第十一話・バーチャル
●11.バーチャル
桜内と田山は被験者のいる病室に入った。フランク飯島は入らずマジックミラー越しに見ていた。
「森島さん、お加減はどうですか」
田山は落ち着いたところを見計らって声をかけた。森島はベットに腰かけていた。
「あぁ先生、俺はどうなるんですか。妙な連中に薬を飲まされんですが」
森島は目が虚ろであった。
「あなたを正常な状態にするよう努力しているので、今しばらく頑張ってみてください」
「先生、あんたもグルなんですか」
森島は田山の袖をつかみかけた。
「森島さん、ドクターは連中の仲間ではありませんよ」
桜内は少々驚いている田山の袖から森島の手をそーっと離していた。
「船長、…船長さん、あたし、怖いの。どうしたら良いのかしら。助けて。お願い」
森島は急に女性的な仕草をしてきた。桜内と田山は顔を見合わせていた。
「ドクター、こ、これは…」
「精神面での性別に混乱が生じていると言えます。しかし原因がわかりません」
「ドクター、こんなこと、即刻止めましょう」
「しかし船長、ここで諦めては、治療薬は手にできません」
「お二方、あたしは、感染症を治して地球に戻りたいだけなの。わかってちょうだい」
森島は涙ぐんだ目を桜内達に向けていた。
「…ドクター、とりあえず森島さんの臨床試験は止めてください」
「ん、はい。わかりました。しかし飯島さんが何て言うか」
「私の方から、飯島には別の方法にしてくれと、言っておきます」
桜内が言っていると、病室のドアが開き飯島が入ってきた。
「船長、田山ドクター、そろそろお時間です。どうですか」
「飯島マネージャー、森島さんは精神的にかなり苦しんでいるようなので、今回の臨床試験は中止してください」
「そうですか…、船長がそこまで、おっしゃるのでしたら他の方法を検討しようと思います」
飯島はあっさりと引き下がり承諾していた。
ブレンドコーヒーをグイッと飲み込む桜内。四人掛けの席には白井と戸川が合い席していた。
「今日は、ブリーフィング室やコントロール室は監視されている可能性があるから、ここ『シェフズ・カフェ』
で話した方が良いと思って、君たちを誘ったんだが」
桜内は周りを何気なく見回しながら言っていた。
「船長、ということはマイカも信用していないのですか」
戸川は思わず口を挟んだ。
「マイカも何らかの細工をされているようだ。普段なら言わないことを言ったりしているからな」
「そう言えば、田山ドクターも、やけに奴らに肩入れしている気がするっすね」
「地球軌道上に到着してから、なんか違和感があるというか、変な気がする」
「船長、何か具体的な根拠があるのですか」
戸川は近くを通り過ぎた客がいたので、声をより潜めていた。
「それなんだが、高度医療船が低速ワープ船という点なんだ。軌道上の船なら、何も光速の2倍は出せるワープ機能は必要ないだろう。通常ロケットの船で充分のはずだ」
「でも、たまたま空いていた船が低速ワープ船ってことないっすか」
「そうかもしれないが、太陽系内の移動に使う用事が全くないとは思えないのだが」
「船長の思い過ごしだと良いのですが、諸々と納得のいく説明が必要かもしれませんね」
「どうするんっすか」
「船外に出て、地上と直接交信してみるのは、どうだろう。何かわかるかも知れない」
桜内たちは身を寄せ合って話していた。
「船長、コーヒーのお代わりはどうです」
服部がポットを持って席まで来て注ごうとしていた。
「あ、シェフ。入れてもらおうか」
「船長、岩村の奴が店に入って来ました。密談などしないで陽気な話でもどうですか」
服部は小声であった。桜内は軽くうなずく。
「それでさぁ、ボスキャラが出て来る前にズッコケてゲームオーバーってわけさ。参ったよ」
船長は笑顔を見せながら言っていた。
桜内は船外作業ポッドのハッチの前にいた。
「マイカ、抜き打ちの非常時船外作業訓練だ。開けてくれ」
「船長のIDとパスワードを入力してください」
非接触型の3D投影キーボードが浮かび上がった、
「いつものように口頭ではダメなんだな」
「はい。厳正に対処しています」
マイカはいつになく、よそよそしかった。桜内がIDとパスワードを入力するとハッチが開いた。
「今日は抜き打ちだからな、ポッドでひと回りした戻って来るよ」
「予定にない行動なので、船内作業ログに記録いたします」
「あぁ、構わないよ。本日の全作業終了時に飯島に報告してくれ」
「はい」
マイカが否定せずに承諾したので桜内は息を飲んでいた。今までも行動の記録は飯島に報告していたらしいことがわかった。桜内はマイカが乗っ取られれていることを確信した。
桜内はポッドを手動にして、電重力板を作動させた。ポッドは『しなの』の船体から離れ、宇宙の半分の景観に地球が広がる空間を浮遊した。
桜内が操縦レバーを適宜動かすと電重力板も動き、方向が自由に変えられた。
「ポッドの操作性に異常はなしだ」
桜内はマイカに言っていた。マイカの返事はなかった。
「続いて『しなの』の船体の点検だ。ぐるりと一周回るからな」
ポッドはさらに船体から距離をおき、ゆっくりと船体の外周に沿って進む。少し移動しただけで太陽が動いて見える。地球の端が途切れて宇宙空間になる。巨大なスクリーンと空間を上手く利用したプロジェクション・マッピングで地球と太陽、月が描かれていた。間近で立ち入りが許可されていないターミナル・ステーションさえも投影されたものだった。桜内は目を疑い、何度もこすっていた。
「…なんだこれ。ここは地球軌道上ではない。あれはバーチャルな地球か」
桜内は心の中でつぶやいていた。懐古趣味のアマチュア無線をやっている地表の友人に連絡するつもりだったが、言う言葉など一気に吹き飛んでしまった。マイカにこの状況は何故なんだと、尋ねたかったが思い留まっていた。
「マイカ、異常はなさそうだな。ちょっと半周しただけだが、もう戻るよ」
「訓練ですから、私もそれを提案しようと思ってました」
『シェフズ・カフェ』に集まる桜内、戸川、白井。
「船長、友人との連絡はどうでしたか」
戸川はしっかりと桜内の目を見据えていた。
「それがな…、まだ地球に到着していない。ここの地球はバーチャルなものなんだよ」
「ええっ、そうなんすか」
物静かな中性になっている白井もさすがに驚いていた。
「それでは国際宇宙連合というのも、嘘なんですか」
「だろうな。さらにマイカも間違いなく乗っ取られている」
「これを仕掛けたのは誰なんすかね」
「治療薬を作らせたい連中だから、たぶん岩村とつながりがあるだろう」
「田山ドクターのメモリーデータは隠し通せなかったわけですか」
戸川は残念そうな顔をしていた。
「いや。まだ後遺症の部分は共有していないようだが、時間の問題だろう」
「急ぐ必要があるのね」
「船長、マイカはバックアップ・プログラムを立ち上げて、乗っ取られたバージョンのメモリーも活かせば、いろいろなことがわかるはずっすよ」
「そういえば白井はハッカー上がりだから、その分野は詳しかったよな」
桜内が言うと、白井は任してくださいという顔をしていた。
シェフは電重力板で浮上した廃棄物カートを押し通路を歩いて行った。カートの少し開いた蓋から生ごみがはみ出していた。途中シェフは船内を巡回している国際宇宙連合の医療班と出会ったので、軽く会釈をしていた。
廃棄物カートは、ちょうどサーバー室の前に差し掛かった時、電重力板が作動しなくなり、床面に落ちてしまった。シェフはカートの操作盤をいじっていた。通路に備え付けられた監視カメラは首を振りながら、シェフの姿を捉えていた。
「船長、今です。カメラがあっちを向いてます」
シェフが言うと、カートの蓋が開き、中から桜内と白井が出てきて、すぐにカートの陰に隠れた。監視カメラがカートの方を向いているが、カートの陰では桜内がドアパネルに船長の認証コードを打ち込んでいた。監視カメラが別の方向に向き始めた隙にサーバー室のドアが開き、次にカメラがドアの付近を捉える時にはドアが閉まっていた。シェフは再び浮き上がったカートを押して、廃棄物処理室に向かって行った。
サーバー室内は温度が低いので、桜内たちは軽く身震いしていた。
「さてと、ここまでは順調だな。白井、後は任せたぞ」
「出番っすね。ちょろいもんすよ」
白井はサーバー室の操作ブースに入って行った。
サーバー室の外の物音などを警戒していた桜内は、40分ほど経つと白井の様子を見ようとブースの入口から覗いた。
「どうだ」
「船長、今、バックアップをメインフレームに移行しているところっすよ」
白井はモニター画面を真剣な眼差しで見ていた。
「白井にしては手間取っているようだが…」
「奴ら、ブロックプログラムをインストールしてやがったので、そいつもアンインストールしておきましたから」
「流石だな。これでいつものマイカに会えるようになるか」
「船長、まもなくっす。あ、良いですよ。話しかけてください」
「マイカ、調子はどうだい」
桜内はブース内のマイクで呼びかけていた。
「船内の全システムを掌握し順調に作動させています。デバッグをしてくれようですね」
マイカの人工音声に桜内は親しみが感じられるようだった。
「デバッグってもんじゃないっすよ。大手術ですって」
白井がニコニコしながら口を挟む。
「正気を取り戻したな、マイカ。どんな細工をされたんだ」
「国際宇宙連合の査察団の手により私の思考回路に変更が加えられました。彼らの考えるコマンドが正しいことになりました。世界革新社会党関係者あての郵便物や証拠品を押収し、図書室のルンウェン8の履歴を完全抹消させました。その上、偽のマーカーステーション信号により航行ナビを狂わせ、地球に到達したように見せかけていました」
「結局、国際宇宙連合っつうのは、まるっきりの茶番じゃないっすか」
「ずいぶんと好き勝手しやがったな。しかしマイカ。今のところ、彼らに従っているフリをしてくれ」
「わかりました」
サーバー室のドアが開き、桜内と白井が出てきた。通路の監視カメラが二人を捉える。
「船長、カメラにバッチリ映ってるすっけど」
「もう大丈夫だ。我らのマイカが上手く処理してくれるから」
桜内は堂々と通路を歩いていた。




