静かなる封印と、囁く闇の声
夜の帳が下りる頃。
魔導飛行船は、星紋の塔上空に静かに浮かんでいた。
甲板に近い司令室で、ラーデン・ノアクレストは、魔力計測盤を覗き込んでいた。
黒衣の礼装の下に魔導軍服を隠し、硬質な指で結界制御に触れている。
何度目かの確認を終えた直後ーー警報が鳴った。
【ピィィィィ――……ッ】
「魔力計測盤、第六層に異常値……? これは……?」
ラーデンの表情が引き締まり、彼の背後に控えていた魔導士たちが顔色を変える。
「波長識別を急げ。……この数値、封印級だ。通常の歪みとは異なる」
「「「はっ!」」」
船体が静かに揺れる。
「……やはり、”鍵守”の覚醒だけでは終わらない。これは”呼応”だ。
星の巫女が目覚めたなら……“彼ら”もまた、目覚めるか」
彼の呟きは誰にも届かない。
だがその声音には、深い覚悟と、過去に触れた者だけが知る、”闇の奔流”への予感が滲んでいた。
*
同じ頃、魔法学園の学園長室ーー
高く積まれた魔導書と、星図の浮かぶ天球儀が微かに唸りを上げる。
ゼルファード学園長は、薄く開いた魔力窓を通して南東の空を見つめていた。
「……これは……まさか、闇の波動……?」
魔力盤の針が大きく跳ねる。
「“あの子”に向けて、呼んでいる……? いや、違う。
”彼女の記憶”に呼応するように、何かが……外側から、這い寄っている」
天球儀が、突如として逆回転を始めた。
古代星脈の象徴たる光点が、中央で交差し、まるで警告を告げるように煌めく。
ゼルファードの顔に、苦渋が浮かぶ。
「目覚めたか……“闇纏い”」
*
イリスはひとり、寮の自室で目を閉じたまま膝を抱えていた。
ベッドの上、眠れぬまま時だけが過ぎてゆく。
朝から始めた荷造りも、どう進めたらよいのか分からず、荷物が散乱している。
王都へ行く――彼女の胸は、得体の知れぬ不安に締め付けられていた。
「……怖くなんてない。怖くない、はずなのに」
そう呟いた瞬間だった。
視界が、白く染まり、意識が、落ちるように引き込まれた。
*
次の瞬間、彼女は黒い霧に包まれた空間に立っていた。
床には濡れたような光が走り、何もかもが沈黙している。
遠くから、誰かの足音が近づいてくる。
「また……君か」
その声に振り返ると、そこにはひとりの少年が立っていた。
黒い外套に包まれ、顔の半分を仄暗い影が覆っている。
だが、その瞳だけはひどくまっすぐで、痛みと哀しみを滲ませていた。
「あなたは……誰?」
そう問うイリスに、少年はゆっくりと微笑んだ。
「忘れたの? 君が……僕を封じたのに」
「封じ……た?」
「君が呼ばなかったから。君が選ばなかったから。
僕はただ……君の隣にいたかっただけなのに。
だから……僕は……壊れた」
冷たくも、壊れそうなその声に、イリスの胸が締めつけられる。
何か、大切なことを置き忘れてきたような痛み。
彼の言葉のひとつひとつが、奥底に眠る記憶の扉を叩く。
その時、空間が淡く歪み、別の光が差し込んだ。
右手の紋章が光る。
ルミナウルが顕れ、威嚇するように旋回する。
「イリス……戻れ」
柔らかな光が空間を裂き、セフィルの声が届く。
「それ以上、彼に近づくな。まだ……間に合う」
光が包み、視界が反転する。
イリスは息を吐きながら、寮の自室のベッドで目を覚ました。
動悸が収まらない。
「……私は……すべてを思い出したはずじゃなかった……の……?」