転移――闇の前で
――光が爆ぜた。
空間が裂け、星々の粒がこぼれ落ちるようなきらめきの中、
イリスは目を閉じたまま、強く祈りを込めていた。
(ルヴィアン……お願い、無事でいて……)
「――着くぞ。構えろ」
ラーデンの低い声が響いた瞬間、重力がねじれる。
そして次の瞬間、彼らの身体はふわりと浮いたかと思うと、地面を踏みしめる感覚が戻ってきた。
足元に伝わる冷たい石の感触。
空気は――重く、湿っている。
それは、魔力の澱み。
時を止めたまま、閉ざされた空間特有の、異質な静寂だった。
「ここは……?塔の封印区画……?」
イリスは目を開け、周囲を見回す。
古の紋様が浮かび上がる黒曜石の床。
壁には脈動するように淡い光の筋が走っていたが、
そのいくつかは、まるで黒い苔に覆われたように闇の波紋を滲ませていた。
セフィルが一歩、イリスの前に出る。
「……この結界、既に歪みかけてる。封印が……喰われているんだ。何者かの“闇”に」
「間違いない。これは……エスラ公爵系統特有の干渉だ。
塔の結界に侵入するとは……よほど強力な“印”が使われているようだ」
ラーデンが短く息を吐いた。
イリスの星の紋章が、微かに光を放ち始めた。
「……封印の核が――呼んでる」
イリスははっと顔を上げる。
それはまるで、“向こう側”からの返事のようだった。
「ルヴィアン……!」
イリスは自然と足を進めた。
重く、沈黙が支配する通路を、一歩ずつ進むたび、空気はさらに重さを増していく。
まるで、魂ごと引きずり込まれるような重圧。
星の巫女であるイリスでさえ、息が詰まりそうになるほどの“闇の呪圧”が満ちていた。
「この感じ……ただの魔力じゃない。
精神に直接訴えかけてくるような……“意志”がある」
セフィルが唇を噛む。
そのとき――
『――来るな……』
声なき声が、イリスの中に届いた。
男の声。優しさと絶望が混ざり合った、かつての“あの人”の声。
「ルヴィアン……? ……私よ。イリス。聞こえる?」
彼女がそう呼びかけた瞬間、空気が一変した。
結界の奥、封印の間へと続く石の扉が、鈍く呻くような音を立てて開き始める。
「……開いた?」
「いや――違う。開かされた。内側から……!」
ラーデンが顔をしかめた。
その奥から――濃密な“闇”の霧が、這い出してくる。
黒く、渦巻く、言葉にならない悪意の奔流。
だがその中心に、微かに残された“光”があった。
その光は、未だ封じられた男の魂――ルヴィアンの最後の意志だった。
『イリス……来るな……僕はもう、戻れない。
君を……傷つけたくないんだ……!』
彼の声は悲痛だった。だが、その叫びの裏に、確かに“希望”の余地が残されていた。
「それでも行くわ。あなたは、私たちの仲間――
ルヴィアン、あなたがいなければ、王は、世界は、救えない……!」
イリスは叫びながら、扉の先へと足を踏み入れた。
後に続くセフィルとラーデンもまた、ためらいなくその闇へと身を投じる。
星紋の塔の最奥。
彼らを待つのは――
まだ完全には“闇に堕ちていない魂”、ルヴィアン。
そして、封印を打ち破ろうとする“何か”の気配が、静かに彼らを睨んでいた。
封印は、いま揺らいでいる。
光が届くのか、それとも――
“闇”に呑まれるのか。
その運命の境目に、三人の足音が深く刻まれていった。




