12話 効果
マリーは木製の椅子に腰を下ろし、濡れた金髪を後ろへ払った。ウェーブのかかった金髪が重力に従い、白い肌にかかる。
「本当にやんのかよ。俺、人の髪なんて洗ったことねぇぞ」
「もちろん。おにーさんは私のワンちゃんなんだからこれくらいはしてもらわないと」
彼女の声には軽い冗談が混じっていたが、その瞳にはほんの少しの興味が滲む。悠真は苦笑して、桶の湯をすくい髪へゆっくりとかけた。薄く湯の香りが広がると、マリーの肩がぴくりと動く。
「……香りが変わった」
「ああ。確かその人に合わせて変化するらしい」
「っはは、ほんとに意味わかんないわー!ウケる!」
彼女はぼやきながらも身を委ねていた。
長い髪の中に指を入れると、泡立ちは軽く、それでいて根元から柔らかい。
まるで髪そのものが呼吸しているようだった。
「力、入れすぎてねぇか?」
「……ん、きもちー」
「おいおい。ここで寝るな」
その言葉に、マリーは目を閉じて小さく笑った。
「家に帰ってお風呂に入れるなんてすごい贅沢、今しかないもん。ちゃんと味わっとかなきゃ」
マリーは目を瞑り、集中するように天井を仰ぐ。閉じた瞳の先のまつ毛から水滴がぽたりと落ちる。
「心配性だな」
「職業柄ね」
彼女は湯気の中で静かに息をつき、体の力を抜いた。目を閉じているからか、表情が普段よりずっと穏やかに見える。
悠真はその間も髪の根元を指で梳かしながら泡を落としていく。
やがて、桶の湯をかけ終えると、マリーは髪を振って小さく水音を立てた。金色の髪が月光のように揺れ、しっとりと肩に張り付く。
「……軽い」
「軽い?」
「うん。髪が、ね。いつもより全然」
マリーは髪を手に取り、根元から先まで確かめるように撫でた。指通りは滑らかで、光を受けるたびに色が変わる。まるで絵画の様な風景に昔見たヴィーナスの誕生を連想した。
悠真は近くに備え付けられているバスタオルを差し出した。それを受け取ると、マリーはためらいもなく彼の方に背を預けた。水滴を弾く肌がピタリと寝巻き越しに悠真に触れる。
「乾かして♡」
「命令口調だな」
「いいでしょ?」
ふざけた調子なのに、声はやけに静かだった。
濡れた髪を拭くたび、微かに香るハーブの匂い。
お互い何も言わず、ただ音だけが響いた。
布が髪をこする音、水滴が床に落ちる音、そして二人の呼吸。
距離は近い。けれど、そこに色気はない。不思議なほど自然で、まるで昔から知っている人を世話しているような感覚があった。
「ねぇ」
「ん?」
「この匂い……私だけの香りなんでしょ?」
「まぁな」
「ふふ、悪くないなぁ。……これ、気に入ったかも」
マリーは立ち上がると、濡れた髪を指で整え、軽く笑った。その笑みは、いつものような挑発でも飾りでもない。ただ素直に、心地よさを覚えた人の笑みだった。
「……ありがと、ワンちゃん」
「どういたしまして」
言葉のやりとりはそれだけ。
けれど、浴室に残った香りは、二人の距離をほんの少しだけ近づけていた。




