第二十四話 シミュレーション
●24.シミュレーション
ブリーフィング室の演壇に立つ周一。電子ホワイトボートには、10年後の世界を描いた詳細画を表示されていた。田山は心配そうに周一を見ていた。
「俺が見た夢では、エターナル期の人間が全人口の半分を越えている世界でした。たった10年やそこらでなるとは驚きですが、それ以上に今までの価値観が根底から覆ることになってました」
周一は口調まで丁寧に変わっていた。
「性別はある種のファッションやアクセサリーといった感じで、いくらでも選べるのです。ですから人々は自分の好む性を謳歌するようになり、より男らしさや女らしさを求めることになります」
周一の言葉に納得し、うなづいている田山。
「より生物学的にというか、体つきに応じた行動様式になるのですね」
田山は自説を補うものだと実感していた。
「はい。男勝りの女性が女子プロレスをやるのではなく、男子になって超重量級のレスラーになり、派手に動き回っていました」
「スポーツ競技では男子の部とか女子の部はなくなるのですかね」
服部は興味本位で尋ねていた。
「いいえ。男性的な躍動感や迫力を求める種目は男子のみとなり、女性の美しさや繊細さを求める種目は女子のみとなっていました」
「それはオリエンタールなどの地球外の地域も含めた全人類世界ってことっすか」
「夢の中では、どこもかしこもという感じでしたよ」
「でも寺脇さん、それが正夢になるかどうかは、現時点では立証のしようがありませんね」
戸川はにわかに信じがたいといった表情であった。
「それなら、この船の優秀なAIのマイカにシミュレーションさせれば、ある程度わかるのではないですか」
周一は目つきからして人が変わったようだった。そのような父の姿に寺脇は戸惑っていた。
「親方、その夢からするとドクターのエターナル期移行のプロセスは、薬にしろ注射にしろ成功していることになりますか」
桜内は田山の方を見ながら言っていた。
「だと思います。あぁ、ちょっと休んで良いですか」
周一は頭を抱えていた。田山はすぐに演台に駆け寄り、肩を貸していた。予知夢のレクチャーは中断し、周一は医務室に連れていかれた。
取りあえず医務室のベッドで周一は寝ていた。ベッドが見通せる診察室に桜内と田山がいた。
「ドクター、脳の活動を抑える薬はできたんですか」
「これなんですが…強く遺伝子に働きかけると、前頭葉に影響が出る可能性があります」
田山は試験管を手にしていた。寺脇は父の寝姿を確認してから診察室に来た。
「田山先生、いずれにしましても、今のままでは父は父でなくなる気がします」
「しかし寺脇さん…」
田山は寺脇と桜内を代わる代わる見ていた。
「ドクター、その影響が出る確率はどのくらいなのですか」
「五分五分というところです」
「丁半賭博ってことですか。予知夢の示唆もあるし、親方なら、やっくれって言いそうだが…」
「船長、私は異存ありません」
寺脇は成功に賭けているようだった。
「ドクター、親方の予知夢が見られなくなるのは惜しいが、やってもらえますか」
「わかりました。私も研究者としての技量に賭けてみます」
田山は何かが吹っ切れたように言っていた。
一週間後、桜内は親方の病室を訪ねていた。
「船長、森林区画の完成予想図をもう一回描き直してみたんだが、このざまでさぁ」
周一は稚拙なスケッチ画を見せていた。
「あぁ、描き直す前の方で良いですけど」
「船長、どうしくれるんっすか」
周一はニヤニヤしていた。
「でも良かった。いつもの親方に戻ってるじゃないですか」
「少しは田山先生の役に立ったのかぁ、どうなんすか」
「もちろんです。人類を新時代に導く安全な方法が見つかったようです」
コントロール室は船長席に座る桜内だけであった。
「マイカ、ドクターのエターナル期移行注射で世の中は、本当に親方の予知夢のようになるのかな」
「少なくともエターナル期移行注射が成功することは当たっていました」
「今回の件でドクターがベクターを調整したから、感染しなくても安全に移行できるようになったが、これが全人類に普及するかは不明だぞ」
「不確定要素が多いと言えます」
「だよな。ドクターの業績が認められノーベル賞を取ったとしてもだ。いずれグローバル政党の介入があり、金持ちだけ不老不死とか、世界革新社会党員だけとかなりそうだが」
「ここまで来るとドクターの業績が否定されたり横取りされる可能性は低くなりましたが、グローバル政党が何らかの形で介入する可能性は充分にあります」
「マイカ、親方の予知夢と一致するかどうか、AIによる未来をシミュレーションをしてくれないか」
「グローバル政党の介入は数パターンになりそうですが、生活様式や男女平等といった今までの価値観についてはかなり現実に近いシミュレーションできるはずです」
『しなの』の乗員と寺脇一家は、船内のシアターホールに集まっていた。他の乗客がいる時は、出航時までに蓄積した世界各国の映像コンテンツが見られる施設で、貸切ることはなかったが今回は特別であった。
大型スクリーンには未来をシミュレーションした映像が流れ、マイカがナレーションしていた。
「…全ての差別はその形態が固定化され、変えられないことにあります。どのような形態でも、ファッションのように自ら選ぶことができ、好むものであれば差別や不平等にはならないと言えます。この形態とは人種、肌の色、性別、職業、身分、老齢や身体の不具合などになります」
スクリーンには白人、黒人、黄色人種の顔がアップになり、続いて男性女性、若者や年配者、身障者などが映し出されていた。
「現状では職業や身分の選択は自由となっていますが、それ以外は自由に選択できません。しかしドクターの発見により、性別が選択でき、老齢と身体の不具合は克服できるようになりました。ただ民族的なものはそれをどう信奉するかにかかり、これに関する差別は別物になります。今回のシミュレーションの範囲を越えた要素になります。またいずれ人種の選択もできれば、根本的なこちらの差別もなくなるでしょう」
田山が腕に注射を打つ映像に切り替わっていた。
「スポーツ面で寺脇氏の予知夢に挙げられなかったものに、パラリンピックの廃止があります。オリンピックや世界選手権競技は全て健常者が参加するからです。パラリンピックの競技種目の中で、健常者行っても面白みがあるものは残されますが、基本的に身障者競技ではなくなります」
映像ではオリンピック・パラリンピックのロゴからパラリンピックのロゴが剥がれ落ち、オリンピックの文字だけが浮き上がっていた。
身障者が次々に健常者となり、車椅子や義手から解放されて行った。人々に笑顔があふれ、陽光が降り注いでいた。
「これらのことからユニバーサル・デザインの意味が薄れ、時代遅れになる可能性があり、点字ブロック、身障者エレベーター、公共施設のトイレといった社会全般のインフラも、身障者を考慮する必要がなくなります。建物の設計や構造、デザインでは身障者向けのコストを省くことができ、より自由な発想が形にできます」
スクリーンの中では、美少女キャラの姿をしたマイカのアバターが、様々な奇抜な未来建築の中を歩いていた。
「偽善のフェミニストは陳腐し、真の男女平等が実現するエターナル期の中性が社会を動かすはずです。それゆえに政治参加は未熟で感情に左右されやすいブリーダー期の人間でなく、感情的に安定し、考え方に偏りがないエターナル期の人間になります。また性別による閣僚や議員の比率を気にすることもなく、エターナル期の人間は長期の視点に立てるので、目先の利益に左右されない面があります」
国会議事堂の外観と衆議院本会議場の映像が流れていた。
「投票権はブリーダー期、エターナル期両方に与えますが、ブリーダー期全員に与えるのではなく、政治参加に興味があるものに与える形が望ましいと言えます。誰でも空気のように与えるのではなく、自分の意思でつかみ取る投票権を持つようになれば、いい加減な政治判断はせず、プロパガンダに流されやすいポピュリズムはなくなります。その結果、グローバル政党の野望は見破られ衰退するはずです」
煉瓦で形作られていた国際自由国民党と世界革新社会党の文字が崩れ始め、最終的に瓦礫の山になっていた。
「今まで女性が外で働き自立するのが善とされてきましたが、身体的に違いがある男性の真似をし、無理して働く必要がなくなります。また社会全体を女性向けにして男性が生きづらい社会にする必要もなくなります。愛すべき男性を支え、女性は子育てに専念することが悪とはならないのです。子供を産む素晴らしい能力が充分に活かされます。男性はその庇護者になるわけです。男性はどんなに女性の真似ごとをしても乳は与えることができないという差異が明確になります。そのためには主たる収入を得る世帯主の給料を高め、支える者を扶養できる制度に改められます。給料の違いは扶養者か、被扶養者か、単身者かによって変わるはずです。従来の社会制度や価値観は崩壊するでしょう」
男性がビルの街角を歩き、女性が家庭で子供に囲まれている映像が流れていた。女性解放運動家の女性が眉をひそめているが、時間的に余裕が持て子育てをしている女性には笑顔があった。
「しかし愛すべき男性や守るべき女性がいろいろな面で不一致が生じ、関係が破綻することがあるでしょう。その場合、片親になりますが、今まで被扶養者だったとしても主たる収入を得る世帯主になれば良いはずです。エターナル期の人間は、神の倫理に基づいた絆と自らの気持ちによって、男性女性の性器が復活します。ですから夫婦やパートナーとしての関係が破綻した場合、中性化するので、性を意識することはなくなり、親という存在になるわけです」
片親世帯で働く家事育児ロボットの映像が流れていた。
「男女同権の権利が行き過ぎた社会は子供が減る一方でしたが、エターナル期になることで、子供が増える傾向に傾くはずです」
マイカのアバターは人口が増えていくグラフを、レーザーポインターで指し示していた。
「最後に今までのグローバル政党の動きから推測しますと、我々はルイジアナ第5衛星経由で惑星オリエンタールに向かっているので、ほぼ同時期に地球を発ったオリエンタール直行便で『しなの』のことが伝えられてるはずです。その中に我々が到着した際の、命令書が含まれている可能性が充分にあります。どのような行動にでるかは予測不可能ですが、ドクターの最新研究データを欲していることは間違いありません。ドクターがエターナル期安全移行方法を編み出したことは知る由もないのてすが、ドクターの身の安全を確保するには、オリエンタールに立ち寄らないことが最善と言えます。以上がシミュレーション結果です」
マイカのアバターは締めくくり、お辞儀をしていた。
ブリーフィング室で桜内たちは、今後について話し合っていた。
「グローバル政党の連中が待ち構えている中、のこのこと行くのは、どうなんっすか」
白井は明らかに否定的であった。
「オリエンタールに行けば、田山ドクターに何らかの危害が及ぶと思います」
戸川は控えめでも否定的であった。
「私は妹や父を救ってくれた皆さんに感謝していますから、どちらにしても余計な口は挟むつもりはありません」
寺脇は中立的であった。
「オリエンタールに行っても、私以外には危険は及ばないので、私が気を付ければ良いことだと思います」
田山は肯定的であった。
「シェフはどうなんですか」
「私としては、補給食品が底をついてきましたが、船内は自給自足が可能なので、どちらでもかまいませんよ」
服部は桜内に同調するつもりのようだった。
「皆の意見はわかったが、それぞれもっともだと思う。しかし我々はスペース・ポストマンとして、大事な手紙を届けることが使命だ。オリエンタールで便りを待ち望んでいる人たちをいる以上、無視することはできない。我々のことは差し置くことが第一義だと思う」
「保管庫にある郵便物は395通あります」
マイカが付け加えていた。
「でもどんな罠が待っているか、わからないっすよ」
「それにエターナル安全移行薬剤のことを知ったら、どうなるでしょうか」
戸川は想像したくないという表情をしていた。
「ドクター、オリエンタールに着いたら、研究結果を発表しますよね」
「船長には申し訳ないが…、医師として研究者として発表させて欲しいのです。それで、もう揺るぎないエターナル期の第一人者として人類世界で認識されるはずです」
「誰にもインチキだと言わせないし、横取りできなくなるわけですか」
「はい船長。既に人類世界各地で、私のことは知られ始めているようですから」
田山が言った後、しばらく桜内は黙り、同席者たちも黙っていた。
「…危険は承知の上で十二分に配慮して、オリエンタールに行こうと思うが良いな」
桜内は同席者の顔を見回していた。
「私はスペースポストマンとして船長の決定には従います」
戸川が言うと、慌てて白井も大きくうなづき同意していた。田山、服部、寺脇もうなづき承諾していた。




