帰還
星脈の光に包まれた扉が、静かに揺らめきながら収束してゆく。
イリスを先頭に、四人の若者たちが静かに姿を現した。
「……戻ったか」
その一言に込められたのは、静かな祈りのようなものだった。
彼らを迎えたのは、老練の魔法使いにして賢者。
魔法学園の学園長、ゼルファード。
「……イリス」
彼はまじまじと、イリスの瞳を見つめる。
その瞳は、もう以前のものではなかった。
金の瞳。そして虹色の虹彩。
星の記憶を宿した証が、その眼差しに宿っていた。
どこか遠くを見つめるような、けれど確かな意志を宿す目。
ゼルファードは、そっと彼女の肩に手を置いた。
深く、重く、何かを噛みしめるように──。
「……よくぞ……この運命を、受け入れたな」
その声には、幾重もの想いが込められていた。
その言葉は、称賛でも労いでもなく、ただ一人の師としての、魂の言葉だった。
「はい……先生」
イリスは静かに頷き、ゼルファードを見上げて微笑む。
「……無事で何よりだ。君たちは、星の導きを超えてきた」
ゼルファードの眼差しが、彼ら全員に向けられる。
「……今夜は、星の加護が穏やかに降っている。まずは休むといい。
部屋は各自に用意してある。明日からのことは、それからだ。
今夜は……少しだけ、この静けさに身を預けるといいだろう」
ラーデンが一礼し、セフィルとルヴィアンは、少し安堵した表情を見せた。
だがイリスは、一歩出て言う。
「……先生。
私は、自分の寮の部屋へ……戻ります」
ゼルファードは頷いた。
*
星脈の扉をくぐり、世界へ戻ってきたその足で、イリスはひとり、学園寮へ向かっていた。
他の仲間たちは、それぞれ客間へと案内されたが、
彼女だけは「寮の自室に戻る」と言い残し、夜の渡り廊下を静かに歩いていた。
ひと気のない学園棟は、深夜の帳に包まれていて、
かつての騒がしさが嘘のように静まり返っている。
南棟、三階の一角。
小さな部屋の前で足を止めたイリスは、扉にそっと手をかけた。
木製の取っ手は、あの頃と変わらぬ感触だった。
カチリ。
軽い音を立てて、扉が開く。
そこには──以前と何も変わらぬ、自分だけの空間があった。
窓辺に置かれた鉢植えのハーブ。
机の上に積まれた本の山と、羽根ペンの入った瓶。
壁際の小さな鏡台と、読みかけの詩集。
淡い青のカーテンが、夜風にかすかに揺れている。
灯りもつけぬまま、イリスはそのまま部屋の中央に立ち尽くした。
何も言わなければ、まるで昨日までここで暮らしていたかのような気さえする。
でも、もうすべてが違う。
この部屋も、学園も、そして──自分自身も。
イリスは、そっと唇を開いた。
「……ただいま」
誰もいない部屋に、小さな声が落ちる。
でもその言葉は、不思議と空虚ではなかった。
木々や壁や布までもが、その声を記憶しているかのように、やさしく響きを返してくれる。
イリスは鞄を机に置くと、
椅子を引いて静かに座った。
窓の外には、夜の星が瞬いている。
遠い、けれど確かに繋がる光。
彼女は、そっと目を閉じた。
──思い出す。
ここで書いた手紙。
課題や試験を頑張った日々。
「先輩!」と呼ばれて、なんだか照れくさく……嬉しかった日。
――そして。
セフィルと初めて出会った日。
星の記憶を夢に見て、ひとり泣いた朝。
そのすべてが、いま胸の奥で静かに光っていた。
それは、もう戻らない日々。
でも、消えることのない日々。
だからこそ──
やがて、イリスは椅子から立ち上がる。
カーテンを閉め、机の本にそっと触れ、扉の前に立つ。
ドアノブに手をかける前に、一度だけ振り返った。
ここにいた少女に、何かを伝えるように。
あるいは、これから歩き出す自分自身に誓うように。
──そして、言った。
「……行ってきます」
その言葉は、静かに、けれど確かに部屋に刻まれた。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
部屋はまた、静寂に包まれる。
けれど、どこか、少しだけ……あたたかかった。




