14 秘密
酒場の重い木製の扉を押し開けると、暖炉の火が揺れる空間に低いざわめきが広がった。長旅や仕事帰りの冒険者、常連の商人たちが混じる室内のざわめきの中で、マリーの姿はひときわ鮮明に浮かび上がる。
扉の向こうから入ってきたその瞬間、金色に光る髪の艶と、陶器のように滑らかで光沢のある肌に、酒場の客たちの視線が一斉に吸い寄せられた。ランプの光が髪を伝って滑り、肩から背中にかけての曲線を柔らかく縁取る。肌の艶は健康的な血色を帯び、まるで火の光そのものを内側から反射しているかのようだ。
カウンターに座り飲み明かしていた娼婦仲間たちが、互いに小さく目を見合わせ、息をのむ。
「……うっそ。綺麗────」
「髪が……夜光石みたいに輝いてる」
誰もが声を潜め、しかし目は彼女を追う。マリー自身は軽く微笑むだけで、自慢げに話すことはない。その微笑と自然な所作が、かえって周囲を虜にしていた。
常連の冒険者が思わず席を立ち、手を止めたまま見惚れる。商人の娘たちも小さな声でささやき合い、酒場内のざわめきがいつもより少し緩やかになる。誰もが、今この瞬間の光景を見逃すまいと視線を向けていた。
マリーはカウンターに近づき、普段通りに座る。その所作のひとつひとつが、髪や肌の艶をさらに際立たせ、周囲に軽く息をのませる。友人たちが「どうしたの、今日は特別?」と尋ねるが、彼女は首を軽く傾げてはぐらかすだけ。言葉にしなくても、その輝きと落ち着いた自信で答えているようだった。
その光景を見て、周囲は自然と敬意と羨望を込めた視線を向ける。マリーが語らずとも、今日の彼女がただ特別であることは、誰の目にも明らかだった。
「はぁい。今日の気分はどう?マスター」
「貴方の美しさほどではありませんが好調ですよ」
眼鏡をかけたマスターは、彼女の変化にも動じずニコニコと返事をした。思った反応が得られず、マリーはプクッと頬を膨らます。
「むぅ。もっと余裕のない反応をしてくれてもバチは当たらないのに」
「ははは、これは失敬」
全く悪いと思っていない謝罪を済ませ、マスターは視線のみ上の階に向けた。
「お客様が来られていますよ。例の方です」
マリーの目に一瞬、鋭い光が宿る。
「了解。……なら、いつもの部屋で?」
「ええ。誰も通していません」
マリーは無言で軽く頷くと、足を組み直してから、深く息をついた。艶やかな唇の端にわずかな影が落ちる。彼女は娼婦であり、情報屋。光を纏う女であると同時に、闇に潜る者でもあった。
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階段を上り、二階の奥の小部屋へ。
ノックもせずに扉を開けると、窓際の椅子に若い男が腰掛けていた。突然の来客にも驚く素振りすら見せない少年が一人。灰色の外套に旅塵がつき、鋭い目で地図を睨んでいる。
「……遅かったね。パンの特売でも買い損ねたのかい」
資料から目を離さず作業をしながらの会話にも随分と慣れた。見慣れた横顔は無骨な冒険者とは違う、どこか知的な雰囲気を纏っていた。
「あいにくきちんと夕飯は食べてきました。貴方こそちゃんと食べてるの?その顔、寝てないでしょ?」
リオは目の下のクマをマリーの指摘されながら、ため息をつく。
「────ダンジョンでまた、探索者が消えた。三日で五人だ」
マリーの笑みが静かに消える。
「五人も?」
「ああ。全員、最後にはこう言い残してる。“奇跡に呼ばれた”ってな」
部屋に沈黙が落ちた。外では風が唸り、古い窓枠が軋む音がする。マリーはリオの対面にある椅子に腰を下ろし、細い指で机の上をなぞる。
「……奇跡、ね。ここの街じゃ聞き慣れない単語だこと」
「育ちの悪い僕からしたらその言葉を宣う奴は、真昼間に通りで寝転んでる薬中か狂信者だけだ」
マリーも同意する様に頭を傾げる。
「奇跡、奇跡ねぇ……。確か失踪者は冒険者やそれに近しい人が多かったし、順当に行くとすごい魔法とか?」
「だと思って近場の新興宗教やギャングの動きも調べたんだけどね。空振りだったよ」
「ギルド内は?前はA級とC級が揉めたとか聞いた気がしたけど」
「あれはどうしようもない事件だから飛ばして。色恋と面子が絡まって複雑化してるだけ。犬同士の喧嘩ぐらいよくあることだ」
お互いの情報から一つ一つの可能性を潰していき、最後に残った選択肢を結論として取り出す。紙を覗き込むマリーと、天井を仰ぐリオ。
「……やっぱり、これか」
「なんだ。最初から気づいてたんじゃないの」
「君の情報をもらうまで半信半疑だったんだ。世の中信じたくないこともあるんだよ、くそったれめ」
紙の上部には円が書かれており、その中には蔦の様な植物と王冠が描かれていた。王冠を守る様に絡み合うツタはダンジョンに生息する実際の魔物植物を参考にしている。
ダンジョン外に生えているツタは外敵から、ダンジョン内に生えているツタは内的からダンジョンを護る役割を兼ねており、ダンジョンに害するものをことごとく排除する。
「……そりゃあ、ダンジョン内の問題にあいつらが関わっていない筈ないよなぁ」
「確か『ダンジョン統制局』だっけ。公営じゃなかった?あんまり冒険者事情方面は詳しくないけど」
「主要国家は大体ここに投資しているのさ。その分バックについてる奴らもデカい」
「……へぇ。そんな子達が何かのお尻を必死に隠してる感じ?」
リオは仰いでいた目線を彼女に向け、向き直る。
「あいつらはシンボルのツタと同じだ。外聞のためダンジョン内での安全管理を仕事としちゃあいるが、ダンジョンで不都合なことがあるなら見境なく殺しにくるよ」
「これだからダンジョンに関わる人はどいつもこいつも物騒で嫌だわ」
管理部のシンボルをしみじみと見つめながら、マリーはぼやく。しかしふとマークの一部分に興味を持ったマリーはその部分を指差しながらリオに見せた。
「……ねぇ。ちょっと話変わるんだけど、ツタが実際にダンジョンにいる植物が由来ならこの王冠も何か由来があるの?」
その瞬間、少年の赤い瞳に感情が燈る。怒りとも悲しみとも呼べる激情の炎は一瞬にして部屋を満たし、そしてすぐに沈静化した。
「……ごめん」
少年は気まずそうにそっぽを向きながら謝罪をした。
「う、ううん。私こそなんか無神経なこと聞いて────」
「……いや。君には日頃世話になってるし。話しておいた方がいいのかもしれない」
少年は改めて彼女と正面から相対し、大きく息を吸って吐いた。緊迫した空気がお互いの肩に重くのしかかる。
「────この王冠は初めての世界初めてのダンジョン攻略で発現した宝物で……、同時に僕たち人間の罪の象徴だ」
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扉を軽くノックされ、微睡の意識が無理やり現実に引っ張り出される。
夕飯も食べ終わり風呂にも入ってようやく寝れると思ったのに。一日掃除で酷使した体を無理やり起き上がらせ、扉の前まで足を進める。
欠伸をしている間にも、扉は二、三度ノックされていた。
「へいへい忘れ物ですか、ご主人─────」
様、と言いかけた口をつぐむ。
扉の取手に伸ばされた指先がピタリと止まった。いや、待て、何かおかしい気がする。
なんで何も言わないんだ。
普段なら両手が塞がっているだの面倒くさいなどいって俺の開けさせたがるのに。ああ、そうだ。ノックなんて彼女は絶対にしない。
……なら、今扉の前にいるのは一体誰だ。
扉には覗き穴らしきものはなく、確認する手段がない。そうこうしている間にもノックの音が部屋に響き続けている。
トントン、トントン。
規則正しい音の配列が不気味に鼓膜を揺らす。扉へ伸ばしていた指から力を抜き、ただぼんやりと目の前の相手と自分の間にある薄い板を眺めるしかなかった。脳裏には掃除したばかりの隣の部屋での血溜まりが浮かんでいた。
するといつの間にか規則的に続いていたノックが止み、無機質な静寂が訪れていた。それでもその場から動き気にはならず、動けたのは扉越しに耳を潜め物音がないのを確認した後であった。
ふぅ、と息を吐きなんとか安堵する。彼女の友人か客か。どちらにしても今ここで自分が出るのは得策ではなかった気がした。
明日の朝彼女が帰ってきたら今のことを報告しよう。そう思い、ベットの方向へ足を向けようとした。
しかしその時、ポンと軽く肩に何かが触れた。視界の端には黒い手套が肩を掴んでいた。




