星環の継承、宵闇の光羽
その時だった。
再び、泉が微かな光を放つ。
まるで最後の導きのように、泉の底から、一筋の光が浮かび上がった。
それは小さな光の粒となり、四人の周囲を巡りながら、そっと語りかける。
《――星の環、目覚めたり――》
ふと、イリスの右手が微かに震えた。
銀に漆黒の石をはめ込んだあの指輪が、温もりを失い、するりと指から滑り落ちる。
そして落下することなく、ふわりと宙に浮かんだ。
「……え……?」
イリスが呟いた瞬間、胸元のペンダントもまた、ふわりとほどけ、
淡い光を帯びながら静かに浮かび上がる。
星をかたどったその結晶は、鼓動のように淡く明滅していた。
セフィルの右手の腕輪もまた、静かに外れると、
泉の上空へと引き寄せられるように舞い上がる。
三つの宝具が、星の輝きに抱かれながら、泉の中央に浮かんだ。
その時だった。
音が、消えた。
水音さえも止んだこの世界に──
星が、咲いた。
泉の上、星環紋から、無数の光の粒子が降り注いだ。
三つの宝具は、ゆっくりと回転しながら近づき合い、やがてまばゆい光に包まれ──
──砕けた。
きらめく光の破片が宙に舞い、
やがて新たな形を織り上げるように降りてくる。
一番に、イリスの胸元へ。
金色に輝く新たなペンダントが、静かに形を成した。
「……これは……!」
イリスが手を添えた瞬間、ペンダントがふわりと光を返し、
彼女に呼応するように波打った。
それは”星の巫女”としての証。
もはや守られるだけの存在ではなく、”導く者”としての、目覚めの象徴だった。
続いて、光はセフィルの右手へと降りる。
彼の指に収まったのは――銀の指輪。
流れるような曲線の中に、きらめく宝玉が一つ。
それは、彼の中にある”光を受け止める意志”を象徴するような、
清冽な輝きを宿していた。
彼はそれを、指先でそっと撫でた。
「これが……俺の……宝具」
次に、蒼い光が静かに灯った。
それは、ルヴィアンの左手へと導かれ、そっと指へはまる。
――蒼の指輪。
それはセフィルのものとは対を成すように、蒼く、静謐な光を放つ漆黒の宝玉。
内なる闇すら包みこむような深い色合い。
過去を、そして痛みを抱えたままなお、人を守ろうとする“影の心”がそこに象られていた。
誰もがその美しさに息を呑む中、
ルヴィアンだけは静かに目を伏せ、指輪を受け入れた。
「……記憶が……流れ込んでくる。
けど、痛くない。今はもう、過去に縛られていないって……。
そんな感じがする」
それだけを静かに告げる彼の声は、
どこまでも静謐で、どこまでも確かだった。
そして、最後に現れたのは──紅の光。
それは一瞬、燃えるような力強さをもって空間を揺るがせたかと思うと、
まるで脈動する意思のように、ラーデンの左手へと走り、腕に絡みつく。
――紅の腕輪。
繊細な、銀の意匠の中心にある紅の宝玉は、
燃えさかる炎ではなく、熾火のような光をたたえている。
静かに、けれども決して揺らがぬ意志。
誰よりも鋭敏な心を持ち、それでもなお他者と共鳴しようとする、秘めたる強さの象徴だった。
ラーデンはゆっくりと視線を落とし、その紅い輝きを見つめた。
「……なるほど。この腕輪は、誰かのために戦う力じゃない。
俺が、俺自身として立つための……その証だな」
彼が拳を握ると、腕輪の宝玉が、ひときわ強く脈打った。
そして。
四つの新たな宝具が、それぞれの主に帰属したそのとき──
天上から降るかのように、一条の光が泉を照らした。
*
イリスの肩に、ずっと静かに寄り添っていた小さな守護獣が、ふと震えるように羽ばたいた。
「……ルミナウル?」
イリスがそっと名を呼ぶ。
だがルミナウルは振り向かず、ただ静かに宙へ舞い上がると、
まるで星々の懐に溶け込むかのように、
光の粒へと姿をほどいていった。
「……ルミナウル……!!」
その小さな体が、まばゆい銀光に包まれていく。
光は泉の上空に集い、ゆっくりと編まれていく。
その姿はやがて、一羽の新たな神獣として形を成す。
──宵闇の光羽。
名を、ルミナ・ノクス。
黒に近い深い紺色の羽毛。
その羽先には、微かに瞬く星の粒が浮かんでいる。
瞳には淡く月光が宿り、静けさの奥に、叡智の光が燃えていた。
イリスはただ、その変化を見つめていた。
違う──これは、もう私の守護獣ではない。
イリスがもはや「守られる存在」でなくなった今、
ルミナウルもまた、
その役目を変えるときを迎えたのだ。
ルミナ・ノクスは、迷うことなく、音もなく降りてくる。
その先にいたのは──ルヴィアン。
誰よりも静かな魂を持ち、誰よりも深く闇を知る者。
それでも、闇に呑まれぬ意志を秘めた者。
ルヴィアンは、ほんの一瞬だけ目を見開いた。
「……僕、に……?」
彼は呟いた。
ルミナ・ノクスは静かにルヴィアンの肩へと舞い降り、身を預ける。
その姿は、まるで影に灯る小さな星だった。
ルヴィアンの手が、ゆっくりと羽根へと伸びる。
ごく自然に。まるで、何度もこうしてきたかのように。
「……お前は、もう“光”のそばにいなくてもいいんだな」
誰に向けた言葉かは、彼自身にもわからなかった。
だが、ルミナ・ノクスの瞳が静かに瞬き、応えるように羽を震わせる。
イリスは、その様子を見つめながら、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、ルミナウル。
いいえ、今はもう、ルミナ・ノクスなのね。
──わたしを支えてくれて、ありがとう。
……あなたは、新しい使命を見つけたのね」
静寂が降りる。
──そして、最初にその静けさを破ったのは、セフィルだった。
「……そうか」
その声は低く、だが深く響いた。
目を細める彼の表情には、どこか満ち足りたものがあった。
「イリスが“導く者”となった今、
ノクスが選ぶのは、光を背負う者ではなく、光を守ろうとする者。
……お前だ、ルヴィアン」
淡く笑みを浮かべ、セフィルは静かに続けた。
「闇の中に身を置きながらも、決して目を逸らさず、
遠くで瞬く微かな星を、見失わずにいたお前だからこそだ」
ルヴィアンは答えなかった。
ただその横顔に、静かな決意が宿っただけだった。
そして、その背後から、もう一人の声が届く。
「……不思議だな」
ラーデンだった。
彼は腕を組んだまま、微かに首を傾げ、ノクスとルヴィアンを見つめている。
「誰よりも孤独だったお前が、
今、いちばん自然に誰かと繋がって見える。
……皮肉でも奇跡でもなく、それは“宿命”ってやつかもしれないな」
一歩、ゆっくりと歩み寄る。
「ノクスがそばにいることで、お前が何かを取り戻せるなら──
俺は、それを祝福するよ」
星環は、そうしてまたひとつの絆を結んだ。




