第1話 その婚約、本当に愛がありますか?
「お初にお目もじ仕ります。グロラッハ侯爵の娘、ウェルシェでございます」
ウェルシェはにこりと笑った。
彼女は純真無垢な少女を装いながら、それでも立礼を一部の隙もなく綺麗にしてみせる。
本来、淑女ならば心を隠す微笑みではなくてはならない。だが、自然な笑顔を向けた方が殿方は喜ばれる。さらに、それを淑女の完璧な所作がよりいっそう可憐さを引き立てるのだ。
ウェルシェはそんな男心をきちんと理解している。
案の定、今日のお見合い相手もウェルシェのそんな愛らしさに当てられて惚けているではないか。
「……妖精?」
彼がぽつりと溢した呟きをウェルシェは聞き逃してはいない。
反応が想定通りと、彼女は心の中でほくそ笑んでガッツポーズした。
白銀の髪に緑碧の瞳のウェルシェは、華奢で小柄だからとても儚く幻想的に見える。そんな自分の容姿を十分に理解しているウェルシェは普段からそう見える様な服装や所作を心掛けていた。
だから、彼女は妖精の様な美姫だともっぱらの評判である。
もっとも、それを分かって計算して最大限に活かしているウェルシェの中身はまるで正反対の小悪魔だが。
今回もお見合いの相手を手玉に取る入念な準備は怠っていない。
何せお見合い相手は――
「マルトニア王国第二王子エーリック・マルトニアです」
己の失態に気がついて、お見合い相手のエーリックは胸に手を当て優雅に一礼した。慌てた素振りを見せないのは、さすが彼も王家で鍛えられた王子である。
そう、ウェルシェのお見合い相手はこの国の第二王子なのだ。
この婚約が成立した暁にはグロラッハ侯爵家に多大な恩恵が約束されているだけに、ウェルシェの責任は重大なのである。
彼はウェルシェにとって絶対に墜とさなければならない標的なのだ。
「貴女のように可憐な姫君と婚約できるのは望外の喜びです」
本来ならお見合いの場での社交辞令であろう。
だが、エーリックの顔から溢れる微笑みと、口から漏れ出る言葉は全て本物であるとウェルシェには分かっていた。
(思った通りエーリック殿下の好みは可憐で儚げな乙女みたいね)
エーリックの見えないところで拳をグッと握ったウェルシェは心の中でガッツポーズした。
さらにウェルシェはダメ押しとばかりに、エーリックの賛辞に対して頬を染め、手を当てて小首を傾げて見せた。
この初心な少女のように恥ずかしがる仕草でエーリックがどれくらい自分に傾倒するかをウェルシェは計算しての演技である。
「まあ、エーリック殿下はお世辞がお上手ですのね」
「まごう事なき本心です。僕は国一番の果報者だ」
「私ごときで大袈裟ですわ」
「大袈裟ではありませんよ。貴女の前には美しい花達も恥じ入るでしょう」
エーリックの歯の浮くセリフにウェルシェは顔を赤くして僅かに俯く。
もちろん全て演技である。
(隠しているつもりなんでしょうけど……)
ウェルシェにはエーリックの動揺が手に取るよう分かる。
「ですが、それだけに国中の男達からやっかみを受けないか心配になります」
「ふふふ、殿下ったら」
器用に片目を瞑って軽口を叩くいて誤魔化しても、パッと花が咲くように笑えば彼の目はウェルシェに釘付けなのだ。
(私と同じ十五歳と聞いていたけど……)
ふわっとした微笑み、瑞々しくきめ細かい白い肌、響く声は天使の調べ。
少し癖があるけれど柔らかい金色の髪、優しげで透き通る様な青い瞳。
美しいだとか、可愛いだとか、そんな言葉で表現できない美少年。
(まさに天使のようね)
見た目は申し分ない。
だけど――
エーリックはウェルシェと結婚すればグロラッハ家の当主となる。
であるならば、容姿の美しさは武器ではあるが、それだけでは不十分である。
ウェルシェにとってエーリックはどうにも頼りなかった。
もっとも、幼い時分より己の可憐さを武器に大人達を手玉に取ってきたウェルシェはもはや海千山千の貴族令嬢である。
それと比較されては同年代の貴族令息はたまったものではないのだが。
(まっ、この縁談は自グロラッハ家に利があるし、領地の統治は私が裏でやれば問題ないかな?)
今回の婚約話は王家とグロラッハ侯爵家の間で取り交わされた政略的なものである。
王位を継げない第二王子のエーリックをグロラッハ家の婿養子とすることでグロラッハ家は陞爵されて三代公爵となれる。
お互いに利のある契約だ。
だから、ウェルシェがどう思おうとエーリックとの婚約は不可避。
(容姿は好みだし、性格も良さそうだから殿下で手を打っておきますか)
エーリックの理想の女性を演じながらもウェルシェの頭の中は打算でいっぱい。
「エーリックです」
「殿下?」
「グロラッハ嬢には名前で……エーリックと呼んで欲しいのです」
「あっ、その……エーリック…様?」
(はいはい、さようでございますか)
表面ではもじもじと真っ赤になって上目遣いではにかんで見せながら、心の中でどう対応すれば効果的か物凄い速さで計算していた。
「では私の事もウェルシェ……と」
そう言って、ウェルシェは両手で顔をさも恥ずかしそうに覆い隠す。
(これでエーリック様も完堕ちね)
侯爵令嬢ウェルシェ・グロラッハ15歳。
他の追随を許さぬ超腹黒令嬢であった……
『そのザマァ、本当に必要ですか?』の腹黒令嬢ウェルシェと純情王子エーリックの馴れ初めの話です。
時系列としてはこちらが先ですが、どちらから読まれても楽しんでいただけると思います。