24話 ゴースト
「だあぁから寝てたの起こして悪かったって!バックに入ってんの忘れてたんだよ。悪気はねぇんだ!」
何度目かわからない謝罪だが、そっけなくそっぽを向かれてしまう。何とか手元にある物でユーマが機嫌を取ろうとするが安眠を妨害されたスライムには響かない。
「ほら、元気出せよ。このゴミとか美味そう……っぶは!」
「うお。顔面クリティカルヒット」
スライムから発射された水柱がユーマの鼻を直撃し、後ろに倒れ込む。ダンは片側の口角を上げ苦笑いを浮かべた。
「っはは。まーさか、スライムを従魔にしてる人と出会えるとは。それに……」
ダンはスライムの下に視線を移す。
「こんな収穫まであるとはねぇ……」
軽快に跳ねて怒りを露わにするスライムの下には袖の長いエプロンドレスを身に纏った女性が伸びている。屋敷お抱えの使用人服に見えるそれは、首元のシルバー色のブローチが印象的で見るものに厳かなイメージを与えるものだ。真っ直ぐな長髪から除く切れ長な目尻が狐を彷彿とさせた。
「まさかお宝だけじゃなくて人まで出てくるなんて、ダンジョンは本当に変わったところだな」
ダンの視線に気づいたのか短髪の髪から雫を垂らしながらユーマは歩いてくる。頭を左右に振り犬のように水気を落とし、その水滴が床へ散らばる。その粗雑な振る舞いに暖は眉を顰めるが、一つ咳払いをした後視線を彼女へ向けた。
「いや、多分これはゴーストっすよ」
「ゴースト?……幽霊ってことか?」
「厳密には幽霊とゴーストは定義が違うっすよ。幽霊はなんらかの未練によって魂が現世に残っているもの。ゴーストはダンジョン内で死んで魂をダンジョンに縛られたしまったものっす」
ユーマはさも当然のように話される常識外の規則にもそれに突っ込むことはなく、淡々と話を続けた。
「要はモンスターの類ってとこか?」
「そうっすね。討伐対象っす」
そう言ってダンは討賞リストを見せてくれた。そこには確かに特別討伐対象の欄に床で伸びている彼女の似顔絵が描かれていた。そしてその絵の下には小さく『アンジェラ・マルティーニ』と綴られていた。
「元はこのダンジョン宿屋の建設者であるフランチェスコ・マルティーニの一人娘。父親が病で倒れた後もこの宿屋を経営していたらしいっすけど、その後死んでゴースト化したみたいっす」
「大事なところスカスカじゃねぇか。死因はどうした?」
「あくまでダンジョン内での事故死としか書かれてないっす。ゴーストは高ランクモンスターではあるんすけど、落とす素材に偏りがあるからあんまり討伐する人いないんすよねぇ」
要はリスクの割にリターンが少なく、さらにはダンジョンの部屋さえ避ければ攻撃してこない為、誰も彼女に手をかけずにいた様だ。さらにゴーストは倒し方が特殊な様で、聖職者などの人件費や道具の費用をかけてまでここに来る人間もおらず、放置されていたらしい。
「俺もゴースト倒すくらいなら他のモンスターとやり合いますね。祟りとか呪いとか、もっぱら専門外っすもん」
「……あんだけ怖がってたらそりゃ無理だろ」
「う、う、うるせーっすよ!ちょーっと驚いただけっす。別に本物のゴーストみて腰抜かしたとかじゃないっすから!」
「へいへーい」
「聞いて下さいっすよぉ!」
顔を赤くしたダンに肩を掴まれ訴えかけられる。耳をほじりながら適当に相槌を打つユーマは不意にその手を止めた。
視線の先にはうずくまっていた女性が起き上がりつつある。ダンとユーマは互いに無言で目を合わせるとすぐに女性から一定の距離をとった。
「お、起きてきたっす!!」
「参ったな。スライムは怒って鞄に引っ込んじまったし、もう打つ手ねぇぞ」
ぐったりとした動きでゆっくりと起き上がってくるその動きはまるで死者から蘇るゾンビの様なおどろおどろしさを見たものに与える。
赤毛の長髪から覗いた緑眼はところなさげに宙を散歩した後、ようやくこちらに視点を合わした。意図の読めない視線が悪戯に注がれ続ける。
湖の苔の様な暗い場所でも存在感を主張する緑はしばらくユーマ達を見つめ、やがて不自然に頬が膨らんでいった。ゴーストとは思えない褐色の良さが頬を赤く彩り始め、下唇はキュッと引き締められている。しかしその下唇もプルプルと震え出し、堪える様な呼吸音が室内を満たした。
ダンは馴染みのある空気に顔を顰める。赤ん坊が転んだ直後の束の間の静寂の様な、恋人の地雷を踏んだ時のあの無言の間のような居心地の悪い不自然な静けさがどうにも苦手であった。兄弟の多い家族の下で育ったダンにはもう慣れ親しんだ空気感でもあった。眼前の女は小さく不規則な呼吸から一転して小さく息を吸い込み始めた。
事態を飲み込めていないユーマであったが、瞳が潤み始めた辺りでようやく彼女の異変に気付いたようだがもはや手遅れも良いところだ。そしてこの手の問題は過ぎ去るのを待つしか男に出来ることはないことをダンは痛いほどに骨の髄まで理解していた。
────こりゃあ、長くなるぞ。
戸惑うユーマを横目にダンはそっと耳を塞いだ。この後到来するであろう騒音から鼓膜を少しでも守るために。




