密議:隠された目覚めと迫る影
王の寝所から戻った一行は、
レオノールの執務室へと足を踏み入れた。
厚い絨毯が足音を吸い取り、重い扉が、静かに閉じられた。
レオノールはすっと片手をあげると、部屋の封印結界に己の魔力を流した。
「……これで、内側からの音も魔力も漏れない。
今宵、ここで語ることは、誰の目にも耳にも届かぬ」
そう告げる声には、いつにも増して張りつめた気配が宿っていた。
「――父上の復活は、まだ伏せておく。あの男に気取られるわけにはいかない。
奴にとって“最悪の障害”になるからな」
静かに放たれたその言葉が、部屋の空気を一段と引き締めた。
ラーデンが頷き、低く言う。
「……はい。迂闊に動けば、公爵は気づく。
王が目覚めたという事実だけで、彼は即座に次の手を出してくるでしょう。
それが“暗殺”であれ、“更なる記憶の改組”であれ……」
その声には、かつて仕えていた者としての実感と、深い警戒が滲んでいた。
レオノールが頷く。
「奴は、すでに『星祈の儀』を、手中に収めたつもりでいる。
だが、我々にとって、それが唯一の“逆転の機”だ。
そこに父上が現れ、真正の契約がなされれば――奴の野望は完全に潰える」
ラーデンは視線を落とし、言葉を紡ぐ。
「だが、油断はできません。
公爵は長年に渡って“神殿の内側”に手を回してきました。
星祈の儀式は本来、王と巫女の魂を交差させ、星と契約を結ぶ神聖な儀。
……おそらく、単に巫女を取り込む程度では終わらない。
儀式そのものの“構造”を、改ざんしているはずです」
「……構造を……改ざんする?」
ルヴィアンの問いに、ラーデンは低く唸る。
「ああ。“契約の書き換え”だ。
星との繋がりそのものを、王家からエスラ家へ、
つまり”エスラ家と巫女”との契約へ、書き換えようとしている。
それが公爵の本当の狙いだろう」
イリスはわずかに息を飲んだ。
魂と魂の誓い――それを歪められるなど、思ってもみなかった。
星祈の儀――それは、戴冠の儀を経た巫女が正式に王家と魂の契約を結び、
星の加護を国全体へと結び直す、王国における最も神聖な儀式。
そこに偽りが混じれば、国の星脈そのものが狂い、歪む。
「何ということを……!」
イリスの瞳が揺れる。
「神殿の長老たちは……?」
「一部は買収されている。あるいは脅されているか。記憶操作も含めてな。
しかも儀式に用いられる契約紋や祭具、立ち会う神官や騎士団の長ですら、
本当に“王家と巫女のため”に動いているかは……保証できない」
ラーデンの口元が一瞬だけ歪んだ。
それは怒りよりも冷たい断定だった。
「――そう。だが、奴にとって“最大の想定外”は……」
レオノールが灰銀の瞳をイリスに向ける。
「君が、”星の記憶”と正式に繋がり、覚醒したことだ。
それを公爵は知らない。今も多分、君を“星の器”としか見ていない。
その慢心は、こちらにとって武器になる」
イリスは、静かに頷く。
「そして……奴にとっての第二の想定外は――」
レオノールの視線がルヴィアンに向く。
「君だよ、ルヴィアン」
*
「……ルヴィアン。君は、星祈の儀には参列しない」
ルヴィアンは驚いたように顔を上げた。
「……え?」
まるで空気が変わったかのように、彼の瞳が揺れる。
「僕は、その場に立つものだと……巫女を支える、鍵として」
その声音には、問いだけではなく、僅かな困惑と警戒がにじんでいた。
「分かっている。だが――君には、王と共に離宮で待機してもらう」
一瞬、室内にざわりと魔力の気配が走った。
「どういう意味だ?」
セフィルが、語気を強める。
「ルヴィアンがいなければ、契約の力は不完全だ。
儀式の場に立たずして、どうやって……」
ラーデンが静かに手を上げ、遮った。
「……いや。レオノール様は“そうさせたくないから”こそ、言っている」
レオノールは微かに目を細めて頷いた。
「奴は、儀式そのものを改ざんするために動いている。
特に――“鍵守はセフィル一人”という前提のもとに」
「そうか……一人では、成り立たないんだ」
ルヴィアンが頷く。
「そうだ。星祈の儀式は、巫女と、”ふたり”の鍵守――。
その三者の魔力が交わって、支え合うことで成立する。
君たち二人が最初から壇に並び立ってしまうと、完全な契約構造を“敵に提供する”ことになる」
「なるほど……。
公爵が用意した改ざん印紋が、俺たちの力にうまく重ねられてしまえば、
契約そのものが、奴に都合よく成立してしまうかもしれないってことか」
セフィルが表情を曇らせながら言う。
ラーデンが頷く。
「その通りだ。
鍵守がひとりの状態、つまり鍵が片方欠けていれば、契約は不完全になる。
それが、この儀式の盾になるんだ」
「でも、それじゃイリスが危険すぎる!」
ルヴィアンが立ち上がった。
星に照らされるその瞳は、怒りと焦燥をにじませていた。
「君たちは公爵の力を知っているはずだ。
改ざん、記憶の操作、神殿の掌握……それでも、彼女を一人で――」
「一人ではない」
レオノールが断言した。
「彼女の傍には、セフィルがいる。
ラーデンもいる。
そして――私も、王家の代表として契約に立ち会う」
レオノールはわずかに息を吐く。
「……君は、最後の切り札だ。
“もう一人の鍵守”であることを、奴に知られてはならない。
契約が成り立つと確信しているからこそ、奴は油断するはずだ。
だが、最後に至る瞬間――君が現れることで、儀式のすべてを反転させ、
星環の構造が完成する。
鍵になる契約は“正しく”成立し、公爵の支配は崩壊する」
「……」
ルヴィアンは歯を食いしばった。
その手が震えているのを、イリスはそっと見つめていた。
「――君の闇を、武器に変えるんだ」
レオノールの言葉は、厳しくもあたたかかった。
「闇に共鳴する者は、その奥に潜む“影”に敏感だ。
公爵が君の気配を感じ取れば、それこそ巫女を危険にさらす。
だからこそ、君は王と共に離宮に控えていてほしい。
公爵の術は神殿に集中している。王の身の安全は、君にしか託せない。
そして――しかるべきときが来たならば、君と王、二人で祭壇に現れてもらう」
再び、静寂。
「……わかりました……」
ようやくの言葉は、低く、絞り出すようだった。
だがその瞳には、明確な覚悟が灯っていた。
ルヴィアンは静かに座り直し、レオノールをまっすぐに見つめる。
「星祈の夜――僕の役割が“欠けた鍵”ならば、最後まで伏せて、待ちます。
……すべてを、護るために」
レオノールは僅かに口元を緩め、頷いた。
「君の出番は、最後だ。
それまでは――誰よりも遠く、そして最も近くにいてほしい」
イリスが静かにルヴィアンを見つめる。
「……ありがとう、ルヴィアン」
彼女が言うと、ルヴィアンは短く頷いて、それ以上は言葉にしなかった。
部屋の静けさは、これから始まる激震の前の、最後の静寂だった。
そして――その闇は、翌朝、神殿の奥へと忍び寄ろうとしていた。




