10:神獣(笑) vs 魔獣
「僕と契約して神獣使いになってよ」
いきなり意味不明な事を言われ、マリマリは固まった。マリマリだけではない、周りにいた他の者たちも皆、パラおじの言っている言葉が理解できなかった。
「駄獣、おかしい奴だと思っていたがとうとう頭もおかしくなったか?」
「駄獣とは失敬な。俺は基本は人間ですよ」
「やはりおかしくなったか......」
エスカルは怒りを通り越し、憐れむようにパラおじを見つめる。魔獣フェンリルを見て現実逃避したくなるのも無理はない。そう考えることにした。
エスカルの視線で気付いたのか、パラおじは自分の意図を伝える。
「いやいや。極めて冷静な判断をした結果ですよ。要はエルフの女王すごい魔獣すごいって事ですよね? てことは、劣等生物だと思ってるハーフエルフが従える獣がフェンリルに勝ったら、前提がぶち壊せるじゃないですか」
「......何だと?」
それまで黙って聞いていたフェンリルの態度があからさまに変わる。全身の毛がぶわっと膨らみ、怒りの態度を表す。パラおじは平然としていた。むしろ周りのエルフ達が怯えている。
「まるで貴様が我に勝てるような口ぶりだな」
「やってみなけりゃ分からんでしょう」
パラおじは楽天家だ。とりあえずやってみて、ダメだったら切り替えればいいやが基本方針である。実際にとりあえずやってみて究極細胞を生み出したせいで、余計その態度が強化されている。
だが、そんな事情を分からないフェンリルからしたら、相手の力量すら分からない駄獣に過ぎない。そんな間抜けな獣にヘラヘラと軽口を叩かれるのは不快極まりない。
「言ったな駄獣。いいだろう、一噛みで殺してやるつもりだったが、エスカルの要望通りボロ雑巾のようにズタズタに痛めつけて殺す」
「なるべく平和的に解決したいんだけど......ま、仕方ないか」
フェンリルの怒りを軽く受け流した後、改めてパラおじはマリマリに近寄る。
「......というわけなんだけど、マリマリが俺の主って事にしたらどうかな? 自慢じゃないけどおじさんタフさだけなら自信があるんだ」
「でも、わたし何も対価はらえない」
マリマリは突然の申し出に困惑した。何もしてないのに神獣(笑)から契約を持ちかけられるなど、棚からぼた餅どころか油田発見レベルなのだから無理もない。
「対価はタダ......だと逆に怪しいから、異世界転移キャンペーンで100パーセントオフにしておくよ」
「で、でも......」
マリマリですらそれはタダじゃんと突っ込みたくなったが、神獣からの申し出を断るのはそれはそれで気が引けた。なにより、パラおじの提案はこの上なく魅力的だった。
エルフの里に戻れない自分たち母娘の未来はなんとなく見えている。そこにパラおじが突如として現れ、未来を切り開こうとしているのだ。現状、それに甘える以外にこの悪循環を抜け出す方法も見つからない。
マリマリは目を閉じ、それから決心したようにパラおじの目をまっすぐに見た。
「わかった。パラオジさま、契約して!」
「その意気やよし! これでマリマリは俺の主だ!」
契約成立。この瞬間、マリマリは世界で最も強力な庇護を得たことに気付かなかった。
「というわけでフェンリル君、俺が勝ったら君の主人のエスカル様はマリマリ以下ということになるが、よろしいか?」
「よろしいか、ではない。あまり舐めた口をきくなよ駄獣」
フェンリルは既に怒りの頂点に達していた。全身の毛を逆立て、犬歯をむき出しにする。その恐ろしい形相を見たら、ほとんどの生物はその場で失神してしまうだろう。フェンリルの近くにいたエスカルですら、いつの間にか距離を置いていた。
「一つ言っておく。エスカルとはあくまで同盟関係だ。我は圧倒的な力を持つものにしか従わん。そして弱者はみな糧とする。無論、貴様もな」
「どこからでもかかってきたまえ。アチョー!」
パラおじは地面を蹴り、数十メートルほどジャンプしてエルフ達から離れた場所へ移動した。この場で試合開始のゴングをならしてしまうと、エルフ達の里を破壊しかねない。
「跳躍力はそれなりにあるが、隙だらけだぞ」
パラおじが空中を舞うと、フェンリルは実に軽やかにそれに追いついた。数十センチはある杭のような犬歯を、パラおじの体に容赦なく突き立てる。そして、空中で首をひねり、パラおじを地面に投げ飛ばす。
すさまじい衝撃がパラおじを襲い、周りの大木がマッチ棒のように折れる。その中心には巨大なクレーターが出来ていた。
「あらら、貴重な植物かもしれないのに! 加減しろ!」
「......物理に対しても耐性があるか。耐久力特化か?」
パラおじが平然と立ち上がると同時に、フェンリルは実に優雅に地面に着地した。相変わらず冷静にパラおじを見つめているが、態度に少しだけ驚きが混じっている。
「ならばこれで行くか」
そう呟いた瞬間、フェンリルの牙が青白い光を放つ。そして、フェンリルは放たれた銀矢のようにパラおじに襲い掛かる。人間の動体視力では白い影にしか見えないほどの神速。
魔狼フェンリルはその体躯の通り、ずば抜けた力を持っている。その上で魔力を使う事にも長けている。今のは、フェンリルの鋭い牙に魔力を乗せた合わせ技だ。魔力と物理、両方の特性を掛け合わせ、威力を何倍にも跳ね上げる高等技術である。
その威力はすさまじく、パラおじの体はまるで豆腐でも切るように上半身と下半身で真っ二つになった。
「少々手こずった。褒めてやるぞ駄獣」
「よいしょっ、と」
「んなっ!?」
決め台詞を言い放ったフェンリルが間抜けな悲鳴を上げる。切り離した半身同士が動き出し、まるでのりでくっつけたみたいに元通りになったのだから無理もない。
エスカルが心臓や頭を吹っ飛ばしたシーンを見ていればこうはならなかっただろうが、あいにくフェンリルが呼ばれたのはその後だ。
「貴様! 我が奥義を食らって生きているとは何者だ!?」
「人間です」
「ふざけるのも大概にしろ! どんなペテンを使った!」
「普通に喰らいましたよ」
「ならば生きているはずがない!」
フェンリルは目の前で平然としているパラおじに対し、初めてほんの少しだけ恐怖を感じた。もっとも、フェンリルは今まで圧倒されるという事が無かったので、彼自身はその感情が恐怖という事を理解していなかったが。
(我が攻撃をする瞬間、切られたような幻覚を見せたのか? しかし、こいつからは一切魔力を感じない。まるでそこらにいる獣ではないか)
実際にそこらにいる獣の集合体がパラおじなのだが、フェンリルが知るよしもない。ただ、目の前の生物が、今まで相手にしたことのないタイプだという事は理解できた。
「うーん。しかし、この世界に来てからやられっぱなしだな。いい加減腹が立ってきたぞ」
パラおじはフェンリルの狼狽など気付かず、考え込むように手を顎に当てる。この世界に来てからというもの、パラおじは殴られっぱなしである。
ダメージは喰らわないとはいえ、そんなに殴られるようなことはしていないはずだ。異世界人が好戦的なのか知らないが、ここらでガツンと一発かまさないと舐められてしまう。
「よし! 決めた! 君は俺のスキルで倒すとしよう!」
「スキル......? 貴様にも何か特殊技能があるというのか?」
フェンリルは身構えた。スキルというのは先ほどフェンリルが見せたような牙に魔力を乗せて切り裂くような、魔力を使ったものが一般的だ。攻撃だったり防御だったり、あるいは特殊な効果を持っている。
(だが、目の前のこいつからはまるで魔力を感じん)
この世界の常識では、魔力無しで戦うということ自体がありえないのだが、現実として目の前の獣は魔獣フェンリルと対峙している。
「君はかなり素早いしテキトーに殴っても当たらなそうだ。だから『反射スキル』で君を倒す」
警戒を強めたフェンリル相手に、パラおじはそう宣言した。