第22話 絆
●22.絆
桜内と戸川は、回収した段ボール箱を浮上台車に乗せて、飛行艇に載せていた。
「船長、ドクター田山は、お見送りには来ていないのですか」
ベンソンは島の飛行場に現われた。
「ドクターは、いても立ってもいられない様子で、我々と早朝に挨拶を交わしてから朝釣りに行きました」
「田山ドクターは、妙な里心が出ると行けないと思っているのかもしれませんね」
戸川が付け加えていた。
「そうですか。それで空の段ボール箱を回収してくれるのですか」
「はい。これも『しなの』の業務の一環でして」
桜内は、飛行艇のハッチを閉めていた。
「船長、空なのに畳まなくて良いんですか」
ベンソンはちょっと目を細めていた。
「畳んでも畳まなくても重さは変わらないので、いつもそのままにしてます」
桜内は即座に答えていた。
「あぁ、それもそうですね」
ベンソンは表情を柔らかくしていた。
「充電もバッチリなので、我々は失礼します。ドクターのことをよろしく頼みます。それと代理の船医は…」
「ドクター・ミラーは第5衛星の宇宙空港で、あなた方と合流します。そうでないとこの後の郵便業務の邪魔になりますから」
「それはどうも。ご配慮ありがとうございます。それでは」
桜内はベンソンと握手を交わしていた。
飛行艇は島の飛行場から浮上した。操縦桿を握る桜内は操縦桿を倒し水平飛行させると、眼下を見下ろしていた。海面は遥か下方にあった。
「よし、荷室の段ボール箱を見てくるか」
桜内は操縦を自動に切り替えて操縦席を離れた。
段ボール箱を開ける桜内。戸川は副操縦席からその様子を見ていた。
「ドクター、生きてましたか」
「船長、窮屈でしたよ」
田山は伸びをしていた。
「船に戻ったらダイエットでもしますか」
「いや、また段ボールに入るのご免ですから」
宇宙空港の駐機場では郵便飛行艇が、ゆっくりと宇宙連絡船の貨物室に入って行った。桜内がその様子を確認していると、空港の検査官3人が、スタンガンやセンサー類を持ってやってきた。
「桜内船長、ちょっとよろしいですか」
「なんか、ずいぶんと物々しいではないですか。何かありましたか」
桜内はチーフのパスを首から下げている検査官に言った。
「はい。指名手配犯が逃亡していると連絡が入りましたので、船内を検めさせてもらってます」
「こんな静かな衛星に物騒ですね。どうぞご確認ください」
「これも仕事なんで、すみませんね。何もなければすぐに終わりますから」
チーフ検査官が言ったので、桜内は連絡船の搭乗口に案内しようとした。
「まずは連絡船と飛行艇の荷室から見させてもらいます」
「あのぉ、出航予定時間が早まったので、あまり時間がありません。手早くお願いします」
「わかりました」
「助かります。戸川、通常手順でカーゴベイを開けてくれ」
桜内は少しほっとした表情で、襟章のマイクで命じていた。
「あ、はい」
戸川の声が桜内の襟章から聞えてきた。
荷室の検査が終わると、検査官たちは連絡船内を隈なく調べたが、不審者も不振物も見つからなかった。
「船長、ご協力ありがとうございました」
チーフ検察官は搭乗口の近くで敬礼をしていた。
「あのぉ、一つ気がかりなことがありまして、この後、うちのドクターの代わりと称する人間が合流するとか言われましたが、医療ロボットがいるのでキャンセルしています。ご確認をお願いします」
「はい。到着時に登録されているドクターはここに残り、別の交代要員が乗ることになっていますが」
「私は、キャンセルしたはずなのに、先ほど、出発チェックリストを見ましたら掲載されてました」
「ちょっと待ってください。調べます。…ああ、特記事項にありました。ちょっと不自然ですね」
チーフ検察官はタブレット端末で調べていた。
「怪しくありませんか。もしもですよ。その手配犯だったら我々が出航したら、もう逃亡は不可能でしょう」
「確かにそうですね、わかりました。お急ぎのようなので、あなた方は出航して結構です。後は我々の方で処理
します」
「手配犯の逮捕、頑張ってください。それでは失礼します」
桜内は搭乗口のハッチを閉めていた。
医務室の人体模型を身につけていた田山は、まず頭蓋骨を外していた。
「船長、段ボールの次は人体模型ですか。次は何にしますか」
「日本の鎧兜か西洋の甲冑かな」
桜内は足の筋肉模型を外していた。
「そんなもの船内にないでしょう。冗談は良してくださいよ」
田山は歯を見せて笑っていた。
宇宙連絡船は『しなの』の格納庫に収まりしっかりと固定された。第5衛星と第4惑星を背景にした『しなの』は、音もなく連続ワープに入った。
『しなの』は順調に連続ワープ航行をし、何の問題もなかった。桜内を含む乗員たちは、通常の見回りなどのルーティーン業務ばかりであった。
この日、桜内は体に変化が見られたので医務室を訪ねていた。
「ドクター、エターナル期になると若々しさがなくなるかと思ったが、そうでもないし、この所、男性器も復活してきましたよ」
「船長、ということは誰かに熱烈な愛を捧げているのですか」
「いや、特にその気はないのだが…」
「それは、新たな症例として研究する余地がありますな」
「あぁ、それと寺脇さんの腹が少し大きくなっている気がするが…」
桜内は思い立ったように言っていた。
「まだ目立たないはずですよ。でももしかすると、そういうことが、影響するのかもしれませんね」
「私と寺脇はなんの恋愛感情もないのにか」
「何か他の因子が働くのかもしれませんから。あっ、戸川さん、どうしました」
田山は、医務室に入ってきた戸川を見ていた。戸川がもじもじしているので、田山はすぐに立ち上がり、そばに近寄った。
「あのぉ、性器に変化が見られ、そのぉ生理が来たのですが…」
戸川はかなり小声で言っていた。
「そうですか。ありえないことではありません。心配しないでください」
「えっ、白井君と寺脇さんのような関係の相手はいないと思うのですが」
「寺脇さんの妊娠に影響されている可能性があるのですが、目下、いろいろと考察中です」
田山は桜内に背を向けながら小声で話していた。
「ドクター、戸川は大丈夫なのか」
桜内は心配顔であった。
「ルーティン業務に飽きていて刺激が必要なのかもしれません」
田山は桜内の方に振り向いて、明るく言っていた。
「船長、私は多趣味ですから、気は紛らせられます」
「それなら良いが…。ちょうど良い、私は電重力カイト・サーフィンをやってみたいんだが、君もやっていたよな」
「はい。あぁ、今まで一人でやっていたのですが、仲間が増やせそうですね」
戸川は明るい表情になっていた。
「精神衛生上良いと、船医の私も勧めますよ」
田山はわざと糞真面目な口調にしていた。
「それじゃ、決まりだ。昼飯を食ったら湖沼区画に集合だな」
桜内は、久しぶりに無邪気な表情を見せていた。
桜内と戸川はTシャツ短パンにライフジャケット姿で湖畔に立っていた。戸川は胸の膨らみがあるようだが、ライフジャケットで、良くは見えなかった。準備体操を終えると、桜内は電重力カイトを揚げようとするが、角度が悪くなかなか上がらなかった。無理やり揚げようと手元のコントローラーで電重力板のパワーを上げたりしていた。この調節が微妙で、強過ぎるとあらぬ方向に引きずらてしまっていた。
「船長、コントローラーに頼らず、カイトの角度を調節してみてください。こんな感じです」
戸川はカイトをいとも簡単に揚げて見せていた。カイトを操作するコードはピーンと張り、風を受けて浮く凧のようになっていた。
「これで、サーフボードに足を固定すれば、湖面を自在にサーフィンできます」
戸川は、コントローラーは一切触らずに操作コードを右左に引っ張っていた。桜内は戸川のカイトを見上げていた。
「基本動作はわかったから、実際に湖面で試そうじゃないか」
桜内はその気になっていたが、戸川はちょっと心配そうにしていた。
サーフボードに立ち、カイトを揚げる桜内。意外にも上手く上がっていき、サーフボードも推進力も得て進み始めた。
「どうだ戸川、案ずるよりもってやつだろう」
「あ、そうですね」
戸川もカイトを操ってサーフボードを進めた。
湖の真ん中にある小島を遠巻きに周回し、桜内はだんだん慣れてきていた。戸川は、桜内をインストラクトするのを止めて、彼女が密かに作っていたジャンプ台を使い始めた。
戸川は華麗なジャンプを披露していた。
「おいおい戸川、いつの間に、そんなもの作っていたんだ」
桜内はジャンプを終えた戸川の横に並走していた。
「船長、ダメでしたよね。すみません。命令とあればすぐに撤去します」
「いや、規則ばかりじゃ、息が詰まるから、大目に見るよ。それに私もジャンプしたいからな」
当初、桜内はジャンプは無理だと思っていたが、カイト操作のコツをつかむと、戸川のようにジャンプしてみたくなった。桜内はぐるりと小島を回り加速するとジャンプ台に向かった。ジャンプ台が目前に迫ったかと思うと、次の瞬間、宙に舞っていた。今までに見たことがない湖の景観が広がり桜内は感動していた。桜内が歓声をあげていると、戸川は手を振っていた。
桜内はもう一度小島を回るとさらに高いジャンプをしようと加速させていた。電重力板を最大にし、ジャンプ台で踏ん張ってから飛び上がった。彼が思っていた以上にジャンプできたが、滞空時間が長い分、そのまま落下すると下を行く戸川にぶつかるタイミングになってしまった。
「戸川、あぶない」
桜内の乗るサーフボードが戸川の頭上に迫る。戸川は上を見る。桜内は必死にカイトを操作するが、自らの態勢を大きく崩していた。そのまま湖面に突っ込み激しい水飛沫が上がる。さらに急降下したカイトの向きが悪く、桜内を水中に引きずり込ませる。一気に桜内の姿が湖面から見えなくなった。
戸川はカイトのコード操作でサーフボードボードを急停止させ、桜内が突っ込んで湖面を呆然と見ていた。しかしかし、いつまで経っても、桜内が浮かび上がってこなかった。
「船長、あぁ、どうしちゃったの…」
戸川は顔色を変えて周りを見ていた。
「船長どこよ。出てきて。あぁ。ダメまさか。こんなことで船長を失うなんて」
戸川は取り乱していた。戸川は震える手でカイトを操作し、急いで岸に向かった。
湖畔のベンチには戸川が外したの襟章が置いてあった。
「マイカ、せっ、船長が、沈んだままなの」
戸川は襟章をきつく握り締めていた。
「落ち着いてください。湖沼区画のレスキュー・ロボを向かわせます」
マイカの声は気が動転している戸川の耳には薄っすらとしか届いていないようだった。
駆けつけ湖畔に立つレスキュー・ロボは、湖面上に浮遊物がないか目視確認していた。
「何も見当たらないので、水中に超音波、熱感知及び動体センサーを向けて見ます」
レスキュー・ロボからマイカの声がしていた。戸川はベンチに寄り添うようにしゃがみ込んでいた。
「船長の代わりはいないのよ。『しなの』にも私にも船長は必要なの。せめて船長の子供を生んでいれば…」
戸川は悔やみながら泣き崩れていた。戸川は今まで抑えていた気持ちや感情を一気に解き放っていた。
桜内はジャンプ台とは小島を挟んで反対側の水中まで引きずられていた。操作コードを手放すことで、湖面上に浮き上がることができた。飲んだ水を吐き出してから小島まで泳いでいった。
息が荒いまま小島に這い上がり、小島をぐるりと回ってジャンプ台の見える所まで来た。湖面には誰もおらず、湖畔を見渡しても駆けつけたレスキューロボが水中をサーチしている姿しか見えなかった。
「あぁ、戸川を水中に沈めてしまった。何ていうことをしてしまったんだ」
桜内は頭を抱えていると、心に大きな穴が空いてしまった気がしていた。
「こんなに強い…、あぁ彼女を失いたくない、そうか神の倫理として愛していたのか。でも今さら遅い」
桜内は近くに転がっていた石を思いっきり投げた。
「畜生、畜生」
桜内は次々に石を投げると石が土砂降りのように音を発て波紋を広げて行った。それに気づいたレスキューロボが何か言っているが、遠くてよく聞こえなかった。ロボットの足元から人が立ち上がる姿が見えた。戸川であった。桜内は、嬉しさのあまり自然に涙があふれてきた。かなり距離は離れているが、桜内と戸川は見つめ合っていた。心の目で見つめ合っているのかもしれない。視覚情報としてではなく、精神的な絆で感じ合っているかのようだった。
戸川は疲れ果てたように湖畔のベンチに座っていた。レスキューロボと共に湖畔に上がって来る桜内の姿をぼーっと眺めていた。
桜内はベンチの所まで来ると、戸川を優しく抱き寄せていた。
「船長、私は…」
「何も言うな。私も本当の気持ちに気付かされた」
桜内は戸川がまだ何か言いたそうにしていたので、キスをしていた。
「レスキュー完了しました」
レスキューロボからマイカの声がし、二人のそばから離れて行った。




