ゼルファードの察知
夜の帳が静かに降りた星紋の塔。
空は晴れ、星々はいつもと変わらず瞬いていたが、
塔の最上層、封印領域を囲む空間には、微かに湿ったような“淀み”が漂っていた。
眼には映らず、肌にも感じぬ。
だが、魔力に敏感な者だけが察する異質な歪みが、空間にひそやかに広がっていた。
その波動に、誰よりも早く気づいたのは――
塔の守護者にして魔法学園の長、ゼルファードであった。
書斎の奥、結界盤の反応を確かめていたそのとき、
彼の感覚に、針のような“異物”が突き刺さった。
ゼルファードはその気配を感じた瞬間、全身の魔力が逆流するような感覚に襲われた。
「……これは……?」
彼はすぐに魔力の流れを追う。
その異物は、ごく微弱な反応だった。普通の魔導士なら見逃していただろう。
だが、それが塔の根幹魔力――
特に、封印核と連動する結界域に影響を及ぼしていると知った瞬間、
ゼルファードの表情が凍りついた。
「まさか……」
ゼルファードは即座に杖を取ると身を翻し、塔内の制御陣へと向かう。
何層にも結界を張り巡らせた内部を通過し、核心部の結界盤に手をかざした。
魔力感知陣が淡く発光し、異常を知らせる赤い紋が静かに浮かび上がる。
「……起爆の……印。こんな場所に……!」
そこで彼が目にしたものは、淡く残された“刻印”だった。
誰かが、塔の基幹結界に、魔力の“起爆印”を仕込んでいたのだ。
それは単なる破壊ではなく、封印を内側から逆流させ、喰い破らせるための呪式。
その意図を理解した瞬間、ゼルファードの表情は凍りついた。
「……封印を、内側から壊す気か。
外からではなく、“自身”の力を逆流させて……!」
もしこれが発動すれば、塔全体に張り巡らされた封印構造は反転し、
内側にある“存在”――ルヴィアンが自らの力に呑まれる形で、封印が崩壊する。
封印を外から壊すのではなく、中から喰い破らせる――
これは、闇の系譜に連なる者たちが用いる、最も忌まわしき術の一つ。
起爆印は巧妙だった。
古い結界層の“死角”に重ねられ、塔の防衛機構ですら、完全には検知できないほどだった。
ゼルファードが怒りに震える。
「……ディアストレ……奴の仕業か……!」
起爆印に、わずかに残された魔力の“濁り”に、既視感があった。
呪紋の魔力配列には、心の奥底を侵し、操る術に共通する揺らぎがあった。
あの男――
ディアストレ・ヴァン・エスラ公爵が用いる魔術体系に酷似していたのだ。
それは、公爵一族に特有の魔術――闇に属する精神侵蝕の系譜。
「……封印の、真意に辿り着いたか。
貴様の狙いは……やはり、彼ーーか」
かつて星の巫女のために闇を内包し、その身を代償に塔へ封じられた者。
完全には浄化されず、なおもその内に“古の闇”を宿した存在。
もしルヴィアンが、外からの干渉ではなく、“内側”から封印を破ってしまえば――
彼は、自分を支えていた理性ごと、今度こそ”純粋なる“闇”と化してしまう。
それはこの国に、ひいては世界に、決して癒せぬ傷を刻むことになるだろう。
それを目覚めさせ、使役しようと目論むのは――
闇の血を継ぐ者にとって、あまりに魅力的な“駒”である。
ゼルファードはすぐに、学園内の魔導士を招集し、封印区画の緊急封鎖を命じた。
異常波動を最小限に封じ込めるため、塔の結界を再構築しつつ、
ルヴィアンの封印部に繋がる転移経路を、完全遮断する。
結界構造の再編、印の隔離、封印核への補助魔力の注入。
ゼルファードは、制御陣の周囲に、防壁と封鎖結界を幾重にも再構成し始めた。
あまりに精密な術であったため、完全に解呪するには時間がかかる。
「……時間はそう残されていない。
急げ……君たち。
彼が、完全に“闇”へ堕ちる前に……!
きっと君たちが感じ取ってくれると信じている。
この塔の悲鳴を……そして、彼の魂の叫びを」
ゼルファードは、結界盤に手を当てる。
その額には、かすかに汗が滲んでいた。
夜空に浮かぶ星々は、何事もなかったかのように瞬いている。
だが――その静寂の下で――
封印は、いま静かに軋み始めていた。
そしてその運命は、星の巫女に託されようとしていた。




