記憶の目覚め
夜が深まり、星紋の塔の灯りがひとつ、またひとつと消えてゆく。
イリスは学園の寮の自室で、ベッドに横たわりながらも、眠ることができなかった。
あの出会いーー塔の最上階で光とともに現れた、”鍵守”という異世界の魔法使い。
銀の髪、金の瞳。そして……どこか懐かしい声。
『君が……”鍵”なんだね』
セフィル。
彼の名前を思い出すたび、胸の奥がかすかに疼いた。
最上階にある禁書の間。
普段は誰も近づかない、近づけないその場所に、今、彼は存在している。
イリスが扉を開き、呼び出したからこそ、この世界に現れた”鍵守の魂”。
彼の身体は、魔法陣の中で静かに”在る”。
けれど、イリスが心で呼びかければーー彼は姿を現す。
《……セフィル。》
ベッドに起き上がり、ふと、そう心で名前をつぶやいた瞬間ーー
魔法陣が現れ、淡く共鳴した。
空気が震え、月の光が部屋に差し込んだかと思うと、
「……イリス」
背後から聞こえたのは、彼の声だった。
振り返ると、そこに彼がいた。
銀の髪が夜の光を受けてきらめき、静かな瞳が彼女を見つめている。
まるで、それが当然かのように。
「……どうした? 呼んだのは君だろう?」
彼の姿は、触れられるほどに鮮明だった。
けれど、どこか透明な揺らぎが残る。
この世界に完全に存在しているわけではない。
今の彼はイリスの”呼び声”に応え、わずかな時間だけ具現化した姿。
「……セフィル。ねえ、私……あなたを知ってる気がするの。
ずっと前から……」
そう口にした瞬間ーー
イリスの頭の奥に鋭い閃光が走った。
ーー光、炎、祈り。
空が裂け、世界を覆いつくすように広がった、黒き魔力の嵐。
その中心に立っていたのはーー”闇纏い”
人々を操り、命を喰らい、世界の法則すら捻じ曲げる力。
燃え尽きる大地、散っていく命。
その中心で、たったひとり、光を放つ少女がいた。
白銀の魔法陣。己の血で描いた封印術式。
彼女は必死に、両手で魔力を編んでいる。
それは、命を削る禁断の術式だった。
「この命すべてを賭けても、あなたを……この世界を、守る……!」
そして、彼の名を呼ぶ声。
「セフィル……!」
炎の中、少女はその身体を差し出し、封印の呪文を唱えていた。
その手には血が滴り、光が暴れている。
そして、彼が彼女をかばうようにして ーー倒れた。
「…っ、まって……行かないで、セフィル……!」
イリスの瞳から、自然と涙がこぼれた。
これは、夢じゃない。
映像でも、ただの幻でもない。
”記憶”だ。
前世ーーこの魂が、一度命を燃やし尽くした物語。
「……私……あの時……あなたを守れなかった……!」
心の奥から、確かな名が浮かび上がる。
”ニーナ” ーーそれがかつての私の名。
目の前の彼が、かつてすべてをかけて守ってくれた相手だと、今ならわかる。
セフィルは黙って彼女を見つめていたが、やがてそっと手を伸ばした。
指先が頬に触れ、イリスの涙をすくう。
「思い出してくれたんだな、ニーナ……」
囁かれたその名に、イリスは静かにうなずいた。
その声はどこか悲しく、でもあたたかかった。
ーー前世で果たせなかった約束。
それが今再び、動き始める。
過去と未来の狭間で、”真実”へと、一歩を踏み出していく。