Ⅰ セイシュンの始まり-②
何分経った事だろう。
神崎がボロ雑巾同然となった時、ガタッと広瀬が立ち上がった。
小走りでチカゲに駆け寄ると、何かを耳打ちした。チカゲが頷くと、木村達の方へふりむき
「バァカ」
と言って、小走りでどこかへ行ってしまった。
…残された木村達はと言うと、木村は既にぶちギレ状態である。取り巻きはそんな木村にオロオロ。神崎への関心も、いつの間にか消え失せていた。
「おいお前ら!あのクソガキ追うぞ!そんでアイツ殺す!岡田!井上!そこの糸目見張ってろ!グルかもしんねぇ!」
「りょーかい!」
「いってらぁ」
顔を猿顔負け並みに真っ赤にした木村が、各々に指示を出す。チカゲはと言うと、ニヤニヤしながら
(千春はどんな事しでかすんやろなぁ。楽しみやわ。)
と、ワクワクしていた。
…下手したら殺されかねない状況下なのだが。
そんな自分の心配なんてミジンコ程もせず、ゆっくりとボロ雑巾───神崎のもとへ歩み寄った。
「神崎くーん?生きとる~?」
「ケホッ……チ………カゲ…さん…?」
チカゲの顔が、一瞬歪んだ。気がした。
しかしすぐに、いつも通りの胡散臭い笑みに切り替わる。
「おん。今、千春が木村相手に鬼ごっこ頑張っとんのやけどな、それ終わたら保健室行こか。ウチのクラスの副担やし、悪いようにはせぇへんと思うで。」
「えっ、いや、ちょ待っ、ゲホッ」
「おーおー無理せんでええよ?」
「いやっ、広瀬が木村とってっ、なんでっ、」
「おーおー、そんな心配せぇへんでええよ」
一方、木村達は広瀬を探すのに躍起になっていた。
「どこだよ広瀬の野郎…!」
「木村!ココ怪しい!」
取り巻きの一人が指差したのは家庭科室。中は荒れていた。紛れもなく人為的に。
「でかした!」
木村は勝ったと言わんばかりに笑うと、ゆっくり向かい始めた。
「広瀬ぇ~?残念だったなぁ~?ゲームオーバーだぜ~?今出て来たら許してやるよぉ~」
チカゲは、ニヤリと笑って口を開いた。
瞳の奥の 怪物が ゆらりとゆらめいた
”おもろいモン見れんで”
瞬間、木村の首が吹き飛んだ。
誰かの悲鳴が、廊下を劈いた。
◆◇◆◇◆
「ただいま」
無傷で帰って来た広瀬に、誰もが──チカゲ除き──目を見張った。
「おかえり~」
「広瀬っ!無事?」
「そっくりそのまま着払いでお返ししますボロ雑巾」
三人を取り巻く空気の外側───教室中に、緊張が走っていた。
”何故広瀬が生きてるのか”と。
「さーて広瀬、そろそろ解説頼むわ。さっきからウズウズしてたまらんねん」
「…実は…俺も……」
「…りょーかい」
広瀬は、淡々と事実だけを語り出した。
「まず俺は、作戦が思い付いてから即、センセーに聞いた。勿論周りには聞こえないように。」
「…何て聞いたの?」
”一人死んだら何でも良いんだよね?”
さっきと声音は変わらない筈だった。なのにその声が、妙に冷たく感じられた。
「YESを貰ったから、作戦の実行に移った。
まず木村煽って追いかけて来るように仕向ける。指示を出すその隙に……あ、センセーコレ拝借したから」
「…鉄線?」
「そ、アイツ一人だけ身長頭一個飛び抜けてるから、誘導した場所に踏み入れる時に必ず通る所────ドアに、アイツの首だけがピッタ当たるように張った。
あとはそっちが触れる瞬間引っ張っただーけ。」
“ハイ、オワリ”
へらりとそう告げると、広瀬は鉄線を巻いてチカゲに返した。
その間、チカゲと広瀬を除く全員は、誰一人として動けなかった。
「ほな、そろそろ解散に─────」
チカゲが言い掛けたその時だった。
「なんで…」
”なんで人殺しといてヘラヘラしてられんのよ…!”
「?」
「ふざけないでよ!なんで圭介が殺されなきゃならなかったのよ!あんたが死ねば良かったのに!」
”人殺し!!”
その女─────木村の恋人は、泣きながら広瀬を罵倒した。周りのみんなも、その女の背中をさすったり、声を掛けて慰めたり、一緒になって罵倒したり。
神崎も、あまり良く思ってはなかった。人が死んだのだ。彼女の痛みが分かるから。分かってしまうから。
けど、声には出せない。広瀬は自分を助けてくれたから。
「…あっそ、で?」
何も言わず罵倒され続けていた広瀬が、突然口を開いたかと思えば、まさかのコレだ。
「…へ?」
「…勝った方が正義だろ。敗者は口挟んでくんな。」
あまりにも残酷。無慈悲。
胡散臭い数学教師の、クツクツという笑い声が聞こえる。
「…なんで」
神崎の口から出た疑問は、たった一つだけだった。
「……広瀬は……何を、考えてる、の?」
「?」
「…広瀬は、どうして、正義で居るの?そんなに執着してる様には、見えない、な」
ボロ雑巾同然と化した神崎は、荒い呼吸に言葉を区切りながらも、広瀬に聞いた。
コレばかりは、聞かなきゃならない気がした。
しかし広瀬の根幹は、神崎が思った以上に単純で
「正義で居る理由?…本能に従ってるだけ…かな」
「…へ」
「…執着してるかどうかなんて知らない。そもそも俺は、生きる事に意味なんて要らないと思うよ。」
「…は?」
「…生きてるだけで偉いとか、そんなサムイ事言わないけどさ、」
”嬉しい” ”悲しい” ”辛い” ”苦しい”
”生きたい” ”死にたい” ”殺したい”
「本能が呼び覚ました感情に、理由を求めんのはナンセンスだろ。本能がそう叫んでるなら、理由はそれ一つで十分。」
もう誰も、言葉は出せなかった。
しばらくして、数学教師が声を上げる。
「ほな、今度こそホンマに終いやで。神崎くんは着いて来ぃ。それ以外は待機や。
あ、ちなみに。休み時間のヤンチャは許容されとんで。仇討ちしたいんやったら頑張りぃや。」
それだけ言うと、神崎の手を引いて教室を後にした。
「……あの、チカゲさん。」
「んー?どないしおったん?」
保健室へ向かう道中、神崎はチカゲに恐る恐る尋ねた。
「……なんでチカゲさんは、このプロジェクトに加担したんですか?」
しばらくの間、沈黙が流れた。そして、ゆっくりと口を開く。
”勝てば官軍、敗ければ賊軍や。それが勝負の決まりやで”
それを告げたチカゲの顔は、ひどく辛そうで。
しかしすぐに胡散臭い笑みに戻る。
「ほな行こか。」
チカゲの言葉に、神崎は黙って歩を進めるしか無かった
「ほな、席に着きぃ~」
翌日、神崎は昨日と同じ席に座っていた。隣の広瀬も同様。
しかし、周りの光景は、昨日とうってかわって悲惨だった。
壁中の飛び散った人の血 床に転がる死体
昨日まではクラスメートだったモノが、そこら中に悲惨な姿となって散らばっていた。
元凶である筈の広瀬は気にも止めず───まるで何事も無かったかのように立ち振る舞っていた。
更に問題なのは、昨日までは違う人物が使用していた机や椅子に、知らない人物が座っている事だ。
ある者はガタガタと震えていた。
なんとなく、マトモだろうと直感した。良かった。常識を持ち合わせた人はまだ居た。
ココからが問題だった。
転がる死体や散った血を見てうっとりしている者。
その者に「先生が居るから早く座れ」と咎める者。いやそこじゃないでしょ突っ込むトコ。
そしてある意味異質な雰囲気が漂う教室の中、ぐっすり眠る者。
カオス。
その一言に尽きる。
「神崎と広瀬は知っとんのやけど、他は初めましてやんな?改めまして、数学Ⅴ担当のチカゲや。よろしゅう。」
瞬間、急に静かになった。
神崎も、昨日とあまり変わらない筈の自己紹介に、背筋がゾクリと震えた。
己と目の前の人物の力量差が、ほんの少しの言葉で理解出来てしまった。
別に、神通力の類いに目覚めたとかそんなじゃなくて。
彼の眼が、昨日の広瀬と同じ────人殺しの眼をしていた。それもかなり狂ってる。
「力量差見極められるくらいにはなったみたいやね。感心感心。ほな、このクラスの大まかな説明や。」
“ココ、三年二組は”最強のクラス”になって貰う。”
チカゲの言葉に、広瀬が一瞬顔をしかめる。
「このクラスの大半は、抜き打ちテストで人を殺しとる。端的に言ってまえば異質なクラスや。
キミらにはワシの授業を通して、全てが出来るようになって貰う。」
「…全て?」
「せや。ワシ暗殺者としてはそこそこ有名なんよ。暗殺っちゅーんはかなり多くのスキルが求められる。
せやからそんなワシのスキルを伝授してく。そんで最強のクラスになって貰うで。」
数学教師が語るソレは、あまりにも想像つかなくて。
何より、全てって何だ。そもそもアンタは何者だ。
「どこがそこそこ、よ」
突然響いた第三の声。神崎は、聞き覚えのある声に顔をしかめる。
「…カゲロウ…さん」
「あらぁ、神崎クンじゃない♡元気?」
「…えぇ。お陰様で。」
苦手とはいえ、昨日世話になったのだ。受け答えくらいはせねば、失礼だろう。
乙女な言葉遣いに絹糸のような長髪をなびかせ、白衣を纏うその人─────カゲロウ。
誰がどう見ても性別は男性。所謂オネエだ。
「…カゲロウ…さん?そこそこってどういう……」
着席するよう咎めていた生徒が問い掛ける。
「あぁ、そいつ────チカゲね。そこそこどころか、この界隈じゃ超お偉いさんよ。」
「?」
「何てったってソイツ、世界最高峰の暗殺者として世界に名を轟かせた、あたしと並ぶ”最強”の一角よ?」
「「「はぁぁぁぁああああぁぁぁああ!?!?」」」
一同がこうなるのも、無理は無い。目の前の胡散臭い教師も、そしてオネェな保険医も。
最強の人殺しなんだから。
「あらら、バラされてもーた?まぁ、ちゅー訳や。
こっから先は、生半可な覚悟じゃ行かれへんよ。」
”自分の本能引っ張り出して 死ぬ気で着いて来ぃ”
こうして、俺達の青春は終わりを告げた。
しかし、終わりは始まり。
俺達のセイシュンは、まだ始まったばかり。