謁見の間
イリス・ヴァレンティアが、神殿で”星の記憶”に共鳴した翌朝。
その影響は王都全体に波紋のように広がっていた。
神殿の魔術結界がかすかに震え、天空の星脈が僅かに揺れたと、
複数の高位魔導士が報告していた。
星の巫女が、本格的に目覚め始めた――
それは、多数の者には歓喜であり、一部の者たちにとっては……脅威でもあった。
神殿から王宮へと馬車で向かう途中、イリスの心は静かに波打っていた。
これから会うのは――王家の中枢に最も近い者たち。
「第一王子……レオノール殿下、か……」
セフィルが隣で呟く。
*
「星の巫女イリス・ヴァレンティア殿、鍵守セフィル殿、
評議会執行官ラーデン・ノアクレスト卿、ご到着です」
重厚な扉が開き、黄金の装飾が施された謁見の間へと三人は通された。
居並ぶ者たちの向こう――第一王子と、エスラ公爵の姿が見える。
イリスとセフィルの後ろにラーデンが控え、礼を執る。
エスラ公爵が口を開く。
「星の巫女――イリス・ヴァレンティア殿。
あなた様が神殿にて『星の記憶』と深く共鳴したことは、
すでに報告を受けております。
王国の未来にとって、誠に興味深い兆しであると受け止めておりますよ」
その声は穏やかで、空気をなでるようだった。
だが、イリスはその響きの奥に、“とても冷たい何か”を感じた。
エスラ公爵は傍らの王子を見やる。
王子は頷くと、口を開いた。
「……我が王――父王は、体調により本日の謁見には臨めぬ。
よって、王家を代表して、私が言葉を伝える」
玉座に座るレオノールが、冷ややかな声で言った。
その目は深く、何かを計るように、まっすぐにイリスを見ていた。
「イリス・ヴァレンティア。星の巫女。
王国より正式な見解を伝える。
その力が真に確かなものであるならば――」
一瞬の間。
「……君は神の器であり、王家の宝でもある。
その力を、王国の安定のために――”正しく使う”必要がある。
王家として、君の力を、この国の運営の一端として、適切に“管理”させてもらう所存だ」
(管理……だと?)
その言葉に、セフィルが眉をひそめる。
――“管理”。
それは、力を「貸してほしい」という願いではない。
「支配の枠に組み込みたい」という意思だ。
イリスはわずかに目を伏せた。
だが――すぐに顔を上げ、凛とした声で告げる。
「……恐れながら。私の力は、“命ずるままに使われる”ものではありません。
この国と、その人々のためにあろうとする心に応えるものです。
――意志なき従属では、星の光も、力を貸してはくれません」
イリスは、王子と公爵をまっすぐに見据える。
「私は、力を利用されるために存在するのではありません。
私は、この国の人々を“癒す”ために在る。
王家のご意志に沿う形であっても、決して“道具”ではないと、申し上げます」
「……何という……不敬な……!!」
魔導士たちがざわめき、謁見の間の空気が、すっと冷たくなる。
公爵が、にこりと笑みを深めた。
「お言葉、確かに。
……だが、巫女殿。あなたの力は“導かれるため”にある。
それが“星の意志”というものではありませんかな?」
「導く、とは――“意志を尊重する”ことではないのですか?」
イリスの声は、淡々としていた。
だがその内には、揺るがぬ“覚悟”があった。
公爵はわずかに笑った。
「ご立派なお考えですね。ですが、巫女殿。
かつての“癒し手の王”も、その力を王国のために使いました。
――民を救い、国を統べる。それこそが、“星の導き”というものでしょう」
彼の声音は穏やかで、耳に心地よい。だが、その奥底にあるものは――
イリスは目を逸らさず、一歩も引かなかった。
「私は、誰かの下に在るためではなく、
“共に在る”ために、この地に呼ばれたのです」
それを聞いた瞬間――レオノールの目が、微かに細まった。
「……なるほど」
レオノールの一言で、謁見の間に沈黙が戻る。
「それを決めるのは、君ではない。
君の意志は尊重されるべきだが、王国全体の命運を左右する立場に立つ以上、
君個人の自由は、後回しにせねばならないこともある……理解しているとは思うが」
レオノールの表情は崩れない。
「ならばこそ、その力を“正しく”活かしてほしい。
王家と共にある道を選ぶのなら……それが、君自身の意志だというのなら。
いずれにせよ、王家としては君に“重大な役割”を担ってもらうことになる」
彼は言葉を選びながら、あえて一言、重ねた。
「――君の力を、我々は責任をもって、”管理”させてもらおう」
イリスは真っ直ぐに頷いた。
「……“共に在る”と、信じられるのなら」
エスラ公爵は、笑みを崩さず、そのやり取りを見つめていた。
微笑みの仮面の下に、黒い意志を宿して。
レオノールは立ち上がると、振り返って言った。
「今宵、神殿にて“戴冠の儀式”を行う。
巫女として、王家との契約を交わす儀だ。
……ぜひ、晴れやかに臨んでほしい。王国が見ている」
そう言い残し、第一王子は扉の奥へと姿を消した。
*
謁見後、控えの間で、ラーデンが静かに口を開いた。
「どうだった……王子との対面は」
「笑顔の下に剣があったわ」
イリスは短く答えた。
「ああ。あれが“王家のやり方”だ」
ラーデンも口元を引き結ぶ。
「――でも、私はもう迷わない。
ニーナが残してくれたぬくもりが、私の中で動き始めてる。
ここから先、私は“誰かのために”でなく、“私自身の意志”で歩く」
「……そうだな。君は星の巫女である前に、イリス・ヴァレンティアだ」
ラーデンの声には、深い敬意があった。




