戴冠の余韻
金星の大広間に響いていた聖歌が、やがて静かに終わりを告げた。
光の粒が静かに揺らめき、玉座の周囲に落ちていく。
儀式は、滞りなく締めくくられた。
列席者たちは静かに待っている。
ここからは、王国における最も伝統的な“祝福の刻”。
新たな王の戴冠を終えた後、その意志を受け取った者たちが順に玉座へ進み、
祝意と誓いの言葉を述べるのだ。
天井の星灯が柔らかく輝く中、金の玉座には、レオノールが静かに腰を下ろしていた。
その隣、少しだけ椅子を引いて座るのは、先代のエリオン王――
もはや王位を退き、ひとりの父として、新王の歩みを見守る位置にいた。
広間を包む沈黙の中、最初に名が呼ばれる。
「星の巫女、イリス・ヴァレンティア殿、鍵守セフィル殿、ルヴィアン殿。
そして評議会執行官、並びに星の調停者たる――ラーデン・ノアクレスト卿……お進みください」
重々しい声が響き、イリスたちは静かに歩を進めた。
絨毯の上に足音が吸い込まれ、緊張と敬意が空気に満ちていく。
イリスは正面で立ち止まり、跪き、礼を執る。
その後ろに並ぶセフィル、ルヴィアン、ラーデンも同じように膝をつく。
やがて、イリスはそっと顔を上げた。
冠を戴く彼を、真っ直ぐに見つめる。
「……この国に、新しい光が生まれたのですね」
それは、星の巫女としての心からの言葉だった。
レオノールは微かに目を伏せ、静かに息を吐いた。
冠の重みが、その肩に確かに降り積もっている。
「そうであれば……良い」
短く答えるその声は、王としての覚悟と、
けれど人としての優しさを併せ持った、ひとつの決意だった。
イリスはそっと頭を下げた。
「――この国の王として、今日この日を迎えられたこと……。
心から、お祝い申し上げます。レオノール国王陛下。
どうか、星の導きが、あなたとこの国と共にありますように」
セフィルがそれに続く。
「……陛下がここに在ること。
それ自体が、すでにこの国の民にとっての希望です。
どうか、無理をなさらず……ご自身の道を、お進みください」
ルヴィアンもまた口を開いた。
「星の時代が、ようやく始まります。
……陛下と王家に、星の祝福を」
ラーデンはわずかに目を伏せ、低い声で続けた。
「……共に戦った者として、これからもあなたを信じております。
いずれまた、私たちもこの国のために力を尽くせればと思います。
……レオノール陛下」
その最後の言葉に、ほんの一瞬、レオノールのまなざしが揺れた。
そして――彼は玉座に座ったまま、そっと笑みを浮かべる。
「……ありがとう。――だが……」
四人を順に見つめたその視線は、かつてを共にした日の、
あの穏やかなものと何も変わらなかった。
イリスが小さく瞬きをする。
レオノールは、ふっと息を抜き、やや困ったように、けれど確かな声で言った。
「……君たちに“国王陛下”と呼ばれるのは……どうにも落ち着かない。
できれば、今まで通りで構わない。……“レオノール”と」
その声は、とても静かで優しい響きだった。
その笑みは、確かに――“彼ら”のレオノールだった。
イリスはほんの少し目を細め、微笑んで頷く。
「……はい。レオノール様」
言葉にすると、不思議と胸が温かくなる。
彼と共に歩んだ日々があったからこその、特別な呼び名だった。
「……ありがとう」
レオノールは、もう一度微笑む。
それが、彼らの絆だった。
やがて、侍従が進み出て、次の列席者の名を告げた。
イリスたちは一礼し、そっとその場を離れる。
レオノールはその背を見送りながら、静かに息をついた。
「……進むが良い。君たちの道に、幸多からんことを」
その声は、誰に聞かせるでもない、未来への祈りだった。




