キャシディ 第2章②:シルヴェスター
その時、木々の間から一つの影が現れた。
キャシディは即座に反応し、低い姿勢を取る。
闇に紛れるようにナイフを構え、敵意を込めた視線を向けた。
不意の訪問者が誰であれ、この状況では容赦はできない。
「落ち着け」
低く響いた声に、キャシディの動きが一瞬止まる。
月明かりに照らされたその姿を、マキシマスは見上げた。
「シルヴェスター師匠」
マキシマスの表情が僅かに緩む。
彼はすぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。
シルヴェスターはゆっくりと歩を進める。
黒い外套が風に揺れ、その瞳には鋭い光が宿っていた。
まるで、全てを見透かすような視線だった。
「マキシマス、この娘を連れて逃げるつもりか?」
その問いは、静寂の森に沈み込むように響いた。
キャシディはナイフを握り直し、シルヴェスターの一挙一動を警戒する。
マキシマスは深く息を吸い、真剣な眼差しで答えた。
「はい。キャシディには自由に生きる権利があります」
その言葉に、シルヴェスターは微かに目を細める。
まるで、マキシマスの覚悟の重さを測るように。
「自由?」
低く呟く声には、わずかな疑念が滲んでいた。
シルヴェスターは視線をキャシディに向ける。
「お前はそれをどう思う?」
キャシディはわずかに眉をひそめる。
これまでに自分の意志を問われることなどなかった。
暗殺者として生きることが全てであり、それが疑う余地のない道だった。
「……」
言葉が詰まる。
何かを答えなければならないのに、喉が強張って動かない。
シルヴェスターは静かに見つめ続けた。
その視線は責めるものではない。
ただ、彼女が何を考えているのかを見極めようとしている。
「お前はエニグマの命令を拒んだのか?」
キャシディの心臓が大きく跳ねた。
任務放棄は、暗殺者としての生き方を捨てるに等しい。
「……」
再び口を開こうとするが、胸の奥が締め付けられるようだった。
マキシマスの言葉が脳裏に蘇る。
『君には未来がある』
果たして、自分にそんなものが許されるのか。
暗殺者として育てられた者が、自由を手にしていいのか。
「お前自身が答えを出すまで、私は待つつもりだ」
シルヴェスターの声は低く、しかしどこか穏やかだった。
彼の言葉には焦りも、威圧もなかった。
「だが、逃げるということは、お前自身がその道を選ぶということだ」
キャシディはナイフを強く握りしめる。
刃が手のひらに食い込み、じわりと痛みが広がった。
「私は……」
その言葉を最後に、キャシディは静かに目を閉じた。
風が吹き抜け、木々の間から月の光が差し込む。
彼女が進むべき道は、未だ霧の中に包まれていた。