学園長室――深奥の静謐
ゼルファードは深く息を吐き、机の引き出しから一枚の封蝋された書簡を取り出す。
それは、王都から届いたばかりの「命令書」だった。
「……イリス、セフィル殿。君たちには隠さず話そう」
ゼルファードの声は低く、それでいて重みがある。
「王家は、”星の巫女の覚醒”を確認でき次第、すぐに王都に連行するよう命じてきた。
表向きは保護、だが実際には――星の力を掌握したいのだ」
彼のまなざしがイリスに向けられる。
まるで、その身に宿った運命の重さを思いやるかのように。
「王都評議会――特に現評議会議長となった第一王子の後見人、エスラ侯爵が、
最も警戒しているのは”予測不能な力”だ。
彼らは、巫女である君を『制御下に置く』ことが最善と考えている」
イリスが小さく息を呑み、セフィルが静かに彼女を守るように横に立つ。
「……しかし、私は君たちを”王家の道具”にはさせない」
ゼルファードの声は、明確な意思と、あたたかな決意を含んでいた。
「私が学園を引き継いだのは、星紋の塔を”魔法の本質を学び、魂の真実を知る場”としたかったからだ。
そして何より、私はかつてこの学び舎にいた”彼女”……君の前世、ニーナ様に深く教えられた。
あの志を、私は今も継いでいる」
セフィルが静かに目を伏せ、イリスの右手を取る。
「……ラーデンのことも、伝えておこう」
ゼルファードは立ち上がり、窓辺に視線をやった。
「彼は若き日の私の弟子であり、かつては理想を語る魔導士だった。
だが……王家の後ろ盾を得て以降、どこか変わった。
今では王子直属の”筆頭執行官”として、評議会の意を忠実に実行している。
君たちを”観察対象”としか見ていないかもしれない」
イリスの眉がわずかに曇り、セフィルがその手をそっと握り直す。
「だからこそ……私は、君たちの味方でいる。最後まで」
ゼルファードの言葉には、師としての信念が宿っていた。
「君たちの進む道がどんな困難に満ちていようとも、
私は星紋の塔を、君たちが帰る場所として守り続けよう」
*
ゼルファードの話を聞き終えた後も、イリスは胸の奥がざわめくのを抑えきれなかった。
右手の甲に宿った星の紋章が、まるで彼女の迷いを映すかのようにかすかに瞬く。
「……どうしても、王都に行かなければならないのですか?」
彼女の問いかけは小さな声だったが、確かな意思を持っていた。
ゼルファードは彼女の方にゆっくりと向き直る。
静かな視線が、彼女の揺れる瞳をまっすぐに捉えた。
「”行かなければならない”というより……いずれは”避けられない”ことになるだろう」
その言葉に、イリスの肩がわずかに揺れる。
「星の巫女の覚醒は、すでに各地にかすかな星脈の揺らぎとして現れ、隠し切れぬ段階にある。
評議会や王家だけではない。各国の目も動き始めている。
王家の申し出を断れば、敵対と見なされ、他国からの干渉を招く可能性がある。
だから――こちらから動くしかないのだ。
君の意思で、君自身の足で」
「……でも、王都に行ったら――私、どうなるのでしょう……」
その問いは、少女の純粋な恐れと責任の重みによるものだった。
ゼルファードは机の前に立ち、ゆっくりと腕を組むと、真摯な声で答えた。
「王都では、神殿に入り、”巫女”として扱われるだろう。
崇敬と監視の目が同時に君に注がれる。
自由は限られ、王家や評議会の意に沿うよう求められるかもしれない」
ゼルファードは続ける。
「……王家は、”庇護”という名目で、星の巫女を囲い込もうとしている。
実際にはその力を手中に収め、王権の正統性を高めるための象徴として利用するつもりだ。
特にエスラ侯爵派は、君を神殿に閉じ込め、”王家の守護者”として飾る意図を隠していない」
「…………」
「だが、忘れないで欲しい。
君は”操られる存在”ではない。
君の力は君のものだ。
君の隣には、セフィル殿がいる。
そして、私たちがいる」
ゼルファードは立ち上がり、窓辺から外を見る。
「これは戦いではない。
だが、君が”自らの在り方”を示さなければ、周囲の者たちに決められてしまう。
――だから、恐れるなとは言わない。
だが、君の意思で選び取ってほしい。
どこへ行くかではなく、”どう在るか”を」
ゼルファードは振り返ると、静かに微笑んだ。
「私が守りたいのは、”君たちの力”ではない。
”君たちの選択”だ。
……行きなさい、イリス。
だが、心を閉ざしてはいけない。
味方は、ここにもいると忘れずにいてくれ」
イリスは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、先生」
そして――そっとセフィルを見ると――手を握り、うなずいた。