18話 前兆
リオの言葉が落ちた瞬間、マリーは思わず息をのんだ。それは酒の席に似つかわしくないほど、静かで鋭い響きを持っていた。
リオは空になったグラスを指で転がしながら、淡い琥珀色の光の中で独り言のように続けた。
「人は奇跡を手に入れてからというもの、サイコロを振るたびに“速く”進めるようになった。魔法ってのは──言ってみれば“進歩のブースター”だ。サイコロの目を6から12、12から100に増やしていくようなものさ」
「……つまり、魔法は人の歩みを加速させるための道具ってこと?」
「そう。だからこそ、依存するんだ。一度“100”の目を出せるようになると、もう“1”や“2”の出る人生には戻れない。それが人間さ。急速に発展する進歩に酔い、加速に縋る。自分でサイコロを振ってるつもりで、実は転がされているのはこちら側だ」
マリーはその言葉に何かを感じ取ったように目を細めた。その沈黙を見計らうように、リオは窓の外へ視線を移した。外では雨に反射し、街灯に濡れた石畳が淡く光っていた。
「……で、その延長線上にダンジョンがある。ダンジョンから発見された宝物から学習し生まれたのが魔法だ」
宝物。
ダンジョンの最下層に存在する自然由来の魔道具であり、そのダンジョンを象徴する権能でもある。
ダンジョンにあまり興味のないマリーも冒険者が栄えているこの町では一度は聞いたことのある単語であった。
「ならば宝物の機能は何か。魔法が“サイコロの目を増やす”なら、ダンジョンは“マスそのものを作り替える”力を持っている」
リオは指でテーブルを叩いた。
そのリズムが、まるでサイコロが転がる音のように響く。
「たとえば、君の目の前に“一回休み”のマスがあったとする。魔法なら出目の大きいサイコロのみ出してそのマスを飛ばすだろう。
けれどダンジョンの宝物は違う。
“嵐のマス”そのものを“晴れ”に書き換えられる。
盤面そのものを、塗り替えてしまうんだ」
マリーは息を詰めた。その光景が頭に浮かぶ。
盤面を動かすのではなく、盤を描き直す者の姿が。
「それが、宝物の本質。ダンジョンはただの遺跡じゃない。世界の“ルールの書き換え装置”なんだ。
そしてそれに触れた者は、世界の理を塗り替えられると同時に──“自分”の理も壊してしまう」
マリーの唇がわずかに震える。
「……それが、“変革”」
リオはゆっくりと頷いた。
「そう。サイコロを振って進む者は努力する。サイコロの目を増やす者は、依存する。盤を変える者は──世界を壊すだろう」
リオは微笑んだ。
その笑みは哀しみと、悟りの混ざったものだった。
少しの沈黙のあと、リオはグラスを傾け、
底に残った酒をゆっくりと飲み干した。
「……そして今、その“盤”が動き始めてる。最近のダンジョンは妙に不安定だ。まるで盤の下で誰かがルールを書き換えてるような……そんな、嫌な予兆がある」
マリーは不安げに彼を見つめた。
「まさか、宝物が……?」
「何かが覚醒しつつあるのは間違いない。変革が起こる前兆というのは恐ろしいほど静かなものさ」
外では、雨がまたぽつりと落ちはじめた。
音もなく、街の灯を揺らしながら。
リオはその音を聞きながら、ぽつりと呟いた。
「あの宿屋から出て行きな、マリー。遅かれ早かれ、ダンジョンはもうお終いだ」
それが彼なりの最終通告で最後の優しさだというのは、冷め切った酒を見れば明らかだった。




