19:もう一体の神獣
その日、人類は思い出した。人間はこの世界において決して強者ではないことを。ガリベイン王国に突如として降りかかった出来事は、この世界の人類史に永遠に刻まれることとなる。
「これ......夢だよな......?」
泣き笑いを浮かべながら、ガリベイン王国兵の一人がそう呟いた。だが、彼を責める者はいない。ガリベイン王国民は全員同じ気持ちだったからだ。
一体でも天災レベルと言われる魔獣たちが数百単位でガリベイン王国へ押しかけてきた。紙をちぎるように城壁を破壊し、ずらりと整列する竜や魔獣たちは、まるで絵本の挿絵のようだった。
ガリベイン王国は世界有数の軍隊を保持している強者だ。だが、それはあくまで人間の中ではという制約がある。普段人間たちが生きていられるのは、上位種族のお目こぼしがあるからだ。
アリの軍勢同士の小競り合いを人間はいちいち気にしない。だが、アリの巣にブルドーザーが百台突っ込んで掘削作業をしたらどうなるか。説明するまでもないだろう。
「皆の者! 不安だろうが心配する必要はない! 我々は戦争をしにきたのではない! 圧政に苦しむ民を解放しに来たのだ!」
怪物たちの中から、凛と響き渡る女性の声が聞こえた。そこに集っていた兵士たちや、逃げることすらままならない民たちは驚きの表情を浮かべた。
「ナターシャ様だ! ナターシャ王女様がおられるぞ!」
民衆の一人が声を上げると、みな恐怖を一瞬だけ忘れることが出来た。ナターシャについての評判は国中に広まっている。今は追われてしまい、先日から行方不明になっていた王女が、怪物たちの間から堂々と現れたのだ。
「私はパラオジランドという新しい国の女王となった。我が国はまだ国と言うには笑ってしまうほど何もない。だが、腐敗しきったガリベイン王国を凌ぐ圧倒的な存在がある!」
ナターシャは前に歩み、開けた場所まで進むと後ろを振り向いた。竜や魔獣フェンリルといった伝説クラスの怪物の中から、体長三メートルほどの六本足の獅子のような獣が現れた。
「この獣こそ神獣パラオジ! パラオジランドは神獣の加護を得ているのだ! その神獣に付き従うのがフェンリルを始めとする強者たち! さらに我らが国は既にエルフとの同盟も締結している!」
ナターシャのよく通る美声には、民衆たちを驚かす情報ばかりだった。エルフという敵対種族との同盟。竜やフェンリルといった怪物を守護者とする圧倒的な武力。
そして、神獣という伝説上の存在。
「あれが神獣? 別に普通の魔獣に見えるけど......」
「いや、俺なんか聞いたことある。最近、無限に富を生み出す獣がナターシャ様の所にいるって、それで王様が奪おうとしたとかなんだとか……...」
兵士も民もごちゃまぜになりざわめき立つ。そもそも、ここに召集を掛けられた兵士たちも勝てないことは知っているので、もともと戦意ゼロだ。屈強な兵士だろうが病弱な女子供だろうが、目の前の圧倒的な存在からしたら全部同じである。
「繰り返すが、我々は戦争をしにきたのではない。パラオジランドの女王としてガリベイン王国の解放をしに来たのだ。無辜の民を傷つける気などない。国王ドンカスターに伝えよ。三日間時間をやろう。素直に降伏をすれば被害は城壁だけで済む。だが、抵抗をするならばそれなりの対処をすると!」
そう言って、ナターシャは神獣パラオジにまたがる。パラオジは一言も喋らず、くるりと踵を返し、その場を後にした。それに従う形でフェンリルや巨大な竜や魔獣たちも、平原の向こうへ消え去った。
後に残された人々は、積み木のように壊された城壁の残骸をぼんやりと眺めていた。
◆ ◆ ◆
「ううぅ......ううううぅぅ!!」
その日の夜、ガリベイン城の玉の間では、玉座に座った国王ドンカスターが半狂乱で頭を掻きむしっていた。あまりにも搔きむしりすぎて血がにじみ、昨日までつやつやだった肌は一日で十歳は老け込んでしまったように見える。
「だ、誰だ! 誰があのパラオジとかいう神獣を門前払いにしたんだ! 僕が謁見してやればこんな事態を防げたかもしれないんだ!」
ドンカスターは泡を飛ばしながらそう喚き散らした。辺りに残っているのは、ほんのわずかな兵士たちや、この国の権力者たちだった。
彼らはガリベイン王国でやりたい放題してきた連中だ。亡命して権力の衣を剥がされたらどうなるか分からない。簡単に言えば、腰抜けの悪党しか残っていなかった。
三日間の猶予を得たガリベイン王国だったが、そんなに時間はいらなかった。国民の九割以上が降伏を宣言し、パラオジランドへ亡命を始めたのだ。百パーセント負ける戦に付き合う馬鹿はいない。
何より、パラオジランドが魔獣の集まりではなく、ナターシャが治めるという部分が大きかった。もともとドンカスターが不正をする形で王座からナターシャを追放したのだ。人望の差がここまで出るのも悲惨である。
「お言葉を返しますがね。王様にあの獣を謁見させたようとしてもどうせ取り合わなかったでしょう。あの時昼寝してたんですから」
「なんだとぉ!? 貴様! 死刑にしてやるぞ!」
「やってみればいいさ! その死刑執行は誰がするんですかね? あんたはナターシャ様と違って斧を振り回せないでしょうが」
「き、貴様ぁぁぁああ!」
家来である兵士ですら売り言葉に買い言葉で答えた。怒りのあまりドンカスターは掴みかかろうとするが、足が震えて無様に玉座から転げ落ちた。
周りに集まっている連中も、誰が悪いと責任の押し付け合いをしながら取っ組み合いになっていた。彼らに残された道は軍門に下るしかないのだが、プライドがそれを許さないのだ。
それに、今まで好き放題悪事を働いてきた分、他の民たちにどんな報復をされるか分からない。
「なかなか面白......じゃなくて、大変な状況のようですね」
その時だった。ほとんど真っ暗で荒れ果てた部屋に似つかわしくない、美しい女性の声が響いた。その女性の周りだけ何故か燐光に包まれ、はっきりと姿を見ることが出来た。
そこに立っていたのは、ゆったりとした白いローブに身を包み、銀髪をなびかせた美しい女性だった。特徴的なのはその胸のサイズだ。サッカーボール二つをねじ込んだような不自然な形をしている。
「だ、誰だ貴様は!?」
「私は愛の女神ボインプルン。あなた方のように、三度の飯より悪事が大好きな人間のクズにすら救済を施す慈愛の女神です」
慈愛の女神を名乗る女は、国王相手にボロクソに言っていた。
「この女ぁ! 僕を馬鹿にしに来たのか!?」
「いいえ、私にはあなた方を救う手立てを知っています。そのために協力に来たのですよ」
怒り狂うドンカスターを軽く流し、ボインプルンは柔和な笑みを浮かべる。
「救うだと!? この状況からどうしろと言うんだ!?」
「実はですね、あの神獣は私がこの世界に呼び寄せたのですよ」
「は?」
いきなりの爆弾発言にその場が凍り付く。しばらく経った後、ドンカスターは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「ふ、ふざけるなああああああああ!! じゃあこの惨状は貴様のせいだというのか!?」
「いえ、私はあくまで神獣を呼び寄せただけです。あなた方が困っているのはあなた方のせいです」
「ぐぬぬぬ!!」
いくら怒鳴ってもボインプルンはニコニコと笑みを浮かべている。それはどこか、猫がネズミをいたぶっているようにも見えた。
「ですが、神獣が好き勝手に行動してご迷惑をかけたことは事実。というわけで、罪滅ぼしに来たのですよ」
「罪滅ぼしだとぉ?」
一体何を言っているんだこの女。ドンカスターの表情はそう物語っていたが、構わずボインプルンは言葉を続ける。
「実はあの神獣は、元の世界の同族では中の下程度のレベルなのですよ」
「なんだと!? あの怪物が下位存在だと!? そんなふざけた言葉が信じられるか!」
「いや、ちょっと待ってください王様!」
ありえない戯言を言い放つ女にドンカスターはたまらず掴みかかろうとしたが、残っていた兵士の一人がそれを制止した。かつてエルフ狩りの際にパラおじと遭遇した男だった。
「確かあいつ、初めて会った時に『しがないおじさん』とか言ってたんですよ。つまり、同族の中ではただの中年男性なのでは?」
「なるほど......だが、だから何だと言うのだ! 生まれたての竜種ですら人間の戦士は歯が立たん。奴が下位だろうが神獣には変わらんのだろう」
「ええ、ですから、上位の同族を呼び出し、それと交渉させるのです」
「神獣の上位種を!?」
ドンカスターを始めとして、その場にいたすべての者がざわついた。確かに、パラオジなる神獣よりも上位の神獣を使役できるなら勝ち筋はある。
「本当にそんなことが出来るのか!?」
「ええ、可能ですよ。あなた方が望むのであれば。使役に関しても、私の方からうまく誘導してあげましょう」
「ならばすぐに頼む! もう我々がガリベインを維持するにはそれしかないのだ!」
「分かりました。では、早速呼び寄せるとしましょうか」
そう言うと、ボインプルンは目を閉じ意識を集中させる。そして、乳の谷間から光を放ち、壁に円状のゲートを作った。
「きゃっ!?」
そのゲートから、小柄な何かが地面に転がった。
「あ痛たた......地面に急に穴が開いて......え? ここ、どこ?」
それは人間の少女だった。小柄でメガネを掛けた、セーラー服を着た大人しそうな黒髪の少女。どこからどう見ても人間の少女にしか見えないが、実際そうなんだからしょうがない。
「よくいらっしゃいましたね神獣さん」
「あ? え? おねーさん、誰です?」
「早速ですが、あなたには世界を救う勇者的行為をしてもらいます」
ボインプルンは微笑みかけるが、召喚された少女は不思議そうに首を傾げただけだった。