ゼルファードとの別れ
王宮への転移を前に、空気が静かに張り詰めていた。
魔法学園、最上階の学園長室。
ゼルファードは、静かに四人を迎え入れた。
その瞳の奥には、深い思いがにじんでいた。
「……やはり、王宮へ行くのだな」
彼の声は、静かだった。既に全てを理解していた。
止めることも、励ますことも選ばず、ただその決意を受け止めていた。
「……はい、ゼルファード先生……」
イリスは真っすぐに頷いた。
「……今なら──今の私たちなら、きっと陛下を救えると……」
「そうか……」
ゼルファードは静かに頷き、イリスたち一人一人の顔を確かめるように見つめた。
セフィル、ルヴィアン、ラーデン──その背に託された未来を、彼は誰よりも信じている。
「無理はするな。……だが、止めはしない。
君たちは、もう”決めた”のだろう?」
ゼルファードは言うと、彼らに向かい、
目を瞑るとそっと杖を掲げた。
杖の先に浮かぶのは、淡く輝く星の紋。
その中心から、静かな魔力が溢れ出し、四人を包む。
「私の名において、君たちに“加護”を授けよう。
どんな闇に触れても、魂が揺らがぬように。
決して、己を見失わぬように。
そして──帰る場所を忘れぬように」
静かな光が、四人の星の紋章を通じて、心に、全身に、ゆっくりと沁み渡っていく。
それは魔法というよりも、祈りに近かった。
光が消える。
「……ありがとうございます、先生……」
イリスはそのまま口を開こうとして、ふいに言葉を止めた。
目の奥に熱が溜まる。
唇を噛み、涙を抑える。
凛とあろうとするほど、感情は揺れた。
「先生……わたし……っ」
声が詰まる。
そう呟いた瞬間、思いがこぼれそうになって──彼女は俯いた。
その肩が小さく震えていた。
ゼルファードは、黙ってその様子を見つめると、
そっと一歩近づき、彼女の背に手を置いた。
まるで幼子をあやすように、優しく。
その手は、言葉よりも深く、彼女の不安を包み込んでいく。
「……怖いと思うのは、弱さではない。
立ち尽くすほどの闇の前に立って、それでも歩もうとする君を……私は誇りに思う。
そして……君は、独りではない。
進む道の先にも、振り返った先にも、仲間がいる」
低く、静かな声が響く。
イリスは、その言葉に、背に置かれた手の温もりに、息を詰まらせる。
彼女は……泣かなかった。
歯を食いしばり、唇を引き結んだ。
胸の奥にあるものを、必死に、必死に押し殺していた。
――ただ、一粒、ほろりと涙が落ちただけ。
イリスの肩が、ほんのわずかに震えた。
だが次の瞬間、彼女はしっかりと顔を上げる。
「先生……必ず、戻ってきます」
「……ああ。君が戻る場所は、ここにある」
ゼルファードは手を離す。
「さあ、行け。
……君たちの願いが、王を、世界を救う光となるように」
イリスは頷き、仲間たちの元へと歩み出す。
ーーイリスは、静かに手を組むと、祈った。
強い意志と願いを重ね、レオノールの元へ、と。
床に星の紋が浮かび、光が高まり、魔力が脈打ち始める。
――転移の光が包みこみ、彼らが光の中に消えていく。
消えゆく姿に向け、ゼルファードは声にならぬ祈りを送る。
「必ず――帰って来い。必ずだ──!!」
――残された部屋に、静寂が降りる。
ゼルファードはしばらく立ち尽くしていた。
やがて転移陣の中心にゆっくりと歩み寄り、膝をつく。
手をかざすと、まだかすかに残っていた魔力の余韻が、彼の指先に触れた。
「……彼らは進んだ。ならば、私はこの場所を守るだけだ」
──どうか、無事で。どうか、未来へ。
静かな祈りが、ひとときこの場所を満たした。
そしてゼルファードは立ち上がる。
彼が守るべき学び舎と、大切な者たちの“帰る場所”を、失わせないために。




