前世の終幕
星の扉が静かに閉ざされると同時に、
結界の光は消え、空気に凍てつくような緊張が走った。
振り返ったニーナの視線の先に立つのは、
黒き魔力に包まれた男――ルヴィアン。
かつては誰よりも繊細で、優しくて。
人々の苦しみに寄り添う“星詠み”だった彼が、
いまは深い闇の中心に立っている。
「ルヴィアン……あなたの中に残る“光”が、まだあると信じたい」
その言葉に、ルヴィアンの表情がわずかに揺れる。
しかし次の瞬間、彼の背後に、漆黒の羽根のような闇が広がった。
「君には、もう僕の中の“光”が見えないだろう」
「――それでも、見たいの。
最後まで、信じたいの」
ニーナの杖が、静かに魔力の光を帯びる。
闇と光が、対峙する。
「君は、こんな世界に抗っても……何も変えられなかった」
ルヴィアンが囁くように言った。
――それは既にルヴィアンの声ではなかった。
地を這うような、闇の声。
「救おうとした者たちは死に、助けられるはずだった命は見捨てられた。
なのに君は……なぜ、まだ信じていられる?」
その問いに、ニーナは一歩踏み出して応えた。
「……だって、私たちは“信じるために”ここにいる。
希望を繋ぐことを諦めたら、もう……私たちの魂は、どこにも行けなくなる」
ルヴィアンの闇が、うねりをあげる。
「なら……君ごと、その希望を砕くしかない!」
凄まじい黒の魔力が迸り、ニーナの足元を裂く。
彼女は瞬時に防御の結界を張り、杖を構えた。
「……ルヴィアン、ごめんなさい。
これ以上、あなたを闇に沈ませるわけにはいかない。
そして……あなたが壊れていくのを、これ以上、見たくない……!」
星の杖が輝く。
ルミナウルが呼応し、銀の光が空を裂くように羽ばたくと、
彼女の全魔力が放たれた。
ルヴィアンの魔力と交錯し、天地を引き裂くほどの衝撃が起きる。
廃墟となった神殿跡。
星脈が露出したこの場所は、封印に最も適した地だった。
ニーナは涙をこらえながら、星紋の詠唱を始めた。
「願わくば、この魂が再び巡り……。
次なる時代にて、正しき在り方で世界と繋がらんことを――」
彼女の詠唱に呼応するように、ペンダントの星の紋章が光を放ち始めた。
星紋の言葉が、一語ずつ空に浮かび、光の鎖となって広がっていく。
「この世界の名のもとに、闇が縛りし魂を、時の牢に封じる。
――星の裁きよ。
古の誓約に従い、闇を封じよ!」
ニーナの詠唱が空へと響く。
空間がひび割れ、闇が咆哮を上げる。
封印の陣が、地を駆け、天空に向かって浮かび上がる。
ルヴィアンの影が、その中央に吸い込まれるように集まっていく。
「グワァァアアア!」
闇の叫びが響く。
その声は、怒りとも悲しみともつかぬ、深く引き裂かれた心のようだった。
暴れる影。
泣き叫ぶような音。
けれどそこには、もう“彼の声”はなかった。
大地が静まり、空が閉ざされる。
風が止み、音が消える。
闇も、炎も、血の匂いも――すべてが、ひとつの場所へと収束していく。
ルヴィアンが、倒れた。
ニーナは必死に走り寄り、血に塗れたルヴィアンを両腕にかき抱く。
涙がこぼれる。
「ごめんなさい……!ごめんなさい……!!
私のせいで……!!」
ルヴィアンがゆっくりと光に包まれ、
そしてその姿がゆっくりと、闇と光の狭間に溶けていく。
「ニーナ……」
闇の声ではない。
ルヴィアンの声が聞こえた。
ルヴィアンは最後の力を振り絞って、ニーナに手を伸ばす。
「……ありがとう……。
生まれ変わって……また、君に――」
空を切り裂くように、封印の光が一閃した。
そしてその中心にあった影は、音もなく、封じられていった。
最後の一撃を放ったニーナの手から、杖がこぼれる。
ニーナは膝をつき、ただ静かに星空を見上げた。
夜空に、星が一つだけ、やわらかく瞬いていた。
「……ごめんね、ルヴィアン。
でも……私は、あなたの心を信じてる。
……ありがとう。
きっと、来世で……またあなたの名を呼ぶから――」
彼女の瞳から、静かに涙がこぼれた。
やがて魔法陣は時の中に沈んでいく。
光も、風も、戻ってこない。
そこに残されたのは、
ただ空虚な静けさと、ひとしずくの涙だけだった。
ニーナはその場に崩れ落ち、空を仰いだまま泣いていた。
それが、封印の夜。
“闇纏い”ルヴィアンがこの世界から消え、
時を越えた再会が誓われた、前世の終わりだった。
ただ一人、名を持ったまま――
誰からも忘れられ、記録にも残らぬ存在として。