4話 新しい仲間
マリーが酒場に出かけてから、部屋の中は一気に静かになった。何処かで誰かの罵声らしき怒鳴り声や不自然な笑い声が静寂を彩る汚い飾りであった。悠真は片付け終えた朝食の皿を拭きながら、朝の身支度を終えると玄関の扉を開く。向かうべき場所に向けて、悠真は足を踏み出した。そして隣の部屋の前へ向き直る。
“赤の部屋”。
その部屋はマリーに掃除を頼まれた場所だ。彼女は冗談めかして「恋愛で揉めた客が使ってた部屋」と言っていたが、言葉の端には妙な重さがあった。ドアノブの上には埃が積もっており、そう短くない期間放置されていることが窺える。
「……まあ、頼まれたからにはやるしかないか」
雑巾とバケツを脇に挟み、空いた右手で扉を開けた。途端に淀んだ中の空気が外へ流れ出す。埃っぽい匂いと、果実と乳製品が混じったような甘い残り香。鼻に残る特有の匂いは長く放置された花瓶の中の枯れ花のように、胸に重く残る。
部屋の造り自体は隣のマリーの部屋とそう変わらない。
強いてあげるなら木製のベッドに、壁際の鏡台、安物のランプなどの家具が違うことぐらいだ。椅子の背もたれには先ほどまでここに誰かがいたかの様に上着らしきものが乱雑にかけられていた。
悠真はマスク代わりの布地の下で息を整え、床に膝をついた。慣れた手つきで雑巾を絞り、床板の隙間に入り込んだ汚れを拭き取っていく。
洗う、磨く、直す――。
ただひたすら、目の前の“汚れ”を消していくことだけに集中した。物を移動させ大枠の清掃、終わったら細かい家具や床のシミを少しずつこすり取っていく。埃が金の粒のように舞い上がるのを目に入らない様に、ゆっくりと作業を続けていた。
気づけば、時間の感覚がなくなっていた。
次第に、空気が変わっていく。
ふと手を止めると、指先に淡い熱を感じる。
「……ん?」
掌が微かに光っていた。
熱いわけではない。けれど心臓の鼓動と同じリズムで、脈のように光が瞬く。
【レベルアップ】
スキル補助モンスターの解放
頭の奥で、誰かの声がしたような気がした。
悠真は顔を上げ、周囲を見回す。
誰もいない。
それでも、確かに何かが変わった感覚があった。
そのとき、床の隅で“ぷちょ”という音がした。
見ると、小さな透明の塊が、ゆっくりと揺れている。
ぷるぷると震えるそれは、まるでゼリーのようだった。
「……スライム?」
口にした瞬間、塊がぴょんと跳ねた。
悠真の方へ近づいてくる。近くで見ると体内に複数の気泡が発生しているのがわかった。スライムの通った道はまだ掃除の終わっていない場所であったが、汚れやシミなどが綺麗にスライムの体の中に吸収されていっている様だ。
「……なるほど。掃除、手伝ってくれるのか」
そう呟くと、スライムが一度だけ“ぴちょん”と跳ねた。それが肯定に聞こえたのは、気のせいではないらしい。
ふたり(?)での掃除は意外と早かった。
ベッド下の埃を吸い、鏡を拭き、床を磨く。
汚れ除去はスライムに任せ、悠真は家具の整理や補修を行っていた。
だが、最後に残った壁際の絨毯をめくった瞬間――
鼻をつくような、鉄の匂いが立ち上った。
「……血」
古い。もう黒ずんで固まっている。
だが、量は少なく絨毯に隠されていた一面に大々的に広がっている。事件がこの部屋で起きたのではなくとも、ここに“何か”が残っているのは確かだった。
スライムが静かにその場所に近づき、ゆっくりと染み込むように吸収していく。その瞬間、部屋を包んでいた重苦しい空気がふっと軽くなった気がした。
そして――再び、光が辺りを包む。
【レベルアップ】
【スキルポイント+1】
【新機能:生活エリア「浴室」強化可能】
まるで誰かに成果を認められたような感覚。
悠真は天井を見上げ、小さく息を吐いた。
「……掃除で強くなる、ってのも変な話だな」
浮かび上がる選択肢を眺める。
【強化機能を選択してください】
《清潔状態の強化》
《ヘアケア》
《ボディケア》
《湯の効果》
どれも風呂に関係しているらしい。どうやら機能作られた風呂に機能を追加できる様だ。昨日マリーが使っていた浴室が脳裏に浮かぶ。
「ヘアケア……いや、ボディケア……」
どれを選ぶべきか、正直わからない。
ヘアケアやボディケアはあまり詳しくないためわからない。一番自分にとって利益を実感できるのは“湯の効果”だろう。
スライムが悠真の足元で小さく跳ねた。
まるで同意するように。
「じゃあ、湯の効果にするか」
そう告げた瞬間、宿の奥の浴室で、静かな水音が響いた。まるで部屋そのものが答えているように――。




