キャシディ 第2章①:キャシディの混乱
マキシマスと共に逃げ出したキャシディの胸には、疑問と混乱が渦巻いていた。
これまでの人生で、彼女は一度たりとも任務を放棄したことはなかった。
それが誇りであり、存在証明でもあった。
幼い頃から叩き込まれた使命感が、彼女の心を苛む。
なぜ、自分は敵であるはずのマキシマスの手を取ったのか。
彼の優しい言葉や眼差しに引き寄せられるように感じたが、彼の正体すら掴めていない。
信用すべきなのか、それとも今すぐ排除すべきなのか。
答えは出ないまま、時間だけが過ぎていく。
夜の闇が支配する森の中を、二人は走り続けていた。
木々の間を縫うように進み、足音を極力殺しながら進む。
真上に浮かぶ月が、ぼんやりとした光を投げかける。
その光を頼りにしながら走るキャシディの視界は、不確かで頼りなげだった。
やがて、彼女は足を止める。
荒い息遣いが静寂の中に響く。
しかし、それは単なる疲労のせいではなかった。
「なぜ私は、あなたと逃げているの?」
声が震えた。
自分の問いに、自分が一番驚いていた。
マキシマスは立ち止まり、穏やかに彼女を見つめる。
「これは君自身が選んだ道だよ、キャシディ」
「選んだ? 私が?」
キャシディは戸惑い、無意識に首を振った。
「そんなはずない。私は逃げない。暗殺者として生きてきた。任務放棄が許されるわけがない」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
マキシマスは静かに歩み寄る。
彼の動きには威圧感も、敵意もない。
ただ、彼は真っ直ぐに彼女を見ていた。
「君はエニグマの道具じゃない。一人の人間だ」
キャシディの肩に、そっと手が置かれる。
その温かさが、戸惑いをさらに深くした。
「感情がある。考える力がある。それが、人間だ」
キャシディは反射的に彼の手を振り払う。
「私に感情なんて」
「ある」
マキシマスの声は揺るぎなかった。
「君が今感じている混乱も、不安も、すべては君の感情だ」
言葉が刺さる。
否定したかった。
でも、できなかった。
今までは、命じられたままに動いてきた。
何も考えず、ただ標的を消すことだけを繰り返してきた。
それが、当たり前だった。
なのに、今の自分はどうだ。
命じられた標的とともに逃げ、疑問を抱き、自分で考えようとしている。
それは、これまでの自分を完全に裏切る行為だった。
キャシディは唇を噛み、視線を彷徨わせる。
この男は、何者なのか。
なぜ、こんなにも自然に、自分の心の奥を揺さぶってくるのか。
沈黙が降りる。
風が木々を揺らし、森のざわめきが聞こえる。
「私は……」
言葉が出かかる。
しかし、それ以上の言葉が見つからなかった。
マキシマスは微笑んだ。
まるで、彼女がどんな答えを出しても受け入れるというように。
キャシディは、拳を握りしめる。
何を信じればいいのか分からない。
しかし、何かが変わり始めていることだけは確かだった。