15話 ダンジョン統制局
「────驚かせてしまい申し訳ございません。こちら、マリー・ローレン嬢のお宅で間違いありませんね?」
声は低く柔らかい。まるで聖職者のように穏やかだ。掴まれていた肩から手を離されはやる鼓動を抑えながら慌てて距離を取る。
最初に目に入った情報は『黒』の一言に尽きる。金の刺繍があてがわれた法衣は全身を覆い隠し手すら黒の手套で包み、見える範囲で確認できる肌の面積は顔のみになっていた。
褐色の肌に黒髪、精悍な顔立ちは見る相手に好青年の印象を与える。
「夜晩遅くに失礼。ダンジョン統制局監査院所属、4級監査官オルフェと申します」
知らない単語の羅列に理解が追いつかない。
「……よくわかんねぇけど、不法侵入ってことでいいか」
「ダンジョンにおける全権は統制局に一任されています。この宿屋も一応ダンジョンの一部に組み込まれているはずですが」
言外にこの侵入行為ですら合法であることを示唆される。ここのルールや制度は知らないが、本当にそんなことが可能なのだろうか。マリーに確認を取らないとわからない。というか何より寝たい。
なんとか部屋からこいつを追い出さなければ。
「あー、とりあえず家主は留守ですよ。帰ってくるのも遅そうなので伝言でも預かりましょうか」
「ええ、もちろん彼女にも伺うつもりです」
オルフェは一歩、靴音を立てずに悠真へ距離を詰める。その時初めて黄金色の瞳の中にある瞳孔が細長く縦長なことに気付いた。
「ですが、彼女の“同居人”であるあなたからも、いくつか確認をさせていただければと」
“同居人”。その言い方に、どこか探るような響きがあった。蛇のような瞳をした彼は有無を言わさない独特な圧を放っている。断ってもあまり意味はなさそうだ。悠真は不快を覚えつつも、「勝手にどうぞ」と椅子を指した。
オルフェは礼儀正しく腰を下ろす。その姿勢は完璧で、瞳とは正反対の聖職者そのもののように感じた。
「実は最近、ダンジョン内で失踪事件が相次いでおりましてね。マリー嬢が、そのいくつかの件に“関係している”という話が上がっておりまして」
「……知りませんけど」
オルフェは柔らかく微笑む。だが、その瞳だけが一瞬だけ細められた。
「────“知らない”。便利な言葉ですね」
「何が言いたいんですか」
「いえいえ。監査官と言う職務上、そのような事をおっしゃる方を幾人も見てきましたので。慣れ親しんだ言葉だな、と感じただけです」
オルフェは穏やかに首を振るった。
────だが、次の瞬間。
その顔がゆっくりと歪んだ。
「ただ、あなたのように“庇おうとする者”は私達にとって貴重なんですよ」
ガタン、とイスが床に倒れる音と共に、耳元ほどの近い距離に声が近づいた。それは先ほどまでの丁寧さはない。代わりに現れたのは、相手を見下ろす愉悦の色を秘めていた。
「無知なくせに、正義感だけは立派だ」
「……なんだと」
「自分に都合の良い情報のみを受け止め、他の情報は陰謀だ悪だと流す。そういう人間が、私は大好きなんです」
視界の端でオルフェの口元に、ぞっとするような笑みが浮かぶ。
「屈服させた時の表情が、何より美しいですから」
悠真は思わず一歩後ずさった。だが、その一歩すら、オルフェには“遊びの延長”に見えているようだった。離れた分の距離はオルフェの一歩で相殺されてしまう。
「何が目的だ」
「あなたがマリーに飼われている“ヒモ”だというのは把握しています。それでいて、彼女の部屋を勝手に掃除していた。……それ、少し不自然だと思いませんか?」
悠真は息を呑む。
「まさか、それだけで疑ってるのか?」
「疑う理由には十分ですよ」
オルフェは軽く手を差し出し、悠真の顎を持ち上げた。
「さぁ、景気良く話してくださいね。躾のなっていない犬でも鳴くことぐらいは出来るでしょう」
「やめろ!」
悠真は払いのけようとするが、オルフェの動きは素早かった。瞬間、床に押し倒され、息が詰まる。
「が、ぁっ……!」
強く押さえつけられているわけではないのに、身体は言う事をきかない。髪を乱暴に掴まれて無理やり上半身を起こされる。ギラギラと下品に輝く瞳がこちらを覗き込んでいた。
「ねぇ、抵抗しても無駄ですよ。身体を見ればわかります。あなた、戦う訓練なんて受けてないでしょう?」
オルフェの声が囁くように耳元に落ちる。
「安心してください。傷はつけません。
ただ────どこまで耐えられるか、試したいだけです」
その声音に、愉悦と狂気が同居していた。黒い手套がゆっくりと喉元に伸びた。喉に指がかけられ、少しずつ力が入る。
殺す目的ではない。痛めつけ、嬲ることを愉しむその手つき。腕や足を動かそうとするがやはりダメで、細め歪んでいる金色の瞳を睨んだ。
「は……なせ……!」
「おや、命令ですか。言うことを聞けない人間は嫌いじゃない。ですが自分の立場を理解できない人間は嫌いなんですよねぇ」
黒目が上を向き、視界が暗転しかけた、その時――
鞄の中から光が弾ける。
スライムが飛び出し、オルフェの腕にまとわりついた。
「おや……?」
オルフェの目が楽しげに細められる。
「これは可愛いらしい。……あなたの従魔かな?随分と頼もしい助っ人だ」
「……っ!?やめろ!逃げてくれスライム!」
悠真が掠れ声で叫ぶが、オルフェの表情はむしろ愉しげだった。肩を震わせて笑う彼に合わせて、胸元で王冠にツタが絡んだ紋章のブローチが揺れる。
「ダンジョンでの届出をされていないモンスターの所持はルール違反。君も私の調査対象になってくださいね」
首に絡まっていた手が緩み、片方の手がスライムに向かう。だめだ、はやく、にげてくれ。
その瞬間、扉が激しく開かれた。
「そこまでだ」
低く冷たい声。灰色の外套をまとった男が立っていた。オルフェは扉奥の男に目を向け軽く舌打ちする。
「……相変わらず目障りな」
マントに顔を隠した大きな体躯の男が部屋に踏み込む。
「他人の大切なものから狙う癖、治ってねえな」
オルフェは唇の端を上げた。
「癖ではありませんよ、……嗜好です」
マントの男の剣先がオルフェの喉元に止まる。
「消えろ」
「……脅迫は感心しませんねぇ。いっそのこと、ここでやりあいますか?」
「大事にしてまずいのはお前の方だろ」
オルフェは無言のまま笑みを崩さず、悠真を一瞥する。しばらくの沈黙の中
「……次は、もっと深く見せてくださいね。君の本性を」
黒衣の裾が翻り、静かに扉が閉じられた。残された悠真は荒い息を吐きながらスライムを抱き上げる。スライムは悠真の指の震えを抑えるかのように、自分から擦り寄ってきてくれた。冷たい感触が乱れた呼吸を落ち着ける。心配するかのように首周りの焼くように熱い締め跡に、スライムはゆっくりと身体を押し付けた。




