張っといてね」
「はいはい、ご主人様」
「よし。いい子ね」
そう褒め言葉と頬に軽いキスを残し、マリーはまた仕事だと軽い足取りで出ていった。扉が閉まる音を聞きながら、悠真はぼそりと呟く。
「……依存、ね。そんな大層なもんじゃねぇと思うけど」
だがその足元では、スライムが静かに震えていた。
まるで、その言葉に小さく笑うかのように。




