第二十話 第5惑星
●20.第5衛星
『しなの』の格納庫は与圧されており、宇宙服なしで作業が進められた。宇宙連絡船が大部分を占有しているが、その脇に郵便飛行艇が停められていた。いずれも重力がないので、宙に浮き、ワイヤーで固定されていた。
「マイカ、どうも重力がないと踏ん張れないな」
桜内は郵便飛行艇の後部のバッテリーユニットを外そうとしていた。力を入れると足が宙に浮き、体が回転してしまった。
「作業用重力マットは倉庫にあります。必要とあればお使いください」
「あ、大丈夫だ。上手く外れた。今度は重力がない方が引っ張りだしやすいよ」
桜内の言葉にマイカの返事はなかった。
「マイカ、気分を害したか」
「いいえ。特に返事は必要ないと判断しました」
「一人で作業しているつまらないから、マイカ、話し相手になってくれよ」
「わかりました」
「マイカ、まもなく到着するルイジアナ第5衛星にも、そろそろルイジアナ本局を置いた方が良いよな」
「今のところ、人口が少なく広範囲なので、衛星上に本局・支局の集荷拠点を置く経費の方がかさむと宇宙郵船は判断しています」
「でも、我々が衛星に降り立って、2500人のために郵便物をこの飛行艇で各戸に届けるのは、時間のロスではないか」
「ワープ船は一旦停止すると、再起動に時間を要します。その間に届けられるのでしたら、ロスはありません。船長たちの手間だけです」
「マイカ、冷たいぞ」
「お気に障るようでしたら、謝ります」
「まぁ、いいや。それで久しぶりに飛行艇を動かすには、バッテリーを交換する必要があるな」
「そのタイプの予備のバッテリーはありません」
「充電してもすぐに空になるんだけど、バッテリーが古いからだと思うんだ」
「はい。その結論に至ります」
「迂闊だったな。バッテリーの予備を積み込みリストに入れておけば良かった」
「予定よりも経年劣化が進んだようです。その点は、私も気が付きませんでした」
「マイカもリセットされたり、いろいろとあったからな。責めるつもりはないよ」
「それでは、郵便物配送の際には、携行発電機を持って行く必要があります」
「水素エンジンの発電機か、わかった。あれも倉庫だよな」
「はい。作業用重力マットの奥の棚にあります」
「あれは重いから、重力がない方が助かる」
桜内は軽く床面を蹴って浮遊しながら倉庫に向かって行った。
寺脇の妹の病室。
「彩音、とりあえずノバ感染症は治ったわね。一時は姉さんも覚悟してたくらいよ」
寺脇はシナノゴールドの皮を剥いていた。
「辛かったんだけど、そのリンゴが目に映って、急に食べたくなってね。頑張れたと思うの」
「はい。口を開けて」
寺脇は妹の口にリンゴの切り身を入れようとしていた。
「姉さん、子供じゃないんだから。でも甘えちゃおうかな」
彩音は口に入れられたリンゴを頬張り、ニッコリとしていた。
「まだ大丈夫だと思うけど、そのうち体に変化が起きるけど、心配しないで」
「あたしの病気が後遺症で治るんでしょう。なんか手が動きやすい気がするのよ」
「そうなの。もう始まっているのかしら」
寺脇は妹の胸元を見ていた。
医務室の田山はいつにも増してハツラツとしていた。
「船長、もしかするとこのオリジナル株の遺伝情報を上手く活用すれば、何も感染させなくても、不老不死になれるウィルスが作れると思います」
田山は、いろいろなデータを見せていたが、桜内にはさっぱりであった。
「とにかく感染症のリスクなしに不老不死が手にできるというのですか」
「そうです。神の倫理に則ればセックスもできるわけですし、これはもう人類進化の一大変革期になります」
「それを研究、発見したのがドクターというわけですか。私も船長として誇らしく思います」
桜内の言葉に田山はこの上ない笑みを浮かべていた。ドアが開き寺脇がふらふらしながら入ってきた。
「寺脇さん、どうしました。試薬の調合は後で構わないぞ」
「先生、なんか私、気分が悪くて…」
寺脇は桜内に軽く会釈しながら言っていた。
「潜伏期間は合わないが…、妹さんのウィルスをもらった可能性があるな」
田山は診察室に寺脇を連れて行った。
桜内は田山の業務報告がまだ途中だったので、しばらく待つことにした。寺脇は桜内の部下ではないが、健康管理には責任があると思っていた。
桜内は2日後に到着予定のルイジアナ第5衛星用に、スマホの同時通訳アプリをアメリカ南部訛りの英語に調整していた。これは宇宙郵船の方針で、入植者たちに親しみやすくするためであった。
田山は嬉しそうに、寺脇は複雑な表情をして診察室から戻ってきた。
「ドクター、どうでしたか」
「船長、寺脇さんは妊娠3ヶ月です」
「ええっ、赤ちゃんですか」
桜内はスマホを落としそうになっていた。
「ということは出航の頃に…。まぁ、とにかくめでたいことです。これでエターナル期の人間がセックスができ、妊娠につなげられることが実証されました」
田山は寺脇を少しは気遣っているものの、目を輝かせていた。
「そうですか。寺脇さん、おめでとう」
桜内は何をしたら良いかわからず、とりあえず寺脇に握手していた。
『しなの』が連続ワープを終えると、ルイジアナ星系にある木星型の巨大な第4惑星の前に姿を現した。第4惑星と比較するとほんのわずかな点にも満たない存在であった。この惑星には、7つの衛星が回っており、そのうちの第5衛星が地球とほぼ同じ環境と大きさであった。ターミナル・ステーションはなく、地表の宇宙空港で出入境管理などは行われていた。
宇宙連絡船は管理棟の一番端の駐機場で、貨物室のハッチを開いていた。戸川が操縦する郵便飛行艇は、30センチ程度浮上しながらハッチの斜路を降りると、管理棟に向かって行った。
「船長、飛行艇は降ろしておきました。いつでも出発できます」
戸川はいつの間にか手続きデスクの待合室に入って来ていた。
「あぁ、ちょうど良いタイミングだ。今、書類チェックは終わった所だ」
「田山ドクターが文句を言ってるぐらいで、準備万端整っています」
「そうだろうな。急患がいなければ、降りないで研究が続けられたからな」
「でも船長、ここは医師不足が深刻なのですか」
「ヤブ医者いっぱいいるようだが、名の知れた名医はいないようだぞ」
「田山ドクターのことは、もうここにも広まっているのでしょうか」
「一つ前の便で情報がもたらされているようだ」
桜内は今のところ何もなくても、周りを見ながら警戒感は強めていた。
桜内は、眼下の海洋を見ながら操縦桿を握っていた。
「本当は船長がやる仕事ではないのですが、よろしいのですか」
副操縦席に座る戸川は、少々恐縮気味であった。
「宇宙船にばかり乗っていると、たまには自由に空を飛んでみたくなるから、あえてやらせてもらっている」
桜内は嬉しそうであった。
「船長、次に降りる所は、あそこの島ですか」
後部座席の田山は、水平線のかなり手前にある島を指さしていた。
「あれではないんだ。次に降りる所は浅瀬に支柱を立てた人工地盤の金鉱採掘拠点だから。なぁ、そうだよな」
「はい。現在地点から250キロ程先の浅瀬になります」
戸川はコックピットのフロントガラスから差し込む日差しを眩しそうにしていた。
「しかし、最初に降りた病院には参りましたよ。結局、急患なんて私を呼ぶための口実だったんだから」
田山は近くを通り過ぎる雲を見ながらぼそりと言っていた。
「でも、ドクターはちょっとした講演ができて満足じゃないですか」
桜内はエアポケットにちょっと沈んだ機体を引き上げていた。
「となると次の次の急患のいる医院も怪しいものですね」
戸川は郵便物の集荷ヶ所と急患の場所がプロットされている航路図を見ていた。
「地球も海が多いが、この衛星はもっと多い。90%以上だろう」
桜内は眼下を見た後、『しなの』と思われる天空にきらりと光る点を見つけていた。
「それにしても全人口が2500人とは、これからゴールドラッシュが来るのですかね」
戸川も天空に光る点を見つけていた。
「船長、あの点は我らの船ではないか」
田山は自分が第一発見者のように言っていた。電重力板で加速した郵便飛行艇はマッハ1.5程度で飛行していた。
高度を下げた郵便飛行艇は、人工地盤の金鉱採掘拠点のすぐ脇の水上に着水した。上空から見た波は穏やかであったが、着水してみると意外に波に揺れていた。揺れながら拠点の桟橋に接岸した。
戸川が桟橋を渡り郵便物を郵便受けに入れていると、採掘拠点の建物から男が出てきた。人を感知したスマホの通訳アプリがオンになった。
「あぁ、これを郵便で届けてください」
男は切手が張られた封筒を渡してきた。
「オリエンタールのテングオリンまでですと、料金が3ルイジアナ・ドル足りません」
戸川はあて名書きを見ながら為替レートを暗算し、不足分を告げていた。
「そうでしたか。不足分はこれで払います」
男はスマホをかざして、戸川の決済リーダーに電子マネーデータを送信していた。
「一山当たられそうですか」
戸川は軽く声をかけていた。
「それは言えないよ。言ったらライバルが押し寄せるから」
男はニヤリとしていた。
郵便飛行艇は再び舞い上がり、雲を突き抜けていた。
「船長、ここの人口が少ない理由がわかった気がしますよ」
戸川は、郵便袋をドクターの横にある収納ボックスに入れていた。
「なんか言われたか」
桜内は飛行艇を加速させていた。
「自分たちだけで独り占めしたいので、掘りあてても他言しないみたいです」
「どの業界でも人の居る所では欲が絡むもんですな」
田山は意味深なことをさり気なく言っていた。
第5衛星の空を見上げると薄っすらと第4惑星の巨大な姿が空を多い、その横からルイジアナ星系主星の陽光が降り注いでいた。
「ここは潮汐力が大きいようだな」
桜内は点在するサンゴ礁類が作る島が、一気に波に飲み込まれていく様子を眺めていた。
「海抜1~2メートルだとひとたまりもないから、桟橋や人工地面の支柱が高いわけね」
「しかし船長、圧巻の景色じゃないですか。いずれこのサンゴ礁もどきの島は観光名所になりますよ」
「金鉱以外にも人が呼べるものがあれば、人口は増えて、本局や支局ができることになるのかな」
桜内は郵便業務のことが頭から離れないようだった。
「あそこですね。船長」
戸川は満潮の波にも飲まれない島をいち早く発見していた。
「また私の出番のですかな」
田山はまんざらでもない表情を浮かべていた。桜内は飛行艇の高度を下げ始めていた。




