***3*
ちりりん、ちりりん……と、鈴の音がした。
目を醒ますと、私は浴衣姿のまま板張りの床の上に寝かされていた。天井に何かの絵が描いてあるようだけれど、薄暗くてよく見えない。
起き上がろうとしたけれど身体が動かなかった。どうして……と視線だけ下に向けて、絶句する。
――肩から下を荒縄でぐるぐる巻きに縛られていた。
「おや、起きちまった」
「今年の『神偶繕ひ』はお頭です。お供えは……」
「縞平んとこのみどりちゃんです」
「そいじゃあ始めます。
……つつしんで勧請奉る。御霊代無き処、此の神偶に仰ぎ奉る、掛けまくも畏き御御霊を拝み奉りて、恐み恐み白さく……祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸わえ給え……」
大人たちがぼそぼそと囁くような声音で言う。気付けば私の周りには、父や祖父、おばさんの他にも、恐らくこの村じゅうから集まったと思しき人々が集まっていた。
みんな浴衣を着て、首に紐を巻いている。
何がなんだかわからなくて叫びそうになったが、声が出ない。どんなに喉を震わせても、ただ掠れた息の音が、すかすかと無意味に鳴るばかり。
震える私の頬を、誰かの手が撫でた。父だった。
「大丈夫だよ、みどり。痛くはないから」
お父さん、何で、何をするの。どういうこと。どうして、……手に大きな刃物を持ってるの。
「このお祭りはね……神様の身体を整える神事なんだよ。御神体ってわかるかい? 立派な樹とか大きな岩……、そういう物に神様が宿っているんだけど」
「……昔ねえ、このあたりで大きな地震があって、御霊磐が壊れちゃったの。それで私たちの御先祖様は、代わりの御神体を作ったのよ」
「岩も樹も、何もかも地震で壊れてしまったから、人の身体を使うしかなかった。けど岩と違ってそのうち腐っちまう。だから毎年状態を調べて、古くなったとこは交換せにゃならんのさ」
「それで今年は首……一番大事なところだよ。お供えの首は誰でもいいってわけじゃあない」
いつの間にか、私の首にも紐が巻かれていた。それをアヤコおばさんが解いていく。
反対側に座っているおじいちゃんが、小さい子にするみたいに私の頭を撫でた。
「頭はな、十二歳の女の子って決まりなんだ。みどりちゃん、かわいい孫が神様の頭になるんだで、わしゃぁ鼻が高いぞ」
「さ、準備してちょうだい」
お父さんが頷いて、刃物を布で磨く。それって普通、薪を割るのとかに使うものだよね。こんな部屋の中で何を斬るつもりなの。
尋ねたいけれど声が出ない。尋ねたいけれど、知りたくない。
「良かったわねぇ、みどりちゃん……首から胸までは、お母さんよ。久しぶりに会えるわね」
「それに右腕はおばあちゃんだよ」
「ついでに言うと左足は又従兄だね。まあ、会ったの赤ちゃんのときだから、覚えてないだろうけど……」
「やだ、人の息子をついで呼ばわりしないでよ」
何の話。
大人たちの視線を辿った先は、寝かされた私の頭の向こう。必死で視線を上に向けると、それが見えた。
見て、しまった。
薄闇の中に浮かび上がる真紅の着物。袖や裾から伸びる、干からびた細長い手足。
床より一段高いところに、まるで座っているような恰好にして置かれた、ミイラのようなもの……。
首は真っ黒に変色していて、もう元の形がどうなっていたのかはわからない。それを、知らない人がぐいと引っ張ると、ぶつん、という音がして、人形みたいにすぽりと頭部が引っこ抜かれた。
糸をちゃんと取ってよ、とおばさんが言う。首を持った人が頷いて襟に手を入れ、そこから長い赤い糸をずるずると引き抜いていく。
「きれいに繋いであげるからね。――さあ、早く落として」
アヤコおばさんはいつの間にか針と糸を手にしていた。その糸はまだ白かった。
神主の恰好をした人が、首無しミイラの前で榊を振るって祝詞を読んでいる。何と言っているのかは聞き取れない。
蝋燭がぐらぐらと火を揺らす。
古い首は、それを外した当人が、大事そうに胸に抱きかかえていた。おつとめごくろうさま、と言いながら。
お父さんが鉈を振りかぶる。火明かりを映して、刃がきらりと光る。
叫び声も涙も出せないまま、ずどん、という感覚だけが私の身体を伝わった。
***
それからというもの、私はずっとこの暗い堂の中にいる。身体がどうなったかは知らない。必要なのは頭だけだそうだから、処分されてしまったかも。
相変わらず声は出せないまま。たぶん父はもう私に意識などないと思っているだろう。
私自身、いつまでこうしてものを考えていられるのかはわからない。だんだん意識を保てる時間は少なくなっている。
ただひとつだけ確かなことがあるとすれば、この継ぎ接ぎの『御神体』には、確かに何かが宿っている。私がこうして首だけで生きているのがその証拠だ。
でも、きっとこれは――私の魂をここに縫い留めているものは。
神様なんかじゃ、ない。
(終)