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3話 朝の微睡






 心地よい微睡の中、微かに息苦しさを覚える。ベットから飛び出した足を布団の中に入れようとした時も、寝返りを打とうした時も何故か近くにある何かが邪魔をして動けない。むしろ上にかけられていた毛布がゆっくりと隣へ移動している気さえした。


「んん……」


悠真は近くで聞こえた自らの声とは明らかに違う声に小さく動揺した。旅行先で宿屋の見知らぬ天井を見て動揺する様な小さな驚き。しばしばする瞳を擦り薄目で隣を見ると、金髪が呼吸音に合わせて小さく揺れ動いていた。それが昨日出会ったばかりの女──マリー──。彼女の寝息が静寂の中小さく響く。薄明の中、金髪が枕に散り、白い頬に淡い光が落ちた。


 ふと昨日のことを思い出す。

 マリーが「暇なら掃除でもしてみる?」と軽い調子で言ったのを起因として起きた一連の流れ。その提案を何の疑いもなく「わかった」と引き受けると、マリーは少し目を丸くしてから柔らかく細めた。


 「普通は“何か裏がある”って思うものよ?」

 「頼まれたからやるだけだ」

 「おにーさんはもうちょっと世の中を疑う練習した方がいいね。なんでも口にしちゃお腹壊しちゃうかもだから」


 振り返ってみるとあのときのマリーの笑いには、呆れと興味が入り混じっていた様に感じる。しかし今、隣で眠っているのはその延長線なはずなのに、まるで別人の様な温かさがあった。


 他人の家で一夜を明かしたのは初めてだが、普通はこんなに心地よいものなのだろうか。心臓が跳ねるわけではない。ただ、他人の呼吸の音がすぐ近くにあるという異物感が、静かに神経を撫でていった。


マリーが寝返りを打ち、彼の腕にかすかに触れる。体温の境界がいよいよ曖昧になったところで、薄く瞼が開かれる。


「……おはよう、ワンちゃん」

「おはよう」


 悠真が淡々と返すと、マリーは寝起き特有の掠れた声で小さく吹き出した。


「ふふ。ほんとに何も思わないの?昨日会ったばかりの女と同じ布団で寝てるんだよ?」

「いいからもっと詰めろ。こっちのスペースがもうないんだよ」

「むぅ、つまんない。もしかして私が誘っても無反応?」

「さぁな」

「ふふっ、図太いのか純粋なのか……ま、どっちでもいいけど」


 マリーは布団から起き上がり、肩にかかった寝間着の紐を結び直す。その手で近くにあった窓辺のカーテンを開けると光が差し込み、部屋の金縁の家具を照らした。


「私は朝ごはん食べる派だけど、おにーさんはどうする?作るならご飯は昨日の余りになるけど」

「ん、いる。ありがとな」


 彼女は小さく頷き、かまどの方へ向かった。

 寝間着の裾が足に絡まり、ガーターに吊るした小瓶が揺れる。

 香草の匂いがふわりと漂った。


「火は苦手だけど、料理くらいはできるの。おにーさんは?」

「栄養補給のみに特化した料理ならギリギリ」

「不味い料理って素直に認めなよ」


 銅鍋にバターを落とす音が静かな朝に響いた。焦げる音が朝の静けさに溶けていく。悠真はその姿を手伝うわけでもなく、彼女の温もりの残り香が詰まった毛布に包まりながらただ眺めていた。


 やがて、皿に盛られた卵と根菜のスープ、焼いたパン。簡素だが香ばしい香りが部屋を満たす。彼女は足につけられたガーターに火を戻すと、背後で寝転がっている男に向き直りベットスタンドに己の皿より少し多めに盛られた料理を置いた。


「はい、できた。焦げてるとこは気にしないでね。久しぶりに料理したからちょっと失敗しちゃったかも」


 彼女は少し気まずそうに、目線を横にずらした。悠真は黙ってスプーンを取り、一口すする。


「……うまい」

「……え、本当?」

「ん、あったかいな」


湯気が立つ。久しく感じていなかった温もり。味の奥にある「誰かが作った」という事実が、妙に胸に残った。確かに少し苦味は感じるが、それがアクセントになっている気がした。料理に頓着のない自分にはわからないが、味に対してだけではない『美味しい』が気付けば口からこぼれ落ちていた。


「ありがとう」


 そのまっすぐな礼に、マリーは破顔する。皿を自分の太ももに置き、横に座っていた悠真へもたれかかった。寝起きで少し跳ねた金髪の髪が、二の腕にあたりさらにくしゃりと丸まった。


「そんな真面目に言われると、照れるじゃん。普通“うん”とか“まあまあ”とか言うんだよ」

「うまかったから言った」

「本当に言うこと聞かないね。一応君の飼い主なんだけど、私」


 軽口を叩きながらも、マリーの頬はどこか柔らかく緩んでいた。






「私は今から友達と飲みに行くけど、おにーさんは今日予定あるの?」


突然の質問に口の中のものを吹き出しそうになってしまった。予定どころか職や金すらもないなんて言える筈もない。適当にはぐらかそうとするが相手は小賢しい嘘なんて一瞬で見抜ける人間だというのはわかっている。


「……ねぇよ」

「ならお留守番ついでに隣とその隣の部屋の掃除も頼んでもいい?どっちも前に住んでた子がいたんだけど荒れ放題で匂いもきつくて」

「他人の部屋に勝手に入っちゃダメだろ」

「すぐ隣は赤で、その隣は緑だからへーき!」


赤、緑?色の意味を聞くと、なんてことはない様に彼女は返した。


なんでもここら一帯はダンジョン近くの宿屋崩れということもあり冒険者や傭兵が多く、あまり治安が良くない。人一人程度いなくなっても自警団は動くことはまずないらしい。しかし興味半分自衛半分で消息理由が後から辺りに伝達されることも多いのだとか。

中でもよくある要因を色に分け、娼婦達の間で客の情報網として使い分けていることが起源になったのだとか。


「赤は結構良くあるケースで色恋トラブル全般だね。貢いだ貢いでない、浮気したしてない、寝とった寝取られてないとか。緑は薬中」

「……わかりやすくていいな」


色々言いたいことはあったが、物騒すぎて口から出た感想は表紙の題名から書いた様な読書感想文並みに薄っぺらいものになった。


「てことはバキバキの事故物件じゃねぇか」

「事故物件ごときでどうこう言ってたらここには住めないよ。一応ダンジョンの一部だからね、ここの宿屋」

「物騒だわ!」


常識がまるで違う。改めてダンジョンは恐ろしい場所だと痛感した。



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