第58話 その気持ち、みんな分かりませんか?
「来年、きっと彼女はもっと強くなっているよ」
退場していく緑髪の少女の背中を見送りながらエーリックは呟いた。
「ええ、私もそう思います」
主人に倣って少女を拍手で讃えていたスレインも同意する。
「殿下は、敗北が成長するための糧になると?」
「そうあって欲しいって僕が信じているだけなんだけどね」
寂しく笑うエーリックにセルランは天才の婚約者を持つ者の苦悩を察した。
「判官贔屓と言われるかもだけど、彼女には勝って欲しかったな」
先程の試合にエーリックは自分の姿を重ねている。積み重ねた努力が才能の前にあっさり敗れてもなお歯を食いしばって最後まで立ち続けた彼女の姿に。
「悔しいですか?」
セルランにはエーリックが危うく感じられた。
「努力が才能に屈するのは?」
人は弱く、どんなに努力をしても才能に勝てないと諦めてしまうものだから。
「確かに自分の努力が成果に現れないのは苦しいし、頑張っているのに認められないのは悔しいものだね」
「そう……ですね」
セルランも王妃に認められた人間である。能力には自信があったが、自分より才ある者達に太刀打ちできず辛酸を舐めた時期があった。
(俺は小才に溺れ努力を怠った身だから逆に立ち直れ王妃殿下に登用されたわけだが……)
エーリックは頑張り屋である。
(殿下の悔しさは俺の比じゃないよな)
エーリックが一所懸命に剣の鍛錬を積んでいたのをセルランは知っている。それなのに、昨日は剣闘の部で自分より体格に恵まれた者に敗れてしまったばかりだ。
「だけど勘違いしてはいけないよ」
だが、エーリックはセルランに心配されるほど弱くはなかった。
「失敗や負けを才能のせいにして逃げたい気持ちは僕にも痛いほど分かるよ」
僕も何度も苦しんだからね、とエーリックは自嘲気味に笑う。
「でもね、ルーナミリア嬢だって努力をしているだろ?」
「殿下!?」
セルランは頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。
「彼女だって頑張っているのに、それを才能という言葉で片付けてはいけないよ」
「殿下の仰る通りにございます」
いつになくセルランはうやうやしく頭を下げた。いや、自然に下がったのだ。
「さすがエル様です。このスレイン、感服いたしました」
「別に褒められるような事ではないよ?」
「いやいや、エル様のお歳でそこまで他者を慮れるのは、日々の研鑽の賜物。エル様が今まで積み重ねたものの重みを感じます」
何をやっても手放しに褒めちぎる乳兄弟にエーリックは苦笑いしたが、これにはセルランもスレインに同意だった。
まだ十五歳の少年が他人の努力を垣間見るのは簡単なようで、実はなかなかできるものではない。
どこかオドオドしていて覇気がないとか頼りないとか陰口を叩く連中もいるが、なかなかどうしてエーリックは得難い資質を備えている。
しかも、最近では人としても大きくなってきていた。
(スレインみたく愛の力とは言わないが、これも姫さんのお陰なんかね?)
かの腹黒令嬢は婚約してからエーリックをそれとなく育成している節がある。もしかしたらウェルシェ自身も気がついていないかもしれないが。
(それに比べてオーウェン殿下の落ちぶれようと言ったら……)
王者の風格のあったオーウェンの落ちぶれようはどうか。
彼は異母弟と違い幼少期より王威があり、その気風もからりとしていて彼の治世は明るいものになりそうであった。
だが、オーウェンの成長は一人の令嬢と出会ってから止まってしまった。
――アイリス・カオロ
彼女もまた男を手玉に取ってもてあそんでいる。
だが、ウェルシェは男に幸をもたらし、アイリスは男に不幸を撒き散らす。
セルランには同じように見えてしまう二人の悪女。
それではウェルシェとアイリスの違いはいったい何なんだろう?
(婚約者が姫さんだったらオーウェン殿下も違った未来があったんだろうか?)
奇しくもセルランは自分の真の主人と同じ思考に至った。
(だが、オーウェン殿下は優秀な婚約者と有能な側近に囲まれていたじゃないか)
イーリヤは能力的には間違いなくウェルシェ以上で、レーキ達は頼れる頭脳である。質、数ともにオーウェンはエーリック以上のものを与えられた。
ところが彼は自らそれらを捨てようとしている。
(彼らの上に立つのはそれだけ求められるものも多いのかもしれない)
時として天才の婚約者や有能過ぎる側近達は相手に大きな挫折感を与えるものだ。自信家のオーウェンにはそれが耐えがたい屈辱だったのかもしれない。
(オーウェン殿下はそれに耐えられなかったのだろうか?)
自分より優れた婚約者や腹心に嫉妬する気持ちは理解できなくもない。
「殿下は姫さんに嫉妬した事はないんですかい?」
セルランの口を突いた疑問はかなり際どいもの。
スレインもギョッとしてセルランを睨みつけた。
セルラン自身まずいと思ったが、今さら引っ込められない。
「僕が? ウェルシェに? 何で?」
ところが、エーリックは意味が分からないと目を点にして聞き返してくるではないか。
「えっ? いや、だって、姫さんって天才じゃあないですか」
何を当たり前の事を聞くんだとセルランは思ったが、エーリックは嫉妬の色などまったく見せずニマニマしだした。
「そうだよねぇ、ウェルシェってすごいよねぇ。この大会でも一年生で既にすごい成績残してるし」
「殿下、殿下、俺が聞きたいのは、そんなに優れた婚約者に嫉妬しないんですかって話でして」
ずれそうな話の方向をセルランが修正しようとしたが、エーリックはキョトンと目をぱちくりさせた。
「うーん……嫉妬と言うより自分が不甲斐なく感じたりはするかなぁ」
「不甲斐ない……ですか?」
どうやらエーリックは才能に恵まれた婚約者に嫉妬よりも先に、己の能力の不足に嘆いているらしい。
そんなところもオーウェンとは大違――
「そう! ウェルシェに捨てられたくないじゃない?」
――いッ!?
「捨てられるって……政略なんですからあり得ませんって」
「そうは言っても嫌われるかもしれないじゃないか」
「き、嫌われるって……」
なんだ、その思春期の少年のような理由は?
「だって、ウェルシェが僕のお嫁さんになってくれるんだよ?」
奇跡みたいでしょ、と同意を求められてセルランは何とも言えない顔になった。
「ほらほら彼女ってさ、優秀なだけじゃなくって美人で妖精みたく儚くって、それでいて可愛くって、お人形みたいに整った顔なのにコロコロ表情が変わって、何より笑顔が素敵で、もうサイコーなんだ!」
デレデレ惚気るエーリック。
「性格も良いし、気が利くし、優しくってさ……」
ウェルシェを語り出すと止まらず、もう相合が崩れっぱなしだ。
そんな婚約者好き好きオーラ全開のエーリックにセルランは呆然だ。隣でスレインがうんうんと相槌を打っているのは何故だ?
「それから、これは秘密なんだけど」
「はい」
「実はウェルシェ……」
いきなり声のトーンを落として周囲を警戒しながら真剣な顔を寄せるエーリックに、セルランは何事かとつられて顔を引き締めた。
「めっちゃ巨乳なんだよ!」
「なんですかそれは!?」
なんだそれは?
「この間、ウェルシェを抱きしめたら巨乳が僕の胸にグニャって……もう大きくって柔らかくって……えがったー」
「エル様! 卑猥ですぞ!」
胸の感触を思い出していたらスレインに嗜められてエーリックもさすがにまずいかと目をきょどらせた。
「僕が言ったってウェルシェにバラしたらダメだからね!」
「言えませんよ、そんな事!」
さっきまでの感動が台無しだ。
だけど、セルランは思わず笑いが零れてしまった。
(ああ、もうダメだわ。俺はどうにも殿下を気に入っちまってる)
大人びていながら、好きな女の子に嫌われたくない年相応の少年の面影も併せ持つエーリックがとても好ましかった……