戴冠祝賀の夜
その夜、王宮の大広間は、星の光に彩られていた。
戴冠の儀式を終えた星の巫女――イリス・ヴァレンティアのために、
王都各地から高官や貴族、魔導師団の要人たちが一堂に会していた。
天井には魔法で作られた星の天蓋が広がり、
壁面の鏡がそれを映して、まるで天と地が交差するような幻想的な空間となっていた。
イリスは、王家から授かった正式な白銀の装束に身を包み、
その胸元には星のペンダントが輝いている。
彼女はこの日――王家と国とを繋ぐ「癒しの巫女」として迎えられたのだった。
人々の視線が、彼女に集まる。
だがそれは、純粋な賞賛ばかりではなかった。
王族、貴族、軍の要職……
それぞれが、それぞれの「思惑」を抱きながら、星の巫女という存在を測っていた。
その中で、レオノール・ヴァン・アルセリオ第一王子は、
王族の代表として、壇上から簡潔な祝辞を述べた。
「我が王国は、今、新たな時代の岐路に立たされている。
古より伝わる“星の記憶”が再びこの地に降りた今、
星の巫女と共に歩むことこそが、未来を切り拓く第一歩だ」
彼は終始、淡々とした調子を崩さず、
まるで、国の未来のために、必要な戦力を紹介しているかのようだった。
*
一方、ディアストレ・ヴァン・エスラ公爵は、
祝賀の場でも相変わらず礼儀正しく、柔らかい口調で人々に語っていた。
「星の巫女が再び我が王国に現れたこと、
これはきっと、時代の変革と繁栄の訪れでありましょう」
そう言って杯を掲げたとき、
その笑顔の奥に、”ほの昏い何か”感じた者もいただろう。
だが――誰もそれを口には出さなかった。
*
王宮の大広間は、まばゆい光と笑顔に満ちていた。
けれど、それらの華やぎの下には、
誰にも言葉にできない「何か」がひそやかに満ちていた。
ラーデン・ノアクレストは、
その“沈黙のざわめき”の中心に、無言で立っていた。
――共鳴体質。
この世界の“気”や“心の動き”に、触れれば触れるほど響いてくる厄介な体質。
それゆえに、彼は人ごみや社交の場を苦手としていた。
だが今日は、逃れられない立場にあった。
エスラ公爵の名のもとに、“協定の立会人”として出席しつつ、
星の巫女と鍵守を護る使命を、密かに背負っていたからだ。
(第一王子の気配が……まるで読めない)
レオノール・ヴァン・アルセリオ。
聡明で冷徹――だが、それだけではない何かが、ラーデンの中で引っかかっていた。
他人の感情や思考の端をすぐに感じ取ってしまうこの体質ですら、
レオノールの“本心”には、一切届かない。
まるで彼自身が、感情を“封じた領域”に閉じこもっているかのように――
そんな折。
レオノールが、星の巫女――イリス・ヴァレンティアに歩み寄った。
彼は、誰にも聞こえぬほどの距離で、
イリスに向かって、グラスを差し出した。
「――疲れたか?……水でも飲むか?」
ただそれだけの言葉。
「……ありがとう……ございます」
グラスを受け取ったその瞬間――
イリスの視線が、ふと揺れた。
そして。
レオノールの瞳が、静かにイリスを見つめたまま、まばたきを一つする。
そのわずか数秒――
外からは何の変化もなかった。
傍目には、王子が巫女に、水の入ったグラスをただ差し出しただけに見えただろう。
だが――ラーデンには、“何か”が伝わってきた。
(……共鳴した? 今――何か、交わされた?)
レオノールとイリスの間に、確かに一瞬、“震え”が走った。
咄嗟に探ろうとするも、その”揺らぎ”は、驚くほどの速さで遮断された。
言葉ではなく……だがそれは確かに、心を通わせる何か。
(第一王子から……イリスに……何かが渡った)
ラーデンは、一気に警戒を強める。
(奴は……何をした――?)
だがそれ以上、共鳴は読み取れなかった。
王子は、いつもの仮面のような無表情で、軽く会釈をすると去っていく。
イリスは、その背をただ静かに見送っていた。
(見事な仮面……だが、)
ラーデンはそっとイリスを見やった。
彼女のまなざしは、静かに熱を宿していた。
誠実な祈りに触れた者だけが持つ光。
(やはり……何かが、“通じた”)
彼には、それ以上のことは分からなかった。
星の巫女の祝賀会。
その一角で、誰にも気づかれぬまま、
運命は少しだけ――動いたのだった。




