23話 穢れ
しばらくの沈黙。ダンは嬉しそうに握りしめていた拳を胸板まで上げた姿勢で固まっていた。時計の長針が一周をし終える時にようやくフリーズから再起動をした。
「……ダン、ジョン?」
一つ一つの発音を間違えのないよう噛み締める態度にユーマはダンの顔を覗き込む。目が見開かれ額にはしっとりと脂汗が滲んでいた。
「どうした。顔色が───」
ダンは差し出された手を払いのけ、土足のままベッドに上がり込む。突然の非礼にユーマはベッドから無理やり引き摺り下ろそうとするが鎧に守られた腕はびくともしなかった。
ダンは食い入るように外の景色を睨みつけていた。外といっても景色を楽しむものではない。何か異形や敵、獲物を探すような緊迫した視線。そして微かに眉を歪ませ、口からポツリと呟いた。
「────ゴースト・ハウスか」
聞き馴染みのない単語に頭をひねるユーマを置き去りに、壁に立てかけていた剣を片手で鞘から引き抜き握りしめるダン。
突然の行動にビクリと肩を揺らしたユーマへ、初めてダンの視線が噛み合わさる。
「何号室っすか」
「……何、号?」
「扉の前に番号が振ってあるはずだ!すぐに答えろ!」
首元を掴まれ無理やり言葉を吐くように促される。敬語が抜け余裕のない態度に理由はわからずとも過去の記憶を回巡する。確かに他の扉には彫り物の他にナンバープレートの様な番号がちらほら振ってあった気がする。
「だがこの部屋のはかなり古いものだったから擦れて消えちまってたぞ。下の二階はまだ新しかったが」
「二階!?ってことはここは……」
「三階だ」
ヒュ、と息を呑み込む音が聞こえた。襟を掴んでいた手から力が抜け、重力に従い力無く落ちていく。
「さ、ん」
驚きとも怒りとも絶望とも取れない感情をのせた言語を成さない呼吸が徐々に荒くなっていくのをユーマは冷静に見つめていた。
もう片方の柄を握る指は小刻みに震えていた。
「……はは。終わりだ、もう」
「何がだ」
「ゴーストハウスの、しかもSランクの階に来ちまったなんて……うわっ!?」
頭上に風を切る音と共に何かが通り過ぎた風圧。次いで重く鈍い音が部屋に響いた。凹んだ壁の近くには数少ない家具のうちの一つであるイスが床に転がった。ダンは頭を腕で守りながら絶叫する様に叫ぶ。
「ポルターガイスト!?かなり強いゴーストだ!」
打ち付けられたイスがもう一度を天井近くまで浮かび、光源である燭台の近くでぴたりと止まる。それに続く様に壁伝いに設置されていたタンスや平机、果てにはこの部屋内で一番重量のあるベッドまで数センチではあるが浮かび上がりつつある。自体が読み込めていないユーマにもこれらが全て自分やもう一人の男に向けられていることがわかった。
ダンは必死に剣を構えてはいるが片手剣でこれらを全ていなすのは無理があるはずだ。
質の良いものこだわりを持って揃えた為、一番小さくあるイスさえ直撃すれば致命傷になるであろう重さをしている。
「ユーマ!……さん!ダメ元で聞くが戦闘経験は!?もしくは対魔経験でも構わない!」
「あいにくどちらもヴァージンだ。何が起きてる」
「……っ!!素人のあんたに言ってもわからねぇだろうがな!この部屋は穢れ付きの……うおっ!!」
イスともに遠くない壁まで吹っ飛ばされたはダンはうめき声を上げながら空中で受け身を取り、壁に激突する寸前で左によけた。派手な石材の割れる音の隙間に鈍い音とうめき声が鼓膜を揺らす。
ぐしゃ、と原型の崩れる潰れる嫌な音が響いた。
ユーマの瞳孔は右後方の足と背もたれが折れたイスを捕捉した。瞬きすらしない瞳は横の男の撤退の助言にも耳を貸さず、ただ丹精込めて作ったイスがただのガラクタに変わった瞬間を映していた。
瞳孔の奥に、淡く重なった赤字の文字列が流れ込む。
――家具:椅子
――材質:樫木・鉄釘補強
――製作:職人手彫り
――状態:粉砕
――修復可能性:不可
ユーマの喉が、わずかに鳴った。目に見えた感情の起伏は表に出ない。だが壊れた椅子を見つめる目だけが異様に静かだった。
深呼吸を置き、俯いていた顔を正面に向ける。頭上の家具が今にもこちらに飛び出そうと浮かび続けるのを無視し、ただ部屋全体の空間を瞬時に視界に叩き込んだ。そうすると部屋内の情報が数行ほどではあるが表示された。
――周辺魔力:高濃度
――性質:停滞・反転
――発生源:局所的
――位置:室内南東、壁面内部
「……そこか」
ユーマは、視線を壁の一点に固定した。
一見すればただの石壁だ。古い装飾の彫り込みがあり、ところどころ欠けているだけ。
だが“歪み”がある。
魔力の流れが、そこで不自然に渦を巻いている
「後ろ!」
ダンの叫びと同時に、今度は平机が唸りを上げて迫る。ダンの剣で弾くには角度が悪い。
ユーマは舌打ちを一つした。
次の瞬間、彼は足元に置いていた革のバッグを掴み、怒り任せに壁へと投げつけた。
「人の部屋で暴れてんじゃねぇ!」
何も状況を好転させようとした訳ではない。ただの子供の八つ当たりの様な衝動に任せ、バッグは宙を舞った。そして歪みの一定の位置でバックが不自然に激突し、留め具が外れてしまった。
水袋、布、工具がバラバラと床に落とされていく。
そして。
「あ"」
「え?」
ユーマの裏返った声とダンの疑問の声がぶにゅ、という不格好な音にかき消される。
半透明の塊が、放り出されるようにバックから外へ躍り出た。それはバックの中で今まで仮眠をとっていたスライムであった。スライムは不自然に体を震わせ歪みを超えてユーマ達とは反対方向の壁へ移動した。そうしてユーマ達、歪み、スライムと横一列の隊列が完成した。
「あんたの従魔っすか?」
「そうだけど……、なんか嫌な予感が────」
震えていたスライムは今まで小刻みに震えていた体をピタリと止め、まるで感情の入っていない棒読みの読み上げ音声を発した。
『異物、並びに汚れを感知。直ちに排除致します』
ユーマが静止を求める為大きく口を開けたのと、おびただしい光と水が発射されたのはほぼ同時であった。




