封印の残響
空間が沈黙していた。
封印の核が崩れ落ち、ルヴィアンはセフィルの腕の中で、静かに呼吸をしている。
だが、その静寂の底――沈んでいたものが、蠢いた。
「……これは……!」
イリスが身を震わせた。
塔の下層から、冷たく、鋭く、悪意に満ちた気配が這い上がってくる。
それは、今までのような“封印の防衛本能”ではない。
まるで、自我を持ち、誰かの意志として――彼らを見下ろす“目”のような存在。
「感じるか……あれは、ルヴィアンを蝕んでいた本体じゃない。だが――」
ラーデンが低く唸る。
「……本体の“影”……残響だ。
塔そのものに潜み、ルヴィアンの心を喰らいながら、機を伺っていた」
そのとき――
「もう……大丈夫だよ」
穏やかで、どこか儚げな声が、セフィルの胸の中から漏れた。
「ルヴィアン……!」
イリスが目を見開く。
銀の髪が揺れ、ゆっくりと彼はその目を開けた。
闇に長く閉ざされていたはずのその瞳は、驚くほど静かで、澄んでいた。
「……ありがとう、みんな。ここまで来てくれて」
立ち上がろうとする彼を、セフィルが支える。
「無理はするな。まだ身体は――」
「いいんだ、これは……僕の闘いだ」
その漆黒の瞳が、まっすぐにセフィルを見返す。
「ここまで導いてくれたのは君たち。
でも、この“影”を断ち切るのは、僕自身でやらなきゃいけないんだ。
――これは、僕が受け入れるべき過去だから」
その背には、もう怯えも、迷いもなかった。
黒い霧が天井を割るように出現した。
闇の残響――本体の断片でありながら、なお人を狂わせるほどの魔力を持つ影。
《戻れ……お前の居場所は、闇の中だ》
囁くように、影がルヴィアンに語りかける。
「違うよ」
ルヴィアンの声は、澄み渡っていた。
「君は僕の一部だった。でも、もう違う。
僕はこの魂で、恐怖から逃げずに立つ。
――“光”の中にいるって決めたから」
彼の足元に、淡い星の紋章が浮かび上がる。
胸元の紋章が、三つの光と共鳴し、強く脈動した。
「……これは、“僕たちの”誓いなんだ!」
その瞬間――光が走った。
ルヴィアンの身体からあふれ出した星の光は、まるで封印の間全体を包み込むように広がっていく。
影が咆哮し、空間そのものが軋みを上げる。
「星よ――この魂に宿る誓いをもって、闇の鎖を断つ!」
両手を前に掲げ、ルヴィアンが唱えた言葉。
それは――彼の意志そのものだった。
光の刃が走る。
闇を裂き、影を断ち、塔を揺るがしていた悪意の残響が、一瞬で霧散した。
空気が一変した。
重く垂れ込めていた気配は一掃され、塔の奥まで、穏やかな静けさが戻る。
ルヴィアンはその場に膝をついた。
だが、顔は晴れやかだった。
イリスが駆け寄り、そっと彼の手を握る。
セフィルも、黙って隣に座り込む。
ラーデンが一歩下がり、彼らを見つめる。
「……揃ったな」
四つの紋章が同時に光る。
まるで、時間と空間を越え、約束された魂たちが再び交わった証のように。
イリスが、静かに目を閉じた。
「……この瞬間を、私はずっと……」
彼女の言葉に、ルヴィアンが微笑む。
「ありがとう、ニーナ。――じゃなかった、イリス」
彼らの間に、穏やかな沈黙が流れる。
「……さあ」
セフィルが沈黙を断ち切るように立ち上がる。
「ここで終わりじゃない。俺たちは……これから“世界”に向き合っていくんだ」
イリスも立ち上がる。
「ええ。魂の誓いを――今、ここに」
その言葉に呼応するように、塔の天井に星光が走る。
封印の間の石床に、三つの紋が重なり、新たな形を描き出す。
――星の誓い。
遥か古の記憶に刻まれた、世界を癒す力。
今、それが三人の意志により、目覚め始めた。
そして、塔の外――遠くに潜む、さらなる闇もまた、彼らの覚醒に気づき、目を細めていた。
星の子らよ――本当の戦いは、これからだ。




