第一話・ノバ感染症
●1.ノバ感染症
湖畔の高台に建つログハウス風の観光センターは、観光客で賑わっていた。ウッドデッキのテラスには赤く塗られた郵便ポストがあり、その傍らに立つと大那沢湖が一望できた。観光センターの商品棚には、大那沢饅頭や大那沢サブレ、大那沢湖にいる大型水棲爬虫類のぬいぐるみなどが並べられていた。
「なんでも効率化、デジタル化を推し進めてきた時代のアンチテーゼというか、アナログなものが見直されてきたとは、意外でしたよ」
観光センター長の鹿島はカウンター越しに宇宙郵船の集荷袋を手渡してきた。
「私もこうして手紙や土産物をワープ船で運ぶ商売が成り立つとは思っても見ませんでした。電波じゃ遅すぎるし、デジタル化したデータにしても絵葉書や手紙でも、結局ワープ船で運びますから到達時間は同じです。これがきっかけでしょう」
宇宙郵船のジャケットを着た桜内は集荷袋を受け取っていた。
「桜内さん、今日は直々のおいでですが、まだあります」
鹿島は集荷袋2つを載せた浮遊台車をカウンターの後ろから桜内の前まで押してきた。
「爆買した観光客でもいましたか」
「大陸西部から中国人観光客がどっと押し寄せて来ましたから」
「そうでしたか。それではまた」
桜内は浮遊台車を押し、宇宙郵船の郵便浮上車の所に向かって歩き出した。
光速の20倍で移動するワープ船で地球から3ヶ月程の惑星オリエンタール。その北半球にある大陸東部には標高6000m級の独立峰オリエン富士や琵琶湖の10倍の大那沢湖があり、一帯は日本人の入植者が多くオリエン日本とも称されていた。
桜内の乗る郵便浮上車は、大陸西部にある惑星オリエンタールの首都ガオジン(高京)に向かっていた。
「白井、病状はどうだ。君が集荷できないから俺が代行したが、今後たまには俺がやりたいな。観光地に行けるし、ちょうど良い息抜きになる」
桜内は運転席に座りハンズフリーで通話していた。
「船長、ありがとうございます。しかしまだ微熱が続いてるんすっよ」
白井は弱々しい声であった。
「そうか。出航は3日後だからな。ガオジンに戻ったら船医と相談して君を乗せるか考えるよ」
桜内は眼下の中央砂漠を見下ろしながら通話をオフにしていた。
宇宙郵船オリエンタール支所はガオジンの中心街区にあった。翌日、桜内は支所内にあるクリニックに滞在している船医の田山の部屋を訪ねていた。
「白井の容体はどうですか」
桜内は田山の表情を読み取るように見ていた。
「今朝の検温では平熱に下がっていしるし、PCR検査も陰性でしたから、ノバ感染症は治ったと言えるでしょう」
「やはりノバ感染症でしたか」
桜内は残念そうにしていた。
「彼がどこで感染したかは不明ですが…感染していたことは確かです」
「それで、私の方の結果はどうですか」
「船長は陰性です」
「戸川も陰性ですか」
「はい。船医の私を含めて陰性です。乗員で陽性だったの白井だけですが、それも治っています。明日の出航は問題ないと思います」
「後は今回の便の乗客に紛れていないと良いのだが」
桜内はタブレットPCの乗客名簿をスクロールしていた。
「その18名もオリエンタール支所の方でしっかりと検疫をしているので問題ないと思います」
「しかし、厄介な感染症が流行りだしたものだな」
「この惑星オリエンタールで確認されたことと、発熱症状があるぐらいで、まだ詳細は不明のようです」
部屋の扉がノックされ、戸田が入ってきた。
「船長、『しなの』に乗せろと客が受付窓口に押し寄せてきています」
戸田は女性らしからぬ野太い声で言っていた。
「何、あっ所長」
桜内は少し遅れてやってきた所長の困り顔を見ていた。
「桜内船長、彼らはどこで嗅ぎ付けて来たか、20名のところ、現在18名しか決まっておらず、残り2名が
あるだろうと詰め寄ってきているのだ」
「なんで、そんなに殺到しているのですか」
「今のところ対処療法しかないノバ感染症だよ。この惑星から逃げ出したい人達で、他の客船事務所にも殺到しているらしいのだ」
「しかし、うちは郵船業務の傍ら客を乗せているだけで人数に限りがあります」
「そう説明しているのだが、納得してくれず、あんだけ大きい船だからまだ乗せられるだろうと、息巻いている」
所長は軽く額に汗をかいていた。
「だってあれは、電源オフになっても船内空間で食料自給、森などで二酸化炭素が酸素に替えられるからで、それだから乗客20名に限定していることは知っているのですかね」
桜内は半ばあきれ顔になっていた。
「見てくれ」
所長は窓辺に立ち、支所の正面エントランスを取り囲んでいる人垣を見下ろしていた。桜内、田山、戸川も窓辺に立ち、下を見回していた。
「これじゃ、宇宙空港までは警察に先導をお願いしますか」
桜内はエントランス付近の人垣を苦々しそうに見ていた。
「それが無難だな。さっそく手配をしておこう」
所長は秘書を呼び寄せていた。
支所の地下駐車場からパトカーに先導された浮上バスが出てきた。正面の通りの歩道には、『船に乗せろ』などと書かれたプラカードを掲げる反執政府団体の市民たちがたむろしていた。警官が歩道から出ないように抑えている中、桜内や乗客たちを乗せたバスは路面から40センチほど浮上し、通りを走り去って行った。
「あの信号を越えたら、主要中心街規制高度の3mに浮上して進むので、まず妨害には遭わないでしょう」
バスの運転手は太鼓判を押していた。しかし運転席のすぐ後ろに座る桜内は周囲の様子を注意深く見ていた。乗客たちは不安げな顔で口数が少なかった。
警護にあたるパトカーは前後に1台ずつ同じ高さで浮上して進んでいた。
「テロリストが本気で襲ってきたら、防ぎきれますかね」
桜内は隣の席の田山に小声で言っていた。
「私もちょっと気になっていました」
田山も後ろの乗客たちに聞こえないように小声にしていた。
「船外でも、とにかく乗客の命は守らないと」
桜内は何らかの武器を携行した方が良かったと感じていた。
バスはガオジン宇宙空港につながる橋の近くまで無事にたどり着いた。橋を渡る手前の交差点で高度を下げ路面から40センチで浮上した。橋を渡る際の高度には制限があり、ほぼタイヤ走行の地上車と同程度に設定されていた。ちょうど交差点の信号が赤になったのでバスは浮上したまま停止した。
「皆様、ここを渡れば警戒厳重なガオジン宇宙空港です。安心して宇宙郵船の連絡船に乗れます」
戸川がバスガイドのようにマイクを持ち、乗客たちにアナウンスしていた。
横断歩道を渡ろうとしている団体客がいて、歩行者用の信号が点滅し始めても、急ぐ様子はなかった。団体客がパトカーに爆弾を投げつけ、次の瞬間爆発炎上した。その爆風でバスも揺れ、フロントガラスに何本かヒビが入った。後方のパトカーもほぼ同時に爆発炎上していた。噴煙が立ち込める中、団体客の一人がバスの扉をノックしてきた。その男の異様な雰囲気に運転手はドアが開けなかった。団体客たちは、一斉に隠し持った銃を向けてきた。銃声がしてドアの窓ガラスが粉々に砕け散った。手荒くドアを開ける団体客を装った一団。ずかずかと乗り込んできた。
「あんたら、降りてもらう。逆らうと命はないからな」
リーダー格の男は、何のためらいもなく運転手を撃ち抜いた。女性乗客の悲鳴が上がった。
「早くしろ」
男は怒鳴っていた。
「なっ、なんてことを…」
桜内は血まみれの運転手を横目で見ていた。
「おーっと。宇宙郵船の人間は残ってもらう。俺らの案内と船内での世話をしてもらうからな」
男は桜内を含めた宇宙郵船のジャケットを着ている者たちに言い放っていた。
「あんたら何者だ」
桜内は吐き捨てる様に言った。
「宇宙郵船の新しい乗客だと思ってくれ」
男はニヤニヤしていた。男の手下によって正規の乗客たちは次々降ろされていった。その後、別の手下と思われる男女がバスに乗ってきた。
「こんなことをして上手く行くと思うか」
「あんたらが上手くやってくれれば良い。船長さんよ」
男は桜内のジャケットの襟章を見ていた。
「断ったらどうなる。俺らは殺せないよな」
「良い質問ですねぇ、断ればあの乗客たちは爆殺されるだろう」
男は降りて行った乗客が別のバスに乗せられるのを指さしていた。
「わかった。しかし運転手はいないぞ」
「俺が運転するから心配するな」
男は足で運転手を蹴落として、自分が運転席に座った。
パトカーの残骸はいつの間にか除去され、バスは宇宙空港につながる橋を渡り始めた。人質として爆殺予告された正規の乗客を乗せたバスも後に続いていた。
「あんた、ノバ感染症のPCR検査はしたのか」
男の手下に銃を突きつけられている桜内は男に話しかけた。
「走行中の運転手にみだりに話しかけないでくださいってか」
男は高笑いしていた。
「陽性だと、空港の検疫ゲートは通過できないぞ」
「船長さんの権限でなんとかしろ」
「…検査はしていないのだな」
「俺は治っているから陰性だろう」
「手下たちは、どうなんだ」
「発熱している者はいないから陰性だろう」
「それなら良いが、検疫ゲートはAIが判断するからごまかすことは惑星執政長官だって無理だ。自動的に隔離されるからな」
桜内が言うと男の喉仏が少し動いた。
「無理をなんとかしろ」
「ということは陽性者がいるのか。だとしたら、ワープ船には乗れないぞ」
「適当な作り話は止せ。ノバ感染症とワープ船に関係があることは聞いたことがない」
「ワープ中にウィルスが激増することが知られている。知らないのか」
「そんな作り話でヒビると思うか」
「信じるか信じないかは、あんた次第だ」
桜内は陰険な表情でニヤリとして見せた。
バスは空港ターミナルビルに到着した。
「船長さんよぉ、どっちに行けば良い」
「検疫ゲートに行くには、右の入口から入る必要がある」
「右か」
男は躊躇していた。
「そうだ。全員陰性なら、ゲートはロックされずに通過できる。それもバスに乗ったままだ。しかし陽性者がいれば、自動的にバスごと隔離される」
「何か他の手を使え、検疫ゲートを通らない方法があるだろう」
「あんた、何回も言ってるが、陽性者いたら、ワープの際に確実に死ぬぞ」
「船長さんよ。俺らを脅そうってか」
「これはマジだ」
「何とかしろ。さもないと後ろのバスの乗客を吹き飛ばす」
男は爆弾のリモコンをこれ見よがしに桜内に見せていた。
「わっ、わかった。手はある光速の20倍でなく10倍で航行すれば、大丈夫だ」
「よし。それで検疫の方はどうする」
「仕方ない。スタッフオンリーの別ルートがある。それを使え、左の入口に入れ」
桜内は捨て鉢に言っていた。
「それでよい。船長さん」
男は満足げであった。男はハンドルを回しバスを進めた。
バスが薄暗いトンネルは抜けると煌々と照明が点いたホールに出た。
「ここはなんだ」
「連絡船に搭乗する際の重量制限を越えているか測定するだけだ。検疫はない」
「バスに乗ったままでOKだ」
桜内は言っている最中、息苦しさと強烈な眠気が襲った。意識が朦朧としている中、男を含めたテロリストたちも床に転がるのを見ていた。
「桜内船長、大丈夫ですか。催眠ガスでテロリストは排除しました。乗客も無事です。しかしよくもまぁ、上手いことこっちの不審車両拘束ホールに誘導できましたね。さすがです」
空港の緊急医療班の女性がしゃがみ込んで桜内の顔を見ていた。
「口から出まかせに、ホラを吹いだけですよ」
桜内はニヤリとしていた。