むかしばなし
限界集落と呼ばれながら生まれ故郷を離れはしないと土地に残った最後の女性が亡くなったのはもう数年前です。
二百年ほど前に山裾を切り開き開墾された小さな村はわずかに痕跡を残すだけになりました。先に主を亡くした家々はもちろん、その女性の生家さえ今では蔦と苔に覆われ野に還ろうとしています。
しかし朽ち果てるだけの物にすら美を見出すのが人間という生き物です。この廃村は心霊スポットや廃墟マニアの間でよく知られる場所でもあります。といっても若者が夜な夜な訪れる真夏には変なことには気づけません。それでも彼らは鹿の鳴き声や飛び交う虫たち、山のざわめきに勝手な恐れを抱き滑稽な嬌声をあげて退散していきます。
実はこの廃村が心霊スポットになるきっかけの事件が大昔に起こっています。
村が最も栄えていたころです。山の斜面に何十軒もの藁葺き家屋が並んでいた中、一番下に住んでいたのが彌太郎という男でした。彼は八歳のときに病気で両親を相次いで亡くし、唯一の家族である弟も体が弱くほとんど寝たきりでした。周りの家からは病気がうつると村八分にされ非常に貧しい暮らしを強いられていました。しかし彌太郎は弟を守るため、たった一人で山に入っては鹿や猪を狩って町へ売りに行きました。貧しい暮らしも村人からの扱いも変わらないままでしたが、彌太郎は弟のためなら何でもやりましたし周りの扱いなんて気にしませんでした。何年も狩りをしているうちに彼の腕前はみるみる上達し、熊も簡単に仕留められるほどの達人となりました。やがてその技量が都の将軍さままで届くと、彌太郎は将軍さまお抱えの狩猟人として腕を振るうようになります。彼らの暮らしはようやく豊かになりました。弟の病気に効く薬を買えるようになったのが彌太郎にとって一番うれしいことでした。
しかし幸せな暮らしは長く続きません。彌太郎が裕福になると村人たちは嫉妬しだしたのです。身勝手な理由で彼を憎み僻み妬み恨みを募らせ、文字通り大きな炎に変わりました。彌太郎の家に火が放たれたのです。よく乾いた冬の朝でした。松明を持った村人たちが四方から家を取り囲み、彼の家は業火に包まれました。すぐに飛び起きた彌太郎でしたが逃げ場はありませんでした。せめてと思い、弟を逃がそうとした瞬間、焼けた梁が落ちてきて眠ったままの弟は下敷きになりました。彌太郎は膝から崩れました。
火が消えた時、あとに残ったのは火傷まみれの彌太郎だけでした。家も狩りの道具も弟も炭となりました。辺りは雪の積もる白銀の世界でしたが、彌太郎の家のあった場所だけが真っ黒な地面です。空からはしんしんと雪が落ちて、じゅっじゅっと炭に溶けていきました。彌太郎はふらふらと弟を探します。服は焼け焦げ、皮膚が弾けてめくれあがり、瞳は熱で白く濁ってもう見えません。まだ高温の地面を歩きながら弟の名前を呼び続けます。やがて彼は倒れました。その様子を見ていた村人たちは急に恐ろしくなり、焦げた家の跡地に彌太郎兄弟のお墓を建てました。
そんな昔話が心霊スポットと言われる理由とされています。怖いことは何もありません。ただただ悲しいお話です。
廃村になったいまでも雪の降る早朝には真っ白な地面の上を引きずるような足跡が、朽ち果てたお墓をぐるぐる回っています。その跡は炭と血で汚れているのです。