エピローグ「星の地へ、帰ろう」
その夜。
王宮の塔の最上階。空へと開かれた展望の間には、灯りひとつない。
ただ月と星の光だけが、静かに差し込んでいた。
イリスは、塔の手すりに手をかけながら、夜空を見上げていた。
遠い空に、星々が煌めいている。
かつて祈りを捧げていた時よりも、ずっと近く、確かに感じられる。
「……きれいだな」
後ろから、セフィルの声がかかる。
その傍らには、ルヴィアン、そしてラーデンも立っていた。
「やっと……本当の星空を、こうして見上げられるようになったよ」
ルヴィアンが呟く。
「前は……どれだけ祈っても、心まで届かない気がしてた。
でも今は違う。光も、影も、全部……届いてるって思える」
「星は、俺たちの祈りを覚えてくれてたんだな」
セフィルが返す。
「うん……この手で壊してしまったと思ったものも、
失ったと思っていたものも……
まだ、ここにある。まだ、やり直せる」
ルヴィアンが、ゆっくりと空に手を伸ばす。
「……うん。そうだね……」
イリスは小さく頷いた。
その瞳に、もう迷いはなかった。
すると、誰かが階段を上ってきた気配がした。
「ここにいたのか」
声の主は、レオノールだった。
柔らかく整えられた衣のまま、彼は一人でこの夜にやってきた。
「静かな星空は、神殿のそれとは違うな」
塔の手すりに手をかけ、彼も空を見上げる。
「……やっとだな。父も目覚め、国も癒え始める。
だが、きっとこれからが始まりだ。
私たちにとってはーー」
その言葉は、どこまでも真摯で、静かだった。
一国の未来を背負おうとする者の、まっすぐな意志。
「……私は、レオノール様を信じています」
イリスがそっと言葉を返す。
「ーー祈りを受け取ってくれた星のように、
あなたもこの国の人たちを照らす人になると思うのです」
「ふ……」
レオノールはわずかに目を細める。
その顔には、安堵と、どこか寂しげな色が滲んでいた。
「イリス・ヴァレンティア。……いや、イリス」
「……はい」
「……本当に……王国に、戻ってきてくれて、ありがとう」
それはきっと、王子の立場ではなく、一人の人間としての言葉。
イリスは、ふと微笑んで、そっと礼を返した。
「星が、これからも見守ってくれますように……」
その言葉に皆が空を仰ぎ、
それぞれの胸の内に、願いを浮かべた。
「……これで、本当に終わったんだな」
セフィルがぽつりと呟く。
「いや」
ラーデンが夜空を見上げながら応える。
「ようやく“始まる”んだ。祈りのあとに、歩き出す時間が」
レオノールが目を閉じる。
「ーーそうだな。
その一歩を、私も共に進もうと思う……この国と、この時代のすべての人と」
イリスは、その言葉を聞いて、ゆっくりと頷く。
それは祈りではなかった。
それは、歩んできた道を信じて、前を向こうとする意志のようなもの。
「……きっと、大丈夫です。
私たちの夜空には、もう嘘がありませんから」
――星は、音もなく輝いている。
変わらないものなど、何ひとつないこの世界で、
変わらずに瞬く光が、今日という時間を静かに包んでいた。
そして――
明日が来る。
イリスは、そっと囁いた。
「……さあ、帰ろう。私たちの場所へ」
夜空を微かに流れ星が一筋、
王都の空を、静かに横切っていった。
その光は、まるで国そのものが、新たな未来へと歩み出す合図のように。
「願いを、込めて」
イリスが囁く。
それに応えるように、星がまたひとつ瞬いた。
――やがて、夜が明ける。
そしてそれは、誰かの祈りに応えた、真なる“夜明け”になるのだろう。




