第十三話 イーブン
●13.イーブン
医務室のベッドには人工心肺装置を装着した田山が横たわっていた。ベッドのそばには飯島も来ていた。
「寺脇さん、ドクターは助かるんですか」
桜内はベッドの傍らに立つ寺脇にすがるように言っていた。
「ご覧の通り機械で生かされているので、今後の容態次第です」
寺脇はすぐ隣に立っている飯島を意識しながら言っていた。
「心肺の損傷は酷いわけですか」
桜内が肩を落としていると、寺脇を申し訳なさそうにうなずいていた。
「となると自分の細胞を培養した臓器を移植しなければ、ならないのですか」
戸川の言葉にも寺脇はうなずいていた。
「早く地表に降ろして移植の準備をしなくては」
桜内はここが軌道上だと言わんばかりの顔をしていた。
「それが船長。田山ドクターもノバ感染症は陽性だったので『しなの』から降りることはできないのです」
飯島が寺脇の前に立って言い出した。
「寺脇さん、せめて高度医療船で臓器培養はできるのではないでしょうか」
桜内は飯島を無視するように言うと、飯島はあからさまに顔をしかめていた。
「船長、残念ながら医療チームの一員である私にできることは、ここまでです」
寺脇がキッパリと言うと飯島は満足そうな顔をしていた。
「船長、ここは一つご理解ください」
飯島は少し勝ち誇ったようだった。
「あのぉ…オリジナル株のノバ感染症に感染させて、ドクターの言うエターナル期になれば不老不死、つまり臓器が自力再生できるのでは」
桜内は思いつくままに言っていた。飯島は何を言い出すのかという顔をし、寺脇は少し顔が明るくなった。
「その可能性はあります。…というかその手がありましたね。田山ドクター自身の発見が自らを救うことになったら素晴らしいことです。それでしたら地表に降ろさなくても対処できます」
寺脇はすぐに呼応していた。
「んん、それでしたら問題ないでしょう」
飯島は寺脇が余計なこと言うなと睨んでいた。
「船長、それなら手術はしなくて済みますし、臓器培養の必要がありませんよ」
戸川はわざとらしく目から鱗という顔をしていた。
「ここでできるなら陰性も陽性も関係ないっすからね」
白井はけしかけるような口調であった。
「しかし、発熱、咳など諸症状は対処療法で治しながらになりますから、慎重にやる必要があります」
寺脇は飯島を気にしながら言っていた。
「やるだけやってみたらどうですか。容体が急変しないことを祈ってます」
飯島は不敵な笑みをちらりと見せていた。
「それでは寺脇さんにお任せできますか」
桜内は試しに言ってみた。
「ん、寺脇は他にもやるべき医療チームの仕事があるので、たまに様子を見るくらいになります。後は医務室のロボットで対応してください」
飯島は面倒くさそうにしていた。
「あぁ、それとドクターを襲った岩村の背後関係の捜査をお願いします」
桜内はまだここがどこか何も知らないフリをしていた。
「国際宇宙連合の担当部署によって徹底的に捜査させます」
飯島は威厳に満ちた顔を桜内に向けていた。
コントロール室の桜内、白井、戸川は顔が強張っていた。
「ドクターが用済みということは明らかだから、容体急変を装って殺しにかかることは間違いない。一刻も早くここを立ち去る必要があるが、白井、進展はあったか」
「高度医療船のサーバー室にある画像データは、アクセスのしようがないんで、誰かが行ってメモリーに入れて持ってくるのが手っ取り早いっすよ」
白井の言葉に戸川もうなずいていた。
「そうか、もう少し時間がかかるか」
桜内が言うと白井たちは黙ってしまった。
「マイカ、医務室のドクターに異常はないよな」
桜内は室内のマイクに呼びかけていた。
「はい。看護ロボットは初期化しましたし、私の監視下にあるので、万一、何らかの細工がされていたとしても無効です。もう一つよろしいですか」
「なんだ」
「岩村を叩きつけたセキュリティー担当のロボットを分析したところ、何者かに細工されパワーリミットなどをオフにされていました」
「誰かはわからなくても、察しがつくな」
「船長、高度医療船には私が行きます」
戸川が突然思い詰めた顔で言い出した。
「戸川さんよりも、自分の方が向いている気がしますっけど」
「データをメモリーに移すぐらいのことは白井君に任せなくてもできるわよ」
「…二人の気持ちはわかった。しかしここは私が行こう」
「船長、それはダメです。もしものことがあったら『しなの』にいろいろと不都合が生じます」
「戸川、君に代行する権限があると思うが」
「とにかく、こちらにいて欲しいのです」
「自分も同感っす」
「…3人で行くか」
桜内が言うと白井と戸川は顔を見合わせていた。
「マイカ、近々飯島に関わる記念日が何かあるか」
「ありません。しかし毎年パーティーをやる程ハロウィン好きということが経歴の余白に記されています」
「それはちょうど良い」
高度医療船のハッチが開くとスピーダーバイクに跨るストームトルーパー、鎖に繋がれるハン・ソロとチューバッカがゆっくりと入ってきた。ストームトルーパーは時折、鎖を強く引っ張っていた。宙に浮くスピーダーバイクは人の歩みよりもわずかに早い程度であった。ハッチ付近にいた乗員たちは、船内スマホで撮影していた。
「高度医療機器などの提供に感謝するサプライズ仮装パーティーのことは、ちゃんと統括マネージャー代理に言ってあるよな」
桜内はハン・ソロの恰好をし、腰にはブラスターに模した加速銃をさしていた。
「はい。ですからこんな妙な格好をしても高度医療船に乗船できるわけです」
3Dプリンターで作ったストームトルーパーの中から戸川の声がしていた。
「ウォッ、ガルルルォー」
ボウキャスターを肩から下げたチューバッカの着ぐるみを着た白井は、あまり似てない人間っぽい声でひと吠えしていた。
通路ですれ違う医療チームや高度医療船の乗員には怪しまれず、ただニヤニヤされて見られているだけであった。高度医療船の食堂兼ホールに近づくにつれて、仮装している乗員たちもちらほら見かけるようになった。食堂兼ホールに設けられたパーティー会場の入口には、統括マネージャー代理のジェームズ倉本が待っていた。桜内たちを見つけると、すぐに別の入口に案内した。
「今年のハロウィン・パーティーのサプライズゲストは、この方々です」
蝶ネクタイをした司会進行役のジェームズ倉本が桜内たちの前にあった幕を開ける。桜内たちはそれぞれポーズをキメて、特設ステージに上がった。乗員や医療チームのメンバーたちが拍手していた。
「先日、ドクターが襲われましたが、幸いにして一命はとり止めております。ドクターの研究が人類にとって大きな飛躍になることは確かです。これはひとえに高度医療船の方々のご協力があったからこそです。ここにドクター田山に代わってお礼を申し上げます」
桜内が言うと、ひと際大きな拍手が鳴り響いていた。ステージ前の席に座っている飯島も喜んで拍手していた。
立食スタイルのパーティーなので、桜内たちは皿やグラスを手にして歩き回り、乗員たちとドクターのことや仮装などについて話していた。高度医療船の料理長がローストビーフを切り分け、本格的な料理が並んでいた。
ビンゴの用紙が配られ始めパーティーも後半に差し掛かっていた。桜内たちはパーティー会場の端の方に集まっていた。
「用意はいいか。手筈通りに頼む」
ハン・ソロは周りに笑顔を振りまきながら声を潜めていた。
「自分はトイレの合間にちょっくらデータを拝借するっすね」
チューバッカはそう言うと、トイレの方に歩いて行った。
「私は彼の作業中、外を見張ってます」
ストームトルーパーもちょっと時間をズラしてトイレに向かった。
チューバッカはトイレを通り過ぎて、サーバー室に向かって行った。通路には酔っぱらってふらふらしているバットマンやルパン三世がいた。
チューバッカは、サーバー室の前でしゃがみ込み、リード線が出ている小箱を解錠センサーに押し当てていた。数秒後、ドアはスルスルと開き、チューバッカは中に入った。少し経つとストムートルーパーが、ドアの前でへ垂れ込んで座っていた。
サーバー室内の操作ブースでモニター画面を見ている白井。『65%コピー』と表示されていた。ドアをノックする音が聞こえてきた。白井は気が付くとドアのそばまで来る。小刻みにノックする音がしていた。
『マダカ』というモールス信号になっていた。
『ロクワリコピー モウスコシ』
白井はモールス信号でノックしていた。
『ダレカキタ ジカンカセギスル』
と返ってきた。
パーティー会場の桜内は、飯島の動きをさり気なく見ていた。今のところ、高度医療船のセキュリティー担当者から連絡は入っていないようだった。桜内の襟章に着信音がしたので会場の人気がない所に移動した。
「船長、寺脇が容態を見に医務室に来ました」
かなり音量を絞ったマイカの声がした。
「…彼女なら医務室に入れても大丈夫だろう。但し、妙な動きをしたら、看護ロボットを使って取り押さえろ」
ナプキンで口を拭くフリをしながら言っていた。
「了解しました」
桜内が顔を上げて会場内を見回すと、飯島の姿がどこにもなかった。トイレの可能性もあるので、慌てずに少し様子を見ることにした。
ストムートルーパーは、リード線が出ている小箱を解錠センサーに押し当てては、作動しないフリをしていた。解錠センサーを叩いたりしていた。
セキュリティー担当ロボットがサーバー室前まで来る。
「何度言ったらわかるのですか。パーティー会場にお戻りください」
ロボットが強い口調の人工音声で言っていた。
「何をしているのですかな」
セキュリティー担当の乗員とロボットを従えた飯島が、ストームトルーパーの背後に立っていた。ロボットが、ストームトルーパーの頭部のいとも簡単に引きちぎると、戸川の顔がむき出しになった。
「戸川さんでしたかな。サーバー室に入れなくて残念ですな」
飯島は底意地が悪そうな顔で戸川を見下ろしていた。
「こいつを捕まえろ」
飯島が言うと、乗員たちが戸川を拘束した。
飯島たちが戸川を連行して、しばらく経つとサーバー室のドアが開き、チューバッカが出てきた。周囲を見まわしてから、何事もなかったようにハッチに向かって通路を歩いて行った。
医務室の監視カメラが寺脇の動きを追っていた。寺脇は何度もためらっていたが、人工心肺装置の電源を切ろうと手を伸ばした。医務室内で充電中の看護ロボットは、充電ブースから飛び出そうとするが、カメラの死角にある両足がブースのフレームにチェーンで縛られていた。一歩も踏み出せないロボットは、手を下して強力な腕力でチェーンを引きちぎった。
寺脇は指先がコンセントに触る寸前に、背後から鷲づかみされ吊り上げられた。足をバタつかせる寺脇。
「異常行動を検知。排除終了」
ロボットの声は医務室内に響いていた。
桜内の襟章に着信音。
「船長、データ確保っ」
白井の声が聞えてきた。
「戸川も一緒だな」
「いいえ、別行動で先に戻ったみたいっす」
「よし、私もここからおさらばするか」
桜内は小声で言ってから周りを見る。まだ飯島の姿は見えなかった。最後のキメ台詞でも言おうと思っていたが諦めて、戸川が置いて行ったスピーダーバイクに歩み寄った。
「それでは皆さん。楽しいパーティーでした」
ハン・ソロが言うと乗員たちは拍手で送りだそうとしていた。浮遊ストレッチャーにスピーダーバイクの3Dモデルを被せたバイクに跨るハン・ソロ。後部に取りつけた電重力板を作動させる操作レバーを少し倒すと、ゆっくりと前に進み始めた。
高度医療船の通路を駆け抜けるスピーダーバイク。ハッチまで後10数秒の所で船内の警報が鳴りだした。通路の曲がり角を曲がると正面にハッチが見えた。今まで開いていたハッチの扉が閉まり始めた。ハン・ソロはレバーを前に思いっきり倒し急加速させる。通路の照明がピュンピュン後ろに過ぎていく。スピーダーバイクは扉が閉まる寸前に滑り込み、背後で扉が閉まっていた。




