― 終章 継がれゆく星の記憶 ―
月光が静かに王都の尖塔を照らしている。
かつて戦火が迫ったこの地に、いまは穏やかな鐘の音が響いていた。
時は流れた。
星祈の夜の出来事から、幾星霜。
アルセリオ王国は穏やかな輝きを取り戻し、今なお平和の中にあった。
王の名は、レオノール。
「賢王」と謳われ、剣ではなく、法と理で国を治めた希代の統治者である。
その傍らに在りしは、王妃イリス。
かつて星の巫女と呼ばれた彼女は、今もなお静かな輝きをたたえ、
王を、そして国を包み込むように支えていた。
人々は彼女を「星の導き手」と呼び、敬愛した。
そして、この二人の間に子どもが生まれた。
母のような黄金の瞳を持つ姫。
そして、父のような灰銀の瞳を宿す王子。
姫は優しく、王子は聡明だった。
姫と王子もまた成長し、
その身体には、古き星の記憶を宿す紋が、微かに浮かび上がり始めていた。
*
王国の繁栄を支えたもう一人の存在、
宰相、ラーデン・ノアクレストの名は、歴史に深く刻まれている。
かつて星の巫女と歩みを共にした彼は、「王に仕える」という誓いを貫き、
いまや王の右腕として、静かに国の礎を築いていた。
評議会においては言葉少なくとも、その判断は常に的確で、
いかなる陰謀も、彼の眼と耳をすり抜けることはなかった。
彼のペンは法を整え、彼の剣は謀略を断ち、政治と国を動かしていた。
――この国に、これほど王に寄り添った宰相はいない、と後世に語り継がれることになる。
*
そして、ある年の初夏――
一陣の風が吹き抜ける王宮に、風に乗って、二つの気配が舞い降りた。
夕暮れ時、星々が淡く空に灯り始めるころ。
王と王妃、そしてまだ幼い姫と王子が、
中庭で静かに風に当たっていたときのことだった。
風の中から現れたのは、二つの姿。
ひとりは、銀の髪に金の瞳を持つ青年。
そしてもうひとりは――銀の髪に漆黒の瞳を宿した青年。
――セフィルと、ルヴィアン。
光と影、ふたつの“鍵守”。
彼らはもはや、人の時を越えた存在となりながらも、
王家の血に眠る、星の力を見守り続けていた。
旅の気配を纏いながら、ふたりは王のもとへと歩み寄った。
「久しぶりだな」
王にそう語りかけたセフィルの声は、どこか懐かしさを帯びていた。
レオノールは目を見開き、そして立ち上がる。
イリスの表情には、懐かしさと喜びが満ちていた。
人知れず、涙が頬を流れる。
その身体が、震えた。
思わず駆け寄り、ふたりを抱きしめる。
「……会いたかったわ……ずっと、ずっと……!」
「……久しぶり、イリス」
ルヴィアンの声は、かつてと変わらず柔らかかった。
彼は口元をゆるめ、幼い姫と王子に視線を落とす。
「君たち……父さんと母さんに、よく似てる」
夜はやがて更け、月が高く登る頃――
王宮の奥深く、星の間にて、四人は夜通し語り明かした。
旅で見た地のこと。
星脈の綻び。
光と闇のかけらが、いまも世界のどこかでさまよっていること。
そして、二人がその調律のため、これからも旅を続けるということ。
「けれど……また来るよ」
セフィルは穏やかに言った。
「この子たちの力が目覚め始めたなら、導きの光になりたいから」
その言葉のとおり――
それからというもの、セフィルとルヴィアンは、ときおり王宮を訪れるようになった。
彼らはもはや、時の流れを超えた存在。
人の時間の中には在らずとも、星の導きを求める者の前には、必ず現れる。
王子には、星を詠む瞳と沈着な思考を。
姫には、癒しと祈りの手と、未来を紡ぐ声を。
姫と王子はやがて、二柱の存在に敬意を込めてこう呼ぶようになる。
――「光と影の鍵守様」
そして、「星より遣われし神様」、と。
それからというもの、王宮には不思議な噂が広まるようになる。
「姫と王子には、決して老いぬ“光”と“影”の守護がついている」
「そのふたりが寄り添う夜は、星がひときわ輝く」――と。
それはまるで、星が語り継ぐ伝承のようだった。
だが、それを語る老人たちの目には、どこか確かな記憶が宿っていた。
*
国は、穏やかに時を重ねてゆく。
王と妃は、最後まで民の傍に在り続けた。
レオノールとイリスは、やがて王座を譲ると、共に静かな森の館へと移り住んだ。
それでも人々は語り継ぐ。
あの時代、空に星がひときわ明るく輝いたのは――
賢王と賢妃、そして二柱の神が並び立つ時代だったからだと。
王家に流れる“星の記憶”と、
神と呼ばれた守護たちは、時を超えてなお、伝説の中で静かに光を放ち続ける。
そして今もなお、星の夜が来るたび、
王宮の高き塔には、遠く旅の気配と共に、銀と黒の影がそっと降り立つという。
それはまるで、星が今もこの地に宿っている証のように――。
――それが、光と影、五つの魂が織りなした星の物語。
遠い未来の子どもたちが、眠る前に語られるようになる、
とても古くて、とてもあたたかな祈りである。




